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「イラク戦争」討論欄

テロリズム考

2003/5/28 長壁 満子、40代、金融

 テロの種 芽がでて 実をつけ 大きくなって 帰っておいでーーについて

   この詩のタイトルをみて、内容をみて、「テロ賛美」と読む、短絡的、あるいは意図的な方がいるであろうことは、承知しておりました。ですが、あえて、川上さんのように、共感と理解をいただける方の存在を信じて、私は、このタイトルにしました。詩ですから、文言の一句、一句に含んだメッセージを、どう、受けとられるかは、その人の自由なのですが、言わんとする基本はあるわけです。
 私は、「ジハード」という言葉を、使っていません。「ジハード」という言葉は、私には、なじみがありません。私が、どんなに、イラクの人々に思いを馳せても、この言葉を実感するのは、困難です。また、軽く使うのはおこがましいと思います。
 イラク攻撃最中、イラクの人たちの悲劇がつたえられるなか、直情型(その他のことでは、そうでもないのですが)の私は、いながらにして、イラクのひとたちの思いになってしまいました。そして、自分の息子が、娘が無残に殺され、わが身も傷つき、絶望の淵に突き落とされたなら、どういう心理状況になるのか・・と、かんがえました。
 実際の体験などなくても、今日まで生きて来た生。人間としての苦しみ・悲しみの感情に照てらしてみれば、状況によりそうことは、さほど、困難なことではありません。私には、こどもがおります。自分の生きがいともいえる、なにもかもがうばわれたとき、しかも、それが、事故でも、天災でもない、一方的な、理不尽な人間の悪意によってであったとするなら、人は、何をおもうのか。私ならどうか。
 私は、まず、何日か、布団をかぶり、食事ものどをとおらず、運命をのろい、神をのろいます。子や夫の無念をおもいます。そして、数日後、放心状態でのろのろおきだしてみれば、相もかわらぬ、米英の蛮行が繰り拡げられている。祖国は、硝煙と、劣化ウラン弾で汚され、道路は地雷畑と化す。湾岸戦争時の放射能で、奇形に苦しむ子や親に、またもや大量の放射能。将来も未来も奪い去る鬼畜。それらに、たいして、今の自分は、何ができるか。何がのこされているか。絶望の淵から、生への転換。がけから飛び降りるか、踏みとどまるか、このときに生ずる過程、つまり生への転換エネルギーを、ぎりぎり、探ってみました。
 米英軍に対する抵抗権
 尊厳を冒されたものの、異議申し立て
 人間としての当然の感情ー憎悪と報復
 これら自然な感情の醸成の行き着く先を「大輪の花」にたとえました。花を咲かすには、芽がすくすくと育ち、葉も太く、たくましく、生エネルギーが必至です。この奇跡を神と表現しました。最後の最後に、人の力をこえた、何ものかに、すがることしかない究極の存在として。
 今回も、パレスチナで、イラクで、アフガンで、あるいは、チェチェンで、サウジアラビア等で、自爆攻撃というテロが頻発しています。彼らは、どういう思いで死んでいくのでしょうか。一つしかない命を、何にたくして・・・
 かつて、パレスチナでは、ワファという女性が自爆しました。救急隊の仕事中、息のある青年の頭からとびでる脳みそを手で押さえ、ひざにかかえ、病院に運ぶこともありました。イスラエル政府の理不尽さに、抗議の自爆テロを決行したのは、この翌日でした。青年及びパレスチナの少年のほとんどが、戦車に、政府軍にむけて、小石で、抵抗して、殺されていくのが、ほとんどです。素手の生身の人間対大量破壊兵器を操る鬼畜の戦いです。
 これらを、一面的に、論評する大方のおよそ人間といえない、ヒトビトに、私は、激しい怒りを感じます。対話を封じ込められ、自衛する武器さえない、ひとが、最後の異議申し立てを、みずからの体を使ってするほどに、追い込こまれる。国際社会もこれを放置している張本人です。普通の抵抗権を奪っておいて、普通を超えた「自爆」抵抗を、狂気と断定し、テロ掃討作戦というホロコーストを断行する。無差別テロというのも、第三者ならではの、発想ではないでしょうか。異議申し立ての対象は、合理的選択されています。力の関係もありますが、イスラエル政府をささえているのは、イスラエルの国民であり、アメリカです。アメリカをささえているのは、アメリカ人です。
 今回イラクの人々を、殺戮・破壊したのは、米英そして、日本です。コイズミ狂気政治を支えている私たちも、また、りっぱなテロリストの端くれです。彼らからみれば、コイズミや戦争勢力と反戦者とは区別することは、不可能です。
 私は、最初から、「テロ行為」を賛美も容認も否定もしておりません。論評する事自体、違和感があります。ただただ、私は、行動する人の、気持ちを理解し、その置かれている状況を検証したいとおもいます。
 そして、「テロリスト」と呼ばれている人か、テロ掃討を口実に、ホロコーストを拡大せんとするネオコン暴虐かのどちら側につくか、と問われれば、答えは、明らかです。
 最近、おなかに赤ちゃんのいるお母さんが、イラク攻撃に抗議し、自爆しました。チェチェンでは、夫を国軍に殺された妻が、異議申し立てをおこない、一方的に、殺されました。あるイラクの少年は、両親を爆弾で殺され、「今は、戦車がいるからなにもできない。でも、いつか、仕返しをする」と、深い眼差しでいいきりました。
 「ジハード」という、自らの命を使い、後世に希望を託す行為を、わたしは、ぎりぎりの、それしか選択肢がない所まで追い込まれた人の表現と、理解しています。
 同時に、鬼畜には、何の効果もない、どころか、殺戮戦争の口実にさせられることに、忸怩たる思いがあります。だからこそ、鬼畜でない私達が、ひとりでも、彼等の心情を理解し、そのメッセージを引き継ぐことではないか、とおもいます。ほんとうは、私は、彼等に、紙とペンをさしあげたいとおもいます。体のかわりに・・・さらにいうなら、ペンが生きる状況をつくってあげることが、急務です。日本ビジュアルジャーナリスト協会、アルジャジーラは、さらに、頑張ってもらいたいとおもいます。
 川上慎一さんが、はからずも、最後におっしゃってくださった、「願わくば、これらの人々と連帯し、帝国主義と戦うために{芽がでて 実をつけ 大きくなって 帰っておいで}と、私は言いたい。」は、私がこの詩に秘めた思いでした。

 荒木國臣の世界で、21世紀へのメッセージ2003年~第4エッセイ集で、この詩が引用されています。荒木氏の思いか、ジハードという言葉に改変されているのですが、私としては、こう、断定されると、ちょっと違うといいたくなります。本人の、文責となってますから、妥協しますが。

 改めて、川上慎一様の明晰・丁寧な分析、検証、うなりました。そして、「詩」への言及ありがとうございました。
 東さんのパレスチナに対する深い思い入れも、ひびきました。お二人に比べて、私の物言いは、かなり独りよがりな、短兵急なものであろうとおもいます。聞き苦しいところや、不正確な理解も、あるやもしれません。今後、ご教示いただければ、ありがたいとおもいます。