高弘さんは、長壁さんに書いている。
「宗教を中心に物事を考えない方が良いと言う事です。」と。
しかし私はむしろ、宗教を問題の根本にあるとするのは高弘さんではないか、と思う。
「反米・反イスラエルの思想は、イスラム教が、キリスト教やユダヤ教を敵視する、宗教的な意味合いが強いと考えます」
こう高弘さんが書いたから、私はそれは原因と結果を取り違えたような考えだ、と批判した(先の投稿)。たとえ抵抗する側がイスラームの言葉を使ったとしても、それは証明にはならない。イスラエルの「建国」に伴うパレスチナ人の難民化とその後の占領、アメリカの不公平なイスラエル支持・容認があるのだから。(ほかの理由も書いたが)
また、イスラームの「後進性」を、今回の「解放戦争」の正当性補強に使うのも、かえって戦争容認派に不都合なのではないか。今日イスラームの教義に照らして、最も「原理主義」的で、最も女性抑圧的な国はどこか。まぎれもなく、ワッハ-ブ派のサウジアラビアでしょう。例えばイランにもイラクにも、女性の国家公務員や大臣がいたりするのに、サウジアラビアでは、女性は自動車に触ることもできない。しかし、ご承知のように、サウジは米軍基地もある中東随一の親米国家です。しかしその非民主制が批判されたこともない。さかのぼって、ソ連のアフガン侵攻時、イスラム戦士たちをアメリカは自由の戦士と呼んでいた(「ランボー怒りのアフガン」で、ランボーはなぜアフガンに行ったのか)。当時、ビン・ラディンはアメリカの「お友達」(高橋和夫氏)だった。あのタリバンすら、98年以前は、容認・支持していた。
また、高弘さんは、こうも書いている。
「イスラムを貶めるつもりは無いですよ。自分が感じた事を書いただけです。イスラム教を文化として理解する事は可能でしょう。しかし、大半の日本人にイスラム教の考えを受け入れろと言っても難しいでしょう。日本人は、日本人の価値観(宗教によらない考え方)で、物事を判断するからです。」
と。
しかし、 「「無知」は、イスラム教を元にした価値観を作りだし」と書いたのもまた高弘さんだ。こういうふうに、「無知」とイスラームを結びつけるのは、まさにイスラームを「貶める」行為だと思う。イスラームの科学や哲学がなかったら、ヨーロッパのルネッサンスもなかっただろうに。また、私は先の投稿で文化として「理解」すべきことを言ったが、「受け入れろ」(この意味もはっきりしない。ムスリムになる、ということか)などとは言わない。このイスラーム「理解」をめぐっては、先に紹介した小杉泰の「ムハンマド」(2002,山川出版)が、私には参考になった。ムスリムになるのでもない、また、ムハンマドが預言を受けたというのは、ただ彼がそう思っただけだ、としてすましてしまうのでもない、いわば第三の「理解」の道が提案されている。さらに、「日本人は」などと簡単に総括するのもやめたいものだ。今回の戦争においても、日本人ムスリムの、イスラームはもともと平和を求める宗教だ、という文章が朝日に載ったのを読んだが、感銘深かった。
イラクのその後について、あらためて、イラクの「大量破壊兵器」保有、その「脅威」という戦争正当化には虚偽があったのではないか、と議論が出ている。また、二千数百人という、民間人死者の部分的な集計も出ている。後者は、実際にはその数十倍になる可能性があるとも言われてる。
私はこういうことも議論したいが、しかし、やはり高弘さんのこの手の議論と一緒にはむりなのだと思う。「解放戦争」観が違うだけではない。
「劣化ウラン弾は、比重が重く、貫通力に優れているので、戦車砲弾に使用されています。核廃棄物のような物なので、当然被爆が起きてしまいます。このような武器は、使用しない方が良いと思います。アメリカが責任を持って処分すべきでしょう。イラクの人達も自分達の問題なのだから、自発的に撤去しよう、とかは考えないのですかね。」(高弘さん)
しかし、アメリカによる「処分」も、イラク人の「自発的撤去」も、何をするというのか、わからない。各種の非人道的兵器を使って大量殺傷したアメリカの行為が非難されなければならないのはわかるけれども。
また、高弘さんの、イラクの治安に関わって、被害に遭いそうな女性にのみ武器を、という提案にも(アメリカの先制攻撃を受けそうな国にこそミサイルを、という主張が仮にあってもついていけないように)ついていけない。