2003/8/18 の長壁 満子さんの意見につきまして、
「自衛隊員にイラク人を殺させてはいけない。自衛隊員が殺されてはいけない。これが自衛隊のイラク派遣に反対するひとの願いでなければならない筈です。」
これはわたしの言葉です。吉岡氏の言葉ではありません。
わたしの趣旨は、暴力機構としての自衛隊と、それを構成している個々の自衛隊員とを分けて考える必要があるということです。権力の実行部隊として、加害者になりまた被害者になる最も矛盾した立場に立たされる彼らの苦渋にも想像力を働かせて反戦をいってみてはどうですかということです。
沖縄をはじめ日本の米軍基地には多くの日本人が働いています。彼らも戦争協力者なのでしょうか。大企業では戦車のキャタピラや大砲の弾を作っている労働者もいるはずです。
ひとりひとりの置かれている立場はきわめて弱いものだと思います。だからこそ、それを利用した権力の犯罪を許せないのではないでしょうか。
もうひとつ、わたしが自省なら理解できると書きましたことを下記のことではわかってもらえるでしょうか?
かって日本の軍国主義が中国、朝鮮をはじめアジアの国々を侵略しました。そのとき銃後にいた大人が日本国民として侵略戦争を阻止しえなかったひとりとして侵略戦争に加担したことになるのではないかというのは自省であって(戦争責任とは別です)、他人におまえも加担者だと強要するものではないということです。(侵略された側からは言えるかもしれません)それがひとの内側に呼びかけるものとなって(人それぞれに抱えてる事情は違うはずです)、だから二度と戦争をしない国にしようという共通認識に高められ、引き継がれていくのだと思います。
わたしは長壁さんの手にかかると、小泉派で自衛隊擁護者で戦争加担者になるようですが、ちょっと悲しく思いました。同調しないと敵になるのでしょうか? 改めてひとがひとを理解するのは大変なことなのだと認識を深めました。
基本的にはわたしと長壁さんの寄って立つところは同じだと思っています。ただ、わたしは目線をもう少し低くして状況を見ていきたいと思っています。