高弘さんへ
戦争に変わる代案(フセインを排除する案)を示さない限り、いくら反対しても相手にされないのです。
アメリカは、フセインを軍事支援したうえ、イスラエル支援を通じたパレスチナ問題の固定化により、フセインをパレスチナの英雄に仕立てるお膳立てをし、フセインの安泰化に貢献してきたのです。「悪の枢軸」はアメリカ、イスラエルも加えないと完結しないでしょう。
そして今さらフセインを倒すマッチポンプ。こんなめちゃくちゃどうして認められますか。
アメリカがまずそうした健忘症を謝罪すべき。日本は対米追随外交との決別宣言をしてアメリカに非を認めさせる。世界は国連決議377に基づく『平和のための結集』緊急国連総会を開催し、「フセインはアメリカの演出物、イラク戦争はアメリカの自作自演」決議をする。
これによりアラブ側は、アメリカの命令に従う形ではなく、フセインを切り捨てやすくなる。
こういうところから始めるべきではなかったでしょうか?
規則(国際法・内政不干渉)と人権のどちらを優先するか
人権は、秩序・規則がないと守られないと思います。(規則か人権かという)二者択一思考の幣から脱却してください。
イラクの人が、解放されなくても良い理由が必要でしょう。
高弘さんはここを読んでもらえたでしょうか:
大量破壊兵器としてのアメリカ市民の銃(ecologos)
アメリカ人は銃社会につかるアメリカ人自身を解放しようとしない、当局は軍隊を使ってでもそうしようとしないのだから、アメリカがイラク人も放っておいても不思議ではありません。
なぜ自国の「人権」ではなく、遠い異国の「人権」を気にかけるのか疑問に思いませんか?アメリカ人は今の調子だと未来永劫、銃で殺し合いを続ける気配なのに。
逆に、高弘さんは、あなたの「解放者数最大の原理」からして、武力を行使する場合の、「優先順位」と「費用対効果」を検証しなければなりません。
つまり、イラク戦争に投入された、また今後投入される、さらに石油からふんだくるのと同規模の人・物・金を、イラク以外の被抑圧者(その原因が病気であれ貧困であれ独裁者であれ)の解放に使っても、その解放者数はイラクの場合に及ばないのか否か。
世界と歴史はフセインによる人権抑圧だけから成り立ってるわけではありません。