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「イラク戦争」討論欄

長壁さん、互いの違いを認めつつ共闘しよう

2003/6/28 しんぶん白旗、30代、団体職員

長壁さんは6月22日の投稿文で
私の拙文「手作り綱領のススメ」に
賛意を示していただいた。 心から感謝したい。

一方、私の考え方に対し
「ひとつの疑問は消えておりません」
として、私の「問題点」を指摘された。
この指摘に、具体的にお答えしたい。

長壁さんの指摘は次の通りだ。

●(イラク戦争の賛否について)

 「価値観、思想はそれぞれぞれでいいでないか」とか、
 「多様性」といった抽象語で
 (論点の)すり替えがなされていますが、
 これは、問題だとおもいます

結論から申し上げると、
私の考え方は、残念ながら、
この点では長壁さんと一致しない。
私は、イラク戦争をめぐり
個々人の認識に違いがあるのは当然
という立場に立っている。

一つの仮説を挙げたい。

私は、今回のイラク戦争で
国際社会のルールを無視した
米国の武力攻撃に「反対だ」と述べた。
これによって、
長壁さんと私の「反戦共闘」が生まれた。
これは、結果として
米国武力攻撃に「大義あり」とする
高弘さんとの間で
鮮明な対立軸を形成した。
私は、高弘さんの丁寧な立論に敬意は表しながらも、
今もって同調する考えはない。

しかし、仮に国連が
米国に対する武力行使容認決議を採択したら
どうなっていたか。
私自身、相当迷ったと思う。

もし、フセイン政権によるイラク国民虐待の事実が
白日の下にさらされ、
国際社会がその共通認識を持ち、
アラブを含む全世界の意識が
「イラク解放へ一刻の猶予もない」という
レベルにまで高まり、
国連決議が採択されたとすれば
「武力攻撃支持」は、私にとって
少なくとも一つの選択肢だったと思う。

長壁さんがもし、
「国連決議があってもイラク攻撃は許されない」
という立場であるなら、
ひょっとしたら、
長壁さんVS高弘さん、しんぶん白旗etcという
現実とは異なる組み合わせになったかもしれない。

独裁政権による自国民族虐待に対し
国際社会はどう対処すべきか?
この重い課題に対する答えを、
国連軍活用論も視野に、私なりに
考えていこうと思っている。

もちろん、私の考えを
長壁さんに押し付けるつもりは毛頭ない。
そして、あなたの主張には、
これからも注目し、尊重するつもりだ。
だから、
長壁さんもどうか、
多様な意見を尊重していただきたい。
尊重することは、
決して相手と同じることではない。
それは、互いに意見を戦わせつつも、
相手を認め、立場を超えて
信頼関係を築き上げるという意味で
議会制民主主義の「原点」とでも
言うべき姿勢だと思う。

さあ、長壁さん。
互いの違いは違いと認めつつ、
イラク復興特別支援法案への反対共闘を
進めようではありませんか。
民主、共産、社民、自由に自民の一部も加えた
ごった煮勢力が、この法案を廃案に追い込むことを
期待したい。
そして、その実現に向けて、私なりに
微力を尽くしたいと思う。