赤旗・朝日メディアのバカの壁
「無差別に人命を犠牲にするテロは、憎むべき卑劣な犯罪者です。」
壊れたエンドレステープをまたまた引き出してきました。赤旗さん! 「無法な戦争がもたらすテロ」なのだから、「無法な戦争」を糾弾・掃討することが先決です。同時並列では、言い訳にすぎない。こういうときこそ、テロの根源=アメリカの犯罪=その犯罪の傘下にある国連・多国籍軍の構図を、徹底的に明らかにし、イラク民衆の深層心理に迫ることが肝要では? はっきりいいましょう。国連国連と、お題目を唱えてきた共産党ですが、国連べったりから、少々、距離をおきましょうよ。国連の立場、位置、今日までになしてきた功罪を、今こそ徹底検証しましょう。どうも、共産党は、小林多喜二から始まり、さまざまな党に関わる重要事件を、曖昧にしてきたようです。この体質があるかぎり、根源をぼかし、都合のいいときどきで、文言がかわるのです。つまり、ダブルスタンダードで、戦争反対をいうから、ブッシュやコイズミ戦争推進勢力にまんまと、絡めとられてしまいます。
数日前には、あろうことか、パレスチナ人カメラマンを米軍は殺しました。17人目だそうです。米軍が、イラクで、何をやらかしているか、この一連の悪行を検証するだけでも、一目瞭然ではないですか。一般民衆を殺戮しまくり、生き残った民衆の怒りをかい、民衆の抵抗・抗議にさえも銃を向ける。その真実を報道するジャーナリストまで、抹殺する。
こうなったら、民衆には、命と尊厳を踏みにじるものに対して、どう、抵抗しろというのですか。口では、あなたがたは、イラク民衆の抵抗をみとめながら、米軍の犠牲になった複数のイラク人には心をよせるふりをしながら、民衆を代表する力をもった? 自爆攻撃は、その犠牲がたまたま大きかったというだけで、上記のようなカビのはえたセリフをくりかえす。恥をしらないのですか。
今回、「起こりうることが予想できた」と、国連職員もいっていたでないですか。一般庶民の私でさえ、9・11までに何かが起こるとおもっていました。素直に今のイラク情勢をみれば、イラク人の人たちの気持ちをかんがえれば、そして、アラブ世界の民衆の思いによりそえば、起こるべくして起こったといえるものです。それを、「国連を標的にするとは」と一様におどろいてみせる。チャンチャラおかしいとはこのことです。いったい、国連は、イラク民衆のために、実質、なにをしたのですか。米軍の戦争開始もとめられず、米軍の更なる蛮行も結果的に黙認。イラクのひとたちに、国連の姿がどう映っていたか、そんな最低限のことさえも気にせず、緒方氏は、平和外交をやってきたのですか。
私は、アフガン攻撃のころより、共産党の視点が甘いとおもってきましたが、この期に及んでも、進歩はありませんね。党員ばかりをせめるわけにはいきません。戦争構造を見極められない人間が、複雑に絡み合うプロパガンダ戦争を、とめられるわけがない。戦争勢力にかてるわけがない。共産党も、他党と同じか、大して差異のないランクですか。もしかすると、社民党が、もっとも、いいかもしれません。共産党のイラク戦報道はかってましたし、中には、目覚めた記者もそだっていましたが、どうしてこういう大事なときに、彼等のコメントを活用しないのですか。現場をしらない、幹部の公式セリフも大事でしょうが、紙面を変えて、イラク民衆の真実の思いを掬い取る記事を掲載してください。
今回、爆撃地は戦争口実(この視点も理解できないですか)のための、大量破壊兵器査察場だったというでないですか。イラク民衆は米国の戦争の欺瞞、あるいは、日本を始めとする世界世論の矛盾など、とっくの昔にみぬいていますよ。殺る側の人間のダブルスタンダードもね。
「我われの意志がゆらぐことはない。殺人者を裁きの場にひきだすまでたたかい、我われは勝利する」とか、「イラクとその国民、国際社会全体の攻撃だ」と、オウム返しにくりかえす米英のバカ大統領を、元気づけることのないよう、共産党は、ここらで、頭を冷やしてください。
7面、エジプトの政府系紙アルアハラム「イラクの抵抗運動に大きな変化がおきたことは明らか」「これ以上の流血を防ぐ唯一の道は(米英が)イラク占領をやめて出ていくことだ」
この小さな記事の文言こそが、イラクの、アラブ民衆の本音であり、侵略戦争の根本解決なのです。軍隊が撤退したあとに、国連は、思う存分、人道援助でも放射能撤去でも、地雷撤去でもやってください。
朝日3面「国連関与の決意、米に示せ」と、ニューヨーク支局長、
「これは国際社会そのものへの攻撃だ。バグダッドの国連現地本部に対する爆弾テロについては、そういいきっていい。・・米国の下請けのような役回りが、テロの標的にされる事態につながったのだろうか。」とかきながら、「イラクでも、アフガニスタンでも、米軍のにらみなしには、人道援助も復興支援も立ち行かないのが現実だ」と、これまた、おためごかしをはく。
この人は、1年ほど前、アフガンの傀儡都市カルザイ政権に言及し、「地球儀」で、北部同盟が米軍の支持の下、タリバン兵の捕虜(民間人も?)1、000人をコンテナ詰め窒息死させた件をとりあげている。国連人権委員会が1,2度調査に動いたが、中止されたことについて、「残念なことであるが、過渡期の正義として、やむをえないことだ」とコメントした。
私は、驚愕し、それまで北部同盟と米軍の悲惨きわまりない殺戮に、おののいていたばかりだったから、「過渡期の正義」とはなにごとかと、悲憤慷慨し、某作家にコピーを送り感想を求めた。氏の口から返ってきたものは、そんな私への違和であり、「あなたは、趣旨を読み違えている」とのことだった。
私は読み違えてなどいない。その後にも、幾人かの知人に感想をもとめたが、私の意見に異論はなかった。そのとき以来、私がさとったのは、ジャーナリスト及び著名人は、真実や正義でモノをいったりしないものだということである。その作家も、真の反戦作家でないかと注目していただけに、痛く傷ついたものである。ただ、今考えるに、彼は、たぶん、「地球儀」の記者と懇意であったのかもしれないとかんがえたりする。1、000人の人間をコンテナで虐殺する行為をやむをやぬとする思考。
勝てば官軍のカルザイ政権をになっている北部同盟の犯罪及び米軍の責任問題になると、再び、混乱、基盤が脆弱となるという恐れゆえ、人権問題を明らかにしないことを恥ずかしげもなく、正義と呼ぶ。
戦争とは、このようにして、いつでも、欺瞞と隠蔽でよってたつということである。ジャーナリズムの真実を伝えんとする人間は、最後までその視点を貫くが故に、消されてしまうのだということである。
「米軍の睨み」云々というのなら、更なる混迷のなか、20分の時差で、600人のタリバン兵が額に釘を刺され殺されている現場にいて、しかも、もと民兵もたりタリバンもいるアフガンの地で医療活動と井戸掘りに専念する氏が、どうして、今日まで、安全でいられたか。国会で、「自衛隊はいらない」と証言された氏を、前国会議員はきいたはずである。2年前のこの言葉を、真摯にきいたものなら、これほど、ばかばかしい戦争観をもつこともないだろうし、2度も戦争を体験しておきながら、いつまでも、ノウテンキな珍論をはくことはしないだろう。コイズミも不破も志位も菅もである。有事法案に反対しなかった全国会議員にいえることでもある。氏は、今、日本の愚か者のせいで、肩身の狭い分、それだけ信頼を基盤に、更なる活躍をされている。
もしかしたら、私達日本人は、こうした氏や日本ビジュアルジャーナリストの面々のようなかたたちによって、かろうじて、まもられているのかもしれない。共産党のように、偉い人同士との交流もいいだろうが、ほんとうの信頼は、地道な活動と真の理解があってこそではなかろうか。そして、なによりも、相手の視点を理解することである。日本のジャーナリストが、目覚めるか否かによって、戦争抑止・解決は決まる。もちろん、日本・世界の民衆が先に目覚めるかもしれないが。