5月8日、中央大駿河台記念館で、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会のビデオ報告があった。イラク・爆撃下で何が起こったのかーと題して、広河、森住、豊田、綿井各氏は、3月20日の戦争開始前後からバグダッドに滞在、4月8日、米軍の攻撃を受けたパレスチナ・ホテルにも宿泊し、爆撃される側から取材をつづけた。
この日、250名の席は550名で、半数以上は、立ち見で我慢。広河隆一さんらは、また、イラクに立つという。
この日本ジャーナリスト協会は、私が昨年から、注目しているメディアである。写真展もふくめて、5,6回はいっただろうか。結成されてまだ日が浅いが、心あるジャーナリストが集うこの会は、一人一人が、ジャーナリズムの原点を問う視点がある。
土井敏邦氏の司会で、次々とリアルな映像が映しだされる。
「これが、喜んでいる顔ですか。笑っている表情ですか」
フセイン像が倒れる場面を遠巻きにみている、イラク人女性のこわばった表情を説明するのは、豊田直巳さんである。いうまでもなく、この演出は、米軍主導の下、何から何までヤラセであった。フセインの誕生日のときに倒したのも手際よく、最初に、米軍が星条旗を顔にかけ、あわててとりはずし、数十人のサクラではどうにも足りず、米軍がさらに、武力行使をして、やっとこさ倒したのだった。サクラ組も、金をもらい、せっせと、下手な芝居をやったのである。銃撃戦の最中、危なくて外出できない状態であったという。米軍の監視の中、行事は遂行されたのである。また、この像は、どうみても、フセインには似ていない代物であるらしい。開放の記念の黄色い花も、近辺では手に入らないものであるとか。どこから、用意したのか。
かの有名な博物館の略奪、刑務所の鍵をあけ、囚人を挑発し、300人以上を放ち、略奪行為に加担させたのも、米軍の手引きである。自冶行政府の警備員を撃ち殺し、貧民街の人々をけしかけたのも、おまえたちは、クレージーだと侮蔑したのも、すべて、すべて、プロパガンダの端くれである。
さらに、英軍は、食料倉庫を爆撃し、15分から20分後には、イギリス製の袋の小麦粉を震え上がっている老人におしつけ、撮影させる欺瞞。こうした、一つ一つのプロパガンダを、日本のマスコミは、見ようともしない。米軍御用記者にはまこと見えにくいかもしれないが、ジャーナリズムのかけらがあれば、みえるのではないか。
学校、病院、市街地にクラスター爆弾を落とし、至るところに地雷がころがっている。バンカーバスターを命中誤爆し、放射能は、地中深くもぐりこむ。
2日で55人、3日で65人と、一日目に15人が死亡と報道された翌日から、次々と、同じ場所でなくなっていく人々。殺されたのは、もちろん、一般人ばかりではない。イラク兵は、一万人は、死んだのでは・・・とさらりと言う人がいる。現実をどう伝えるか、どう見るか、どう理解するか、それらは、すべて、それぞれの人間性にかかっている。
アフガン、パレスチナ、イラク・・・と、やられていることは、すべて、通底する。侵略し、「衝撃と恐怖」作戦で人を死に体と化し、略奪し、占領する。かつての、日本軍の三光ならぬ四光作戦とよく似ているではないか。要は、人を恐怖で支配するということである。なぜ、これが、民主主義か、人間のやることか、ネオコン派の人にききたいものである。
かつて、爆撃で家族をなくしたイラク人の父親に取材しようとした日本人記者に、「爆撃を落とす側の人間に、何も話すことは無い」とこぶしをぶるぶる震わせたという、メールをしたことがあったが、この記者こそ、綿井記者である。
彼は、このとき、目覚めたのではないか。病院で足の手術が成功した翌日に爆撃でその足をやられたイラク人男性の、うめき・怒りを、なんども、何度も、つたえようとした。まさに、適当に、なぶりごろしにされる、殺される側の痛みと無念を、彼は、感情移入して、そのむごさをつたえてくれた。また、戦地で、フォックステレビをみて、仰天したという。闇に閃光が走り、スマートな軍機が飛び交う映像のみ、血や膿に染まる遺体のかけらもない。しかも、そのあとには、「すごかったですねー」と、笑顔の女性キャスターの喋り。狂っているとしかいえない。
綿井記者の人間性に、ほっとする私である。
ある父親は、息子と娘を殺されたという。5歳の息子は、脳みそが飛び出るのを手で必死でおさえたまま、息絶えたという。家の中にいた娘は、内臓という内臓がすべてとびだし、かき集めて、ひざにだいたという。
そして、この会のジャーナリストの多くが、静かに口にする次の言葉。「爆弾が飛び交うようなところで、どういう気持ちでフイルムをまわしていますか」と、会場からの質問。 森住卓氏が、とつとつと語る。
「怒りです。・・・人が、まるで、虫けらのように殺されていく・・・許せない・・・というおもいです。また、自爆テロをどう、おもいますか、と聞く人がいるが、単なるテロリストときめつけないでほしい。彼らは、生きるという自由を奪われ、最後の最後に、自分の体を使って、訴えていくのです。」
私は、思わず、拍手をしました。続いて、会場からも力強い拍手がーー
私は、9・11~殺される側の人々と、殺す側の人々との乖離を指弾してきた。特に、マスコミ、文化人、著名人といった側の無神経さ、驕り、鈍感さに、虫唾が走る思いで告発してきた。ほぼ一年半を経た今になっても、この感覚は続いている。否、更にであろう。99.99%のプロパガンダと各集会で発言してきたが、この割合は、ますます、確信に近いものとなっている。有事法も、個人情報保護法も、憲法改正も、するり、するりと、何の障害もないかのように、通っていく理由が、このプロパガンダ効果である。
今回の「イラク戦」は、600人の米軍用大手マスコミ系従軍記者と、アルジャジーラも含めた、30人ほどのフリーの記者出身で構成されていたという。広河さんら6人は、この30人のなかにはいる。米軍の御用記者ではなく、爆撃が落とされる側で、戦場の真実を取材したのである。
米英のプロパガンダがいかに酷いか、容易に想像はつくわけだが、600対30、しかも、大手マスコミが99%制圧していたのでは、問題意識の薄いひとや、日々の生活に埋没している人に、真実がつたわらなかったことになる。
それにしても、アフガンのときよりはいくらか、事実が見え隠れしたかにみえるし、朝日、赤旗、毎日などに、まともな記事がいくつかあった。特に、後半、赤旗は、イラク占領の実態を告発する姿勢がよかった。フセイン像の倒れる捏造写真を一度も、掲載しなかった良識は、記憶に値する。
また、「ブッシュ無法戦争」、「許すなイラク戦争 世界の声」は、イラク占領の実態をイラク民の生な声で伝えている。最近は、坂口記者のネオコンシリーズも、読み応えがあった。
ところどころ、シビアな私の目には、?もあったが、他商業紙に比べれば、圧倒していたといえるだろう。
また、雑誌は、どうか。過去、さざ波では、経済関連で、批判されていた様な気がするが、「金曜日」の「戦争」報道は、それこそ、優秀なジャーナリストを起用した、中身の濃い記事が圧倒していたとおもう。ここ一連の米国の無法ぶりを突いた記事は、「金曜日」がダントツであろう。様々な集会、書籍(60冊以上)との乖離が最も少ないという事実からもそれはいえる。
それにしても、過去の教訓であれ、人はまなぶものではないのか。多くの人が、今、また、同じ過ちを犯し始めているということを、どう、解釈すべきか、途方にくれることである。