高弘さんは言う。
「東さんは、本題を取り違えているような気がします。
現在、自分は戦後のイラクの話をしているのに、未だに戦争の是非を問うような話を持ち出したり、アラブ・イスラムの知識の正確さを問うような内容でしょう」と。
しかし、私は未だに「戦争は終わっていない」と考えるし、未だにその是非が問われなければならないと考える。また、いくら「考え」や「思ったこと」でも、事実に即していなければ、結果として他者を(時には死者を)「貶める」ことにもなろうから、そこは私なりに正したく思う。
「解放戦争は、戦争が終結すれば、犠牲者はそれ以上出ません」とは、(たぶん繰り返し言われた)高弘さんの発言だが、少なくとも今回の戦争について言えば、私にはとんでもないと思う。17日のNHK、BS1の23時からのニュース番組で、イラク戦争特集の第2回目として、市民への被害が取り上げられていた。そこでは、今も毎日のように、不発で地雷化したクラスター爆弾による死者が出ること(その被害にあって体の麻痺した裸の少年が横たわり、股間に缶があてがわれているように見えた。そばに父らしき男性がついていたが、哀れだった)、水道施設の爆撃による破壊で汚染された水によって子どもが病気になって死ぬ。そういうことが取り上げられていた。今も、だ。そういう事実があるのに、今もなお、何人死に、どういう犠牲が出たのか、その被害がきちんとまとめられる気配が(占領軍側に)ないからこそ、まだ終わっていない、と言いたい。
また番組では、周囲に軍事施設もないのに、爆撃されて子どもを吹き飛ばされ、義兄も死に、自分の顔は多くのガラスが突き刺さって失明し、みるも無惨な顔になったモスルの女性(彼女は親戚もいるアメリカでの治療を望んでいるが、米軍により出国が許可されない、という)や、車で避難途中、米軍と遭遇して銃撃され、4人の子どもを(たしか妻も)殺され、自分は右足を失った男性などが証言していた。もちろんまた使用された劣化ウラン弾は、多くのイラクの子どもを白血病にして死なせることだろう。だから、「犠牲者はそれ以上でません」にほど遠いから、「終わっていない」し、「未だに戦争の是非を問う」必要があると考えるのだ。
もしそれが「正義の戦争」であったというのなら、まず何人の市民が犠牲になったかだけでも、必ずまとめられるべきだと考える。そうして、今後のためにも(独裁者はほかにもいることだし)何人の犠牲ならその「正義」と釣り合うのかを、やった側、支持した側は示してほしいものだ、と考える。
また、同番組では、南部の都市バスラで、埋葬された子どもに母親が「坊や、どうしてお母さんをおいていってしまったの。出てきてちょうだい」と泣いて呼びかけていた。人情はムスリム女性も、ウェストモーランド将軍に、人命を尊重しない、と言われたベトナム人(その母親)も、まったく変わらないものだと思った。
私には、例えば「劣化ウラン弾」について、イラク人に「自発的撤去」を促すような発言が、湾岸以後のその被害の事実を知らない許し難い発言に思える。