丁寧なお返事に、実は、感動さえしておりましまた。
そもそも、私が、ここさざ波に参加したきっかけは、できるだけ、価値観、視点の異なる方々との論争を通じて、「核」となるものを共有し、世の中を希望につなげたいーーとおもったからに他なりません。
ただ、時が時だけに、わたしからみれば、急激な右傾化に向けて、逆流し続ける世論に、対抗するべく、力んでしまったという感が無きにしも非ずです。
今まで、私の意見に対して、「核論」が返ってこなかった点(それは、賛否両論いえることですが)を、この3週間あまり、考えておりました。
何か、私だけが熱くなり、空回りしている間に、世の流れは、逆流を強め、住基ネット、個人情報保護法案、有事法案、イラク特措法案、といった戦争動員法が着々と仕掛けられていくことに、心の底から、恐ろしく、虚しくなっておりました。
ここさざ波でも、筆坂セクハラ事件や綱領問題には、数多い、熱い意見がよせられています。が、こと目の前の、日本が軍事国家に様変わりする法案が、およそ民主主義国家といえない悪行で決定されていくことに、あまりに皆さんの声がちいさい。賛成なら賛成、反対なら反対でいずれにしろ、今こそ、大きな声を、一人一人が上げるときではないか。熱気ほとばしる侃々諤々の議論になるのが当然と・・思っていた私は、気がぬけてしまったのです。
先に、イラク特措法案が通り、私なりに今までたたかってきたものの正体が露になりました。つまりは、イラク特措法案を通す「日本国民の民度」が暴露されたと、認識しました。一般人から政治家個々の民度の集積が、この度の軍事国家日本におしあげました。実は、先の有事法案が通ったとき、この流れは、十二分に予測できたことですが。
さて、私のこうした前置きにたいして、大歩様の、一連の悪法?にたいする考え方をおきかせいただきたいものだとおもいます。
その前に、大歩様からの質問、あまりに基本的で、左右の核をなしているであろうその問いに、おこたえしなければなりません。
その一、私は、国の独立と平和を守る「勢力の存在」は必要だとおもいます。不要だとは、思いません。
日本の国に生存し、どこにも、逃げ場がない私は、この国で殺されたりしないで、できるだけ、平和に生きたいし、こどもの将来もまた未来も、平和な日本であり続けてほしいとねがっています。
ただ、それが、軍隊だとはおもいません。たぶん奇麗事だと反発をかうのでしょうが、日本の地理、歴史からいっても、この平和な日本をまもるのは、あくまで、「平和憲法」であり、平和外交です。
これほど、強力な武器は、ほかにありません。その証拠に、戦後、58年間他国からの攻撃に一度もあっておりません。邪悪なテロリストがその気にさえなれば、一発でお陀仏の原発列島日本国がです。このことの自覚を、わたしたち日本人は、肝に命じるべきではないでしょうか。
北朝鮮の拉致? これは、次元の違う話でもありますし、7/25正義味方さんに糾弾、詰問をされているので、こちらで、きちんと、返答したいとおもいます。
結論として、祖国が大事であるのは、みんなおなじです。祖国をまもるのに、武力が一番だとおもっている一部の勢力が、戦争に躍起になっておりますが、大きなまちがいであろうとおもいます。
その二、国内において災害の派遣に当たったり、状況により治安の維持に当たる勢力の存在は必要だとおもいます。不要であると考えはしないでしょう。
ただ、右翼愛国者は、なぜか、こうした国内の防災・治安を必ず、軍隊にむすびつけます。石原都知事がいい例です。9月一日の防災記念日には、銀座で戦車をはしらせてみたり、地下鉄を自衛隊が陣取ってみたり、ことさら、赤旗記者を愚弄してみたり・・まるで、トンチンカンな結びつけをしてみせます。
日本の防災といえば、いの一番に考えられるのが、地震でしょう。国内の災害救助をするのは、当然、国の責務です。
私は、武力を伴う軍隊は不要とおもっていますから、自衛隊はこの際、「災害救助隊」と名称変更し、地震、台風 など、自然災害に備えるべきだとおもっています。
今日まで、それなりの、任務を果たしてこられたことも 存じております。ただ、日本の場合は、名称も、警察予備隊から自衛隊という名称になったまま、その本質は最初から軍隊であり、今にしてようやく、「軍隊」に昇格云々と、小泉さんが騒いでいますが、どうして、いままではそうした本質を隠し、今になって、ひらきなおったように、軍隊軍隊というのでしょうか。
歴史を紐解けば、敗戦後、米国が日本に憲法を与え、警察予備隊創設を承認し、いわば、アメとムチの役割をかねていたものとおもいます。米国を超えない程度に軍事力をもたせ(核などはもってのほかです)、北東アジア地域の番犬としておきたい狙いがあったものとおもわれます。
それぞれ、アメとムチでうまく調教されながら、日本国民は、米国の意のままに今日まできたのです。もちろん根っこには、広島・長崎に投下された原子爆弾の脅威があります。今もむかしも、米国のやることは、ワンパターンなのです。
小泉ら時の権力者たちが、その延長線上で、自らの延命を図るのは、ある意味、とうぜんのことでしょう。先に桁違いの米国債を買い、ブレアはブレアで個人口座にブッシュから、多額の献金を振り込まれるなど、開戦まえの根回しの周到なこと。
そして、大歩様の文章のなかで、気になる文言が常にでてくるのですが、あなたは、どうして、私達民衆の安全や災害時の治安などを、「ある勢力」とするのでしょうか。
ちなみに、治安の対象として、どのような場合・人・ものを想定されていますか。
石原氏がすきな「治安対策」。私は、この人からこの言葉をきくと、身震いがします。
過去、災害時の治安対策で、最も有名なのが、6、000人の朝鮮人虐殺事件です。関東大震災のとき、朝鮮人差 別の延長として、「井戸に毒」の流言蜚語を、当時の日本人どもは、その不安定な感情を刺激され、隣近所のじじばばまで一丸となって、ちょうせんのひとたちを襲撃しました。竹やりやら石つぶてなどで・・・このとき、朝鮮のひとたちは、反撃さえできず、殺されていったのです。
こうした、実にいまいましい愚かな性癖を併せ持つ日本人、ある環境が与えられれば、易々とその流れに加担する日本人の特性とでもいえばいいのか、あるいは、石原氏の得意な「遺伝子」に起因するものなのかはしりませんが、この残虐性は、他国の戦地でも、思う存分発揮されたようです。
もちろん、こうした残虐性が日本人のみのものと、特定するものではありません。アメリカのブッシュにもみられるように、大方、大国の侵略する側の輩が、こうした醜い面を遺憾なく発揮するようです。
恐らく、右翼的なかたがたは、そうした日本人の資質を直視する勇気をもっていないのでしょうね。事実を検証する前に、否定し、事実が暴かれるのを恐れる余り、捏造・隠蔽します。「つくる会」の歴史教科書も、東京都の養護学校にごり押し導入されたことからでも、十二分にその意図がわかろうというものです。
最近の資料ですが、米軍の爆撃隊を硫黄島で捕まえた日本軍が、その肉を食らったということを、右翼の方々は、きくこともないでしょう。ブッシュの父親がこの件で、日本人への生理的嫌悪感を致命的にしたということですが。
これはこれとして、抵抗する従軍慰安婦の首をきり、煮えたぎった鍋に投げ込み、残った女性たちにそのスープをのませたということは、某著でしりました。
とにもかくにも、人間が人間でなくなるときの、おぞましさは、いまわしいばかりです。ネオナチもそうです。あのときも、連合軍に遅れまじと、日本は国際連盟を脱退し、ネオナチ率いる狂気の戦争に突っ走りました。
従って、治安対策というのは、地下鉄サリン事件であり、国内の混乱は、むしろ、隣近所の助け合い・信頼こそがたいせつであり、警察が補充するべきものえはないかとおもうのです。今までの事件をみていても、およそ、治安対策で、功をなしたといった例をしりません。
ですから、石原氏の外国人差別・民族差別発言など、日本人の劣情を煽るような流れは、最も危険きわまりないものだとおもいます。阪神大震災、この度の宮城地震、北海道の台風など、生きた教訓が山とあるではないですか。過去、いずれも、もっとも、中心的な力になったのは、在日のひとびとから高校生までのみんな協力でした。
最も不足だったのが、災害救助隊であり、指令系統であり(中心人物はゴルフをやったり、テニスに興じたり)、その不手際により、何人の方々が命をおとされたか。警察の不祥事も、例はあまたありますね。ミスから恣意的なものまで。
結局、一番大事なことが優先されていないからだとおもいます。自衛隊を例にあげれば、米国の手先となって活動する機能が中心ですから、自国を守るどころか、災害時で さえ、十二分にはその力を発揮できません。
大歩様、あなたの敬愛する自衛隊諸君が毎年、膨大なかずの自死を選ばされているのを、どう、ごらんになりますか。
公権力にある人間が、ホントのところ、何を実効し、その言説で、誰を元気付け、あるいは、貶め、精神的殺戮をなしていないか、私達は、本質を見る必要があるとおもいます。
{あとは、次回〈明日)にします。長くなりすぎました}