>ecologosさんへ--議論の本質は意外と単純なものです(高弘)
皆さんが的確な事実を指摘されても、高弘さんには響く気配がない。だから、わたしは、あなたの思考の特徴を分析せざるを得ません。
それは何かといえば--「狭さ」。ムッとするでしょうが。初回の投稿では、努めてそのことを浮き彫りにしようとしました。
わたしの投稿に「切り口の違う部分」があると認めてくれたのは、幸いです。具体的な事実認識の正誤については、当面、あまり拘泥しないことにします。
>本当の評価を出すのなら数年掛かると思いますが、
だから、戦争の結果はやってみなければ分かりません。独裁政権による犠牲者数と、戦争による犠牲者数の比較にもとづく戦争の容認論は、根拠薄弱です。
>もしも討論を求めるのなら、望む方が歩み寄らないと上手く行かないと思います。自分がこう思うから、あなたもそう考えろ、と言っても相手は、なかなか応じてくれないのです。誰が聞いても分かるような、筋の通った論調で行かないと、多数派の納得は得られないのです。
主張にはそれ独自の論理構成があります。「歩み寄る」というのはどういう基準で可能なのでしょうか? つまり論理の整合性をどうつけるのですか? 足して2で割る論考はちょと神技です。
筋の通った論調は肝に銘じます。
>体質を変えるのに外部からの力に頼るようでは、もはや政党としては末期状態です。党員の力のみで変えなければ、しょうがないでしょう。
この主張にこだわりますね。その割りに、なぜ党員の力「のみ」なのかについての「論拠」がないのです。「他」の可能性について考慮したのでしょうか? 結論だけが唐突にひょっこり顔をだすようです。思考をめぐらせた形跡が伺えない。
政党を改革するのに、内からだろうと外からだろうと、国民・有権者にとっては関係ありません。
>「重層的・多元的な民主主義観をお持ちではない」。これは意味が良く分かりませんでした。ヒューマニズムと理知が「脱社会化」しているとあったので、この辺を指摘いるのかなと思いました。
内から「のみ」しか変えられない、という「狭い」考え方を、政治の言葉で表現したものです。わたしは党員ではありませんが、共産党をより良くしたいと思って、この掲示板に来たのですが。
高弘さんのヒューマニズムと理知は、いまの日本人と同じで、孤立していて、主体的ではなく、様々な知識・情報に目がいかず、それらと手を組めない--と映ります。