友達とテルアビブへ遊びに行ったイスラエルの少女が自爆テロの犠牲になったのは、96年の春だった・・・死後見つかった彼女の日記にはたくさんの詩がかかれていた。
きのう東京・築地で催されたシンポジウム「和平へ 憎しみを超えて」で、少女の母親アィエレットさんがその一つ「平和の夢」を読み上げた。
「右も左も、アラブもユダヤも、手を結んで友達になる/憎悪も戦争もなくなる特別な日/おとぎ話からしかやってこないのかしら」
バトヘンさんの詩はこう続く。
「私はたぶん素朴な少女/でも平和と安全を求めるのはそんなに欲張りな夢かしら/旧市街の通りを何の心配もなく歩きたいというのは欲張りな夢かしら」
アィレットさんは娘の日記を本にした。パレスチナの人に読んでもらおうとアラビア語版もだした。
娘の死を乗り越えて、復讐ではなく赦しをー和平をー涙、感動、希望、未来・・・といった言葉が浮遊しています。
さて、さざ波のみなさん、あなたがたがこの「天声人語」を読まれて、どう感じるか、によって、右翼、中道、左翼にランク付けされます。
右翼 だから、自爆テロリストがいる限り、平和がこないのだ。テロリストを根絶しない限り、少女の悲劇が後を絶たない。まず、テロをやめさせろ、やめないのだから、武力行使で、自冶区、入植地問わず、パレスチナ人を殺戮だ。パレスチナ人である限り、将来にわたって、テロの可能性があるーーという考えに異論がありません。
中道 ・・・イスラエル人もパレスチナ人も、お互い仲良く、イスラエルとパレスチナの遺族が憎悪の連鎖を自らの意志で断ち、手を結んで和平を訴え続けているーー娘の夢を何とか実現したい、と願う母親に感銘をうけます。
左翼 冗談ではない、我々の土地に、ある日突然戦車で侵入してきたのがイスラエルだろう。民なき土地に土地なき民をーーなどとごまかし、平和に暮らしていた我々パレスチナ人をおいだし、略奪し、殺戮し、異議を認めず、家を、畑を、果樹園をのっとり、破壊し、地図を塗りかえた。
どんどん、占領されていき、我が祖国のほんの数%の自冶区でさえも、イスラエルの検閲下にあり、自由がない。言論の自由、抵抗の自由、移動の自由、すべてすべて、奪われ、家畜以下の生活。
わたしは、いまだに、イスラエルに奪われた我が家の家の鍵をもっている。いつか、この鍵で、自分の家にはいることを希望する。
--このパレスチナ人の気持ちに寄り添える人、想像できる人を、私は左翼とよびます。
ここさざ波でも、私が右翼という言葉をリトマス試験紙のように、つかってきたのですが、ボチボチ、反応があり、手ごたえをかんじています。
先日、しんぶん白旗さんの、みんなで仲良く喧々諤々? 車座で話し合おう・・正直、感動、癒し、安らぎ、そんな感覚に満たされそうになりました。
しんぶん白旗さんは、たぶん、潤滑油。現実の生活に支障をきたすことのない範囲で、誰からも(右も左も)憎まれず、愛すべき存在として、貴重な方かとおもいます。
私は、そんなあなたの存在を認め、イラク戦争欄でも、言及しています。
ですが、私は一度、あなたに、反論したように(一部誤解)、ひとつの疑問はきえておりません。
数人のかたがた(右的な人?)が、私の直裁な物言いに、違和を感じ、その手法および、価値観に反発されています。反論といえないのは、本質論に対する、具体的提言がないからですが、共通する点を集約していくと、ただただ、「イラク戦争をどうみるか」ということの一語につきるとおもいます。価値観、思想はそれぞれぞれでいいでないかーー「多様性」といった、抽象語ですり替えがなされていますが、これは、問題だとおもいます。
真実は真実、プロパガンダはプロパガンダです。これを、曖昧にしたままの論争は意味がありません。
みなさんから、指摘いただいた、私の独善ですが、その根拠をのべたいとおもいます。また、権力、マスコミに対峙するとき、およそ、独善といった範疇の言語で、個人の主張を糾弾できるのでしょうか。かりに、結果論として、独善だったとしても、わたしは、自分のために、ものをいったり、感情を吐露しているわけではありません。
今回の「天声人語」にしても、わたしの視点(独断)からいわせてもらえれば、明らかなプロパガンダがはたらいています。
イスラエルの少女が自爆テロの犠牲・・・?
どういう状況で?
自爆した「テロリスト」は? 少年? 少女? 母親?
いずれだったでしょうか。一行もふれていません。にんげんとしての扱いでなく、少女を殺した、殺戮機として抹殺されます。「テロリスト」の意思、人生、ドラマは、永久 に消滅です。その家族もです。差別からのスタートです。
右も左も、アラブもユダヤも手を結び、・・・これには、誰も異をとなえません。自分に利害が及ばない範囲なら、だれだって、きれいごとはいえるのです。反戦もそうです。
ですが、悲劇の源をつくったのは、だれなのか。自分の命をかけてまで自爆決行させたのは何なのか。誰が最初に生存権を奪ったのか。「素朴なイスラエルの少女が旧市街の通りを何の心配もなく歩きたい」と思いを吐露できるのに、パレスチナ人の少女が、命を懸けなくても生きられるように、ふつうにの声がどうして無視されるのか。
都合のいい事実の切り張りとダブルスタンダードで、「権力マスコミ」「御用マスコミ」はプロパガンダを形成していきます。少女の母親は、アラビア語版をだして、パレスチナのひとに読んでもらうのではなく、娘の死を契機に、自らの置かれている状況を、把握し、シャロンの糾弾をこそ、するべきでしょう。日本のマスコミもまた、自爆テロ実行者の思いにこそ、光をあてるべきでしょう。罪の根源に目を向けないで、欺瞞理論を展開してほしくないです。
はからずも、パレスチナでは、抑圧された人民の命を守り、精神的支柱ともいわれるハマスが、つぎつぎ、と殺されています。「テロ掃討作戦」という、ブッシュ式自動マシーンが大活躍です。
ロードマップを歓迎するアルカイダ、アラブ側にテロをおこさせたのは、だれなのか。このテロで、誰が得をしたのか。損をしたのか。自冶区以外は自爆テロ停止と宣言したハマス。ということは、自冶区ぐらいは、せめて、パレスチナの尊厳を守ってほしいということではないのか。イスラエル軍がでていけばすむことである。それなのに、事態は、せっかくのロードマップを阻止するテロリスト・ハマスとレッテル。アメリカとイスラエルの連携は、いよいよ、深く、ブッシュとシャロンの殺戮合戦は拡大する。テロ根絶、テロ根絶と、要所要所で事件をつくり、殺し屋集団の利権構造は、永久にまもられます。
これらを見抜けない、見抜こうとしないマスコミ及び日本、世界の一般人を、わたしは、糾弾します。
オセロ合意もそうでした。不正義99%の内容でした。不当な圧力と要求、それでも、疲れ果てたパレスチナのひとびとは、妥協をねがうのに、時々のイスラエル側の妨害が必ずはいるのです。
真実は、検証されることなく、メディアは、御用機関に堕し、アメリカとイスラエルの黒いシナリオを軸に、世界はまわっていきます。