イスラムでの掟、「目には目を」が象徴的に引用されます。キリスト教での「右の頬を打たれれば左の頬を」「剣を持つものは剣にて滅ぶ」といった言葉が象徴的です。
で、「目には目」ですが、この意味は、報復の限界を意味しているということを、どれだけの人が理解しているでしょうか。つまり、イスラム社会では、娘が強姦という、尊厳を犯された場合、その他、侵害された場合など異議申し立てをします。そのとき、相手への抗議として、最大、目をやられたら目をまでの範囲でと限定しているのです。
かつて、タリバン政権下、泥棒したこどもの手を切るといったことをおどろおどろしく、記事にしていましたが、これも、かなり、プロパガンダの臭いが濃厚。
キリスト経の「右の頬・・」は、敬虔なクリスチャン・ブッシュをみれば明らか。ブッシュは、頬を打たれるどころか、触れただけで、あるいは、イスラムの葉がとんできただけで、相手の命さえ報復の根拠に使う、まさに、キリスト狂人です。剣を持ちて、剣で殺戮しまくります。
ときに、人々の無知は、何千年にも及ぶ、メソポタミア文明発祥の地・イスラム世界を愚弄し、尊厳を否定し、たかだか200年の侵略国家米国と狂人ブッシュを奉り、暴力こそが権力であり、神であると、妄信します。
ブッシュの非人間性・残虐性をみたくないために、被害者側に反転させ、悪を善、殺戮・破壊を救援・生産とこじつけて、理解します。貧しいアイデンティティーを守るために、それこそ、なんでも、手近なものを利用するのです。
自分の劣等を補うために、欠陥をカバーするために、あるいは、自己を確立するために、もはや、妄想は、絶対となります。周囲に、適切な助言者・治療者がいない場合、ここから脱出するのは、相当な困難をともないます。
{イスラム経では一夫多妻とかあるので、女性が伝統的に 低く扱われている・・・}
--それなりの社会状況があります。女性の尊厳など、イスラム世界のほうが、重要視されています。タリバンの男性は、戦死などで少なく、女性の生活権を守るということから、妻帯を4人まで可としているのです。それでも、それぞれに、精神的・物質的に公正に応じる義務と責任をともないます。男性の本音は、誇り高い女性を2人も3人も持つ気苦労に耐えられず、一人でいいとおもっているようです。
離婚のときも、その後の女性が食べて生きていける保障がないと、離婚できません。
ちなみに、北部同盟の暗躍したころ、女性を強姦・殺戮した兵士をウサマ・ビン・ラーディンは、その場で、処刑。また、ウマルは、レイプを犯罪とはじめて、規定したといいます。
{アフガンのタリバンの偶像破壊・・}
このとき、タリバン政権が、どのような状況にあったか、ご存知ないでしょう。タリバン政権のもと、ようやく、治安が回復し、平和に向かい、社会整備もこれからというとき、パイプライン建設等、気に食わないと思ったアメリカが国連に圧力をかけ、経済制裁を始め、また、旱魃で100万人の餓死者がせまっていました。
一つには、雨乞いの儀式の意味がありました。ひとつには、偶像を破壊して、世界の耳目を集める意味もありますた。つまり、方法は、過激ですが、現実のほうが、さらに、過激。そこまで、追い詰められていたということです。
100万の同胞の餓死ですよ。あなたには、想像力というものが機能していますか。さらに、イスラムでは、お金の不浄なやりとりを忌み嫌います。偶像を盗み出しては、米欧で金に換える輩(反タリバン派)が横行していたといいいます。怒りの牽制だったともいわれています。
アフガンの仏像は破壊されたのではない
恥辱のあまり崩れ落ちたのだーーモフセン・マフマルバフ
また、自爆テロなど命を軽視・・・この期に及んで、いまだ、このようなセリフをはく人の人格を疑います。読解力ゼロと判断せざるをえません。逆説的にいえば、いままでの討論を、すべて、否定するものの言説です。反論であれ、批判であれ、相手の言説の何割かは踏まえた上での意見でなければならないのではないのでしょうか。
最後に、ブルカにふれます。アフガン攻撃の口実にされた、女性問題ですが、このブルカは、100年以上?続いている民族衣装です。ちょうど、日本の着物のように。ですから、たかだか、5年足らずのタリバン政権が強要したものではなく、慣習として自然に身についた風習です。
カブールという傀儡都市でのドラマしか見せられなかった私達日本人は、アフガンのことは、イラク以上に、120%の誤解があります。アフガニスタンの素顔を真実つたえているのは、主に、医師・中村哲氏ぐらいしか知られていないのではないでしょうか。アフガンでは、カルザイ政権の下、私達の税金で、更なる殺戮合戦がつづいています。
ちなみに、外出着のブルカをとった室内での女性たちは、とても、美しいです。2人3人のライバルがいるのですから、身だしなみも、まけてはいられません。もともと、イスラム系の人々は、目鼻立ちの整った、美形がおおいですよね。
翻って、日本はどうでしょうか。女性が顔どころか、性器まで露出、精神的・肉体的に、モノ化された状態が果たして、イスラムの人々に比して、その地位が高いのでしょうか。一夫一婦制の日本や米国で、政治家や官僚たちが、裏で、何をしているか、女性がどのように、扱われているか、また、甘んじているか、検証したほうがいいのではないでしょうか。よその、文化風習に言及する資格があるなどという、傲慢な考えは、やめたほうがいい。
高弘さん、あなたは、やはり、何か、大事なものが欠けているとおもいます。他のテーマをみていても、それはかんじられますが、すべて、現象のみ、表面のみをみて、問題にします。現象の底のあるもの、隠れた根源に目をむけません。
たまにちらっと、目にふれても、あなたの中に強固につくられている、「高弘価値観」「願望」の範疇でないと、うけつけません。
わたしは、あなたとたまたま、このさざ波で縁があったわけですが、もしかすると、貴重な出会いであるかと思いはじめています。今まで、私の周りには、あなたほどの率直なひとがいなかっただけで、実は、あなたのような人々がとても多いのではないかと・・・
国会論議みていてもそうですが、マスコミの非主体性もそうです。明らかに、意図した戦争勢力は別として、なにか、暴力的な迎合性、短絡を唯一拠り所にしてアイデンティティーを守る。周りが、そうであればあるほど、より強固なアイデンティティーの確立となり、安心する。こんなことでしょうか。真実から隔絶された世界の構築のなかに、すっぽりと入る素直さが、政権党にとっては、これまた都合がいい。いえ、もしかすると、政権党のなかにも、乗りかかった船と、戦争催眠術の懐のなかに、早々と入り込んでいるものがおおいのでしょうか。