投稿する トップページ ヘルプ

「イラク戦争」討論欄

大歩危さまへ その②  過激ということについてーー北東アジアの一員として

2003/8/18 長壁、40代、金融

 「自衛官」を犯罪者とか呼ぶのは、一般には許されない暴言ですーーにたいしては、同じような問いを未来派さんにお答えしたくおもいますので、ここでは、省略いたします。
 さて、私が大歩さまから意見をいただいたのは、3度目でしょうか。大歩さまの律儀な真面目そうな印象を文章の中から推察し、私の認識論とかなり隔たりがある方だと思いながら、気になっておりました。
 そして、今回、大歩さまの本音をいっていただき、その直截ぶりに、私はこころをうたれてしまったのです。
 ご自分の論理を展開して、過去、没になったこと。
 私をどうしたら、理解できるか、考えてくださったこと。
 そして、わたしの投稿に「過激派の論理」に近いものを感じるとおっしゃったこと
 これらいちいち、私は、素直にうけとめて、正直に返答しなければとおもいました。
 まず、大歩さまの理論「共産主義は人間の本質を理解していない、即ち建前のとおりには実行しえない教義である」原稿が、何故没になるのか、私にはわかりません。ここさざ波に、私は、半年強の参加なので、よくわかりませんが、一、二年前の編集部とさざ波投稿者のやりとりをみても、さほど、不当な選別はされていないとおもうのですが。
 たとえば、綱領問題えも、実に熾烈な意見、中身の濃い論争がたたかわれています。それらに、この教義の矛盾点を突く論争をされてはいかがかとおもうのですが。
 「アメリカによるイラク占領反対、自衛隊はイラクへいくな!・・」といった侵略戦争反対のさざ波ですが、過去、これと、真っ向から反対する立場の高弘氏の原稿を、実に長く、異例の扱いで掲載しました。本人は、まだ気づいていないようですが、侵略の意味も、日本と各国の関係性もまた、イスラムの世界、その国の文化も全く、理解しようとしませんでした。最後に、JOLさんに論争する姿勢のなさを指摘されても、聞く耳をもたなかったようです。このように、さざ波の寛大さは、かわってきているかもしれません。
 ただ、わたしも、過去三度ばかり、原稿が没になっております。二本は、著名人の個人攻撃のせいであろうとおもいます。一本は、イラク特措法案が通ったとき、無力感のなかで、「戦争構造」をいっておきたかったのですが、どうやら、主体が曖昧にみえたのかまた、私のうったえが届かなかったのであろうと、解釈しております。
 わたしは、さざ波にもいってきましたが、左右双方、本音で語る場でないと、議論は深まらないとおもっています。イラク戦争を解放戦争であると、盲信する人とも意見を交え、その視点の根拠を浮き彫りにしないと、日本全体の危険性は、なくなりません。日本列島がファシズム一色にぬりつぶされようとしているわけですが、そうした現実のなかで、生存しているのですから、その意識度は100人100様です。
 先日、私よりも年配で、それなりに今の情勢に造詣の深いかただたのですが、危機感の度合いには、溝がありました。それほど、国家権力の世論誘導は、巧みかつ高度です。
 結論ですが、さざ波のスタンスはスタンスとして、みんなの原稿を萎縮させないような配慮はあっていいかとおもいます。たとえば、没なら没でいいですが、一言コメントするとか〈多忙で困難でしょうか)。
 時代が時代だけに、いずれ、言論統制の圧力は目にみえるかたちでおしよせてきます。今このとき、本質論を問う議論ができていないのは、やはり、かなり異常だとおもいます。
 大歩さま、私は共産主義について、あまり詳しくありません。日本共産党の歴史も、綱領も、小林多喜二も、日本史や一般の新聞、赤旗記事で知るくらいで、なにか、特別に勉強したことはありません。
 ただただ、9・11~「目覚めた」という言葉でしか、いいあらわせません。世界の人間の不条理を認識して、私の視点がかわったにすぎないのです。同じものをみても、その人間の視点は、根ざす価値観によって、大きな差異をともないます。自分の生活、自分の立場から一方的に相手をみていては、相手側の視点はなにひとつ、わからないでしょう。ということは、こちら側からみているつもりの相手も、実は見えていないということなのです。今の北朝鮮バッシング派の世論に、こうした傾向を強くかんじます。
 そして、大歩さまに感じることは、日本国民という、日本の価値規範にからめとられることに、なんの疑いもお持ちでないのかなということです。職業柄支配層に近いかたなのかもしれませんが、権力は、ときに、とんでもない暴走、間違いをおかします。いえ、目立たないだけで、間違いばかりするものだとおもったほうがいいのかもしれません。共産党もその一つではないでしょうか。
 ただ、大歩さまは、とても謙虚な方であろうとおもっています。小泉氏、石原氏にたいして、罵詈雑言投げつけて非難する私に、こんなにも、丁寧な返事をくださるのですから。
 それはそれとして、そんな大歩さまからみれば、私は、「過激派の倫理に近い」ものを感じられる由、どうしてなのでしょうか。
 「過激」ということばを改めて、辞書でひいてみました。
 --行動・思想などが激しすぎること。急進的。
 過激派ーー①過激な方法で主義を実現しようとする人々
      ②ボルシェビキ 
 目の前で、残虐なそれこそ過激な殺戮がやられているとき、反応するのに、穏やかに、傍観者のごとく論評したり、シニカルに眺めていることが、自然なのでしょうか。普通なのでしょうか。大歩さま、私は、そのときどきの意思表現はどうであれ、こころの底に沈殿する怒り、不正に対する憤り、根源に対する深い思い、これこそが、私の過激の源とおもいます。
 また、わたしは、イスラム教にたいして、なんの教養ももちあわせておりません。宗教にも縁がありません。在日のかたがたには、この間はじめて、地元の女性たち数人を紹介していただきました。北朝鮮の真実の姿がしりたくて、彼女たちの本音をきくためでした。朝鮮料理を食べながらお話したのですが、私は辛いものは苦手で、まだなじめません。
 私は、あくまで、皆さんと同じで、この日本のシステムのなかで、普通に生活する、平凡な人間の一人にすぎません。普通のメディアに触れ、そのなかで、疑問を感じ、勉強会にたまにいき、市販本は100冊以上購入しましたが、まだ半分ぐらいしかよんでおりません。
 最近、読了したのが、「日朝関係の克服」集英社新書 Kang Sang-Jung  はからずも、わたしの思いとぴったり重なる部分が大でした。私は、あくまで、日本が北東アジアの一員として、強力な平和体系を構築するリーダーシップをとることを、希望します。そして、ネオコン米国の危険な流れを、封印するために、その流れをすこしずつ、少しずつ、変えていく。これしか、ほんとうに、日本が、世界が、地球がいき残る方策はないのです。