分析する前にまずecologosさんの考えを示したらどうでしょうか。
分析をして、批判して、それで終わりでは、全然主体性が無いでしょう。
ecologosさんは、高弘の精神分析をしていますが、何が言いたいのでしょうか。
ecologosさんの立場や、考え方を明確にしてから、討論に入るのが筋と考えます。
このように、心理学者が患者を分析するような内容は、はっきり言って不愉快です。
しかし投稿欄に興味を持って、投稿しているはずです。
討論するのにふさわしい内容なのか、少し考慮してから投稿する事を望みます。
『人の生死に関わる戦争の是非の話をしています。その厳格な言説を展開することを第一義にしているはずです。楽しむためなどではありません。』
それは、人それぞれでしょう。
投稿者が、どのような姿勢で望んでいても、それは投稿者自身の問題です。
不快で不毛な討論より、建設的な討論の方が好きです。
『気持ちを楽にしようという「枠組」を思考にあらかじめはめることは、思考上の「怠慢」です。』
怠慢、怠慢と言われても理由が良く分かりません。
少し肩の力を抜いて世の中を見渡せば、もう少し冷静な討論ができるかも知れない、と言う事です。
『戦争容認論に導く人格なら、それは「治外法権」ではありません。』
導こうとは特に思っていません。
イラク戦争に対して賛成したのは、それが現実的な対応と考えたからです。
自分の投稿を読んで、何か感じて貰えれば幸いですし、何の参考にもならないと思えば、それで結構です。
『人格の一部を否定されたからといって、全否定ととらえるなら、それは間違いですよ。』
一部を否定されただけなら、そうでしょうね。
しかし一連の討論でかなり侮辱されました。討論相手の投稿内容を見れば分かります。
『戦争がある現実は「普通」ではありませんからね』
普通と言うのは、合理的で、多数の人間が、自然に認識すると言う事です。
一般新聞やテレビは、ごく自然に目にするでしょう。
赤旗や書籍は、明確な意思を持たない人間は、購入しません。