「テロの種 芽がでて 実をつけ 大きくなって 帰っておいで」。読み方によっては「テロの勧め」と読めないこともないが、私は長壁さんの詩の標題にいたく惹かれました。気に入って何回か繰り返しているうちに暗唱するぐらいになってしまいました。
圧倒的な軍事力により侵略され、抑圧された人々の抵抗権を私は認めます。私はベトナム世代です。おそらく菅井さんもそうではないでしょうか。
ベトナム戦争で南ベトナム解放民族戦線や南ベトナムの民衆が米軍や傀儡政権の軍隊と戦ったとき、私はベトナムの民衆を支持したし、ベトナム戦争の終盤には日本の世論も、世界的な世論もおおむねそうでした。「10.21」ベトナム反戦統一行動が、私の記憶に間違いがなければ、総評の呼びかけで始まり何年も続き、日本発の世界反戦デーとして展開されました。
先日、朝日新聞に「仏教徒弾圧に抗議して焼身自殺した僧侶」に関する小さな記事を見ました。当時の新聞にも自らガソリンを浴び、燃えさかる炎の中で死んでいった僧侶の写真が載ったものでした。学生であった私には衝撃的な影像でした。これは本質的には宗教弾圧ではなく、アメリカや傀儡政権に抵抗した仏教勢力に対する弾圧でしたから、正確には「アメリカの侵略に抗議して」とする方が適当だろうと思いますが、何件か続いた彼らの焼身自殺は、ベトナム民衆にも衝撃を与えたであろうし、あるいは私たち外国の人々にも衝撃を与え、ベトナム反戦の世論を燃え上がらせたものでした。しかし、これらの焼身自殺はおそらくは宗教家としての彼らの信念から発したものであり、南ベトナム解放民族戦線がそうさせたのではなかっただろうと思います。
ベトナム民衆の戦いも初めのころは、傀儡政権の軍隊やアメリカ軍を散発的、ゲリラ的に攻撃するものであり、テロと大差ないものでした。しかし、民衆を標的とするような攻撃はしませんでした。ここが、パレスチナとの最も大きな違いではないかと思います。また、兵士が戦闘で死亡することはあっても、自爆テロのような攻撃は聞いたことがありません。パレスチナ民衆を取り巻くあまりにも厳しい状況が具体的にはわからない私にこのようなことを言う資格があるかどうかわからないけれども、何としてもイスラエルの民衆を標的とするようなテロはやめなければならないだろうし、テロというべきかゲリラというべきか、その標的は可能な限り軍事目標に限定すべきであると思います。そして、「自爆」してはいけない。自爆テロの担い手はほとんどが十代の若者と聞きます。十代の若者が命を落とすことはない。「テロの種」の種を播いたのは帝国主義であり、パレスチナやアラブの民衆にはこれと戦う権利があります。パレスチナの若者よ、アラブの人々よ、あたら命を落とさないで。アラブと連帯するイスラエルの人々もいる。アメリカにも侵略戦争に反対する人もいる。願わくば、これらの人々と連帯し、帝国主義と闘うために「芽がでて 実をつけ 大きくなって 帰っておいで」と、私は言いたい。