長壁さんへ。あなたが言いたいことは、
①イラク侵略・占領のもとでは国連へのテロ攻撃は正当であり支持する。
②同上テロ攻撃を正当化とまでは断言できないが、その攻撃主体の心情を理解できる。
③米英連合軍の侵略・占領によるイラク民衆への殺傷・人権侵害等をまず批判しなければ、国連本部へのテロ攻撃を非難する資格はない。
ということですか?
上記3点は、同じ主張ではありませんが、あなたが言っていることはどれでもあるように読めます。
①については、前回、私が書いたとおりです。
> 戦争を遂行した米英の更なる無法な占領政策の上に今回のテロ攻撃がおこったことの重みを、しっかりと認識してくれませんか。
と述べられていますが、その認識をすることが自動的にテロ攻撃容認・賛成論にはなりません。なぜかは前回記した通りです。
> 今回の事件は、まず、非道なアメリカ及びイスラエルの蛮行を黙認している国連つまり、国連を代表する世界への異議申し立てです。
「異議申し立て」のためのテロ行為によって、その場にいた非武装の職員・関係者を殺傷することがなぜ正当化されるのですか? それなら米英をはじめ(日本も含めた)在外公館や本国官庁、さらには同諸国の企業の事務所等へのテロも支持するのでしょうね。自らの「正義」のために人命を奪うことを合理化する「思想」は、まさに9/11やそれへの「報復戦争」を推進するテロリズム思想です。
②は事実上テロ攻撃を容認する態度ですので、私は反対します。まして、「社会の変革」を意識的に追求する立場にある個人・運動が、こうした「甘えた」いい加減さをもつことは結局、その「社会の変革」なるものの内容も、非常にいい加減で情緒的・心情的なものでしかないと判断できます。
もちろん、亡くなった国連職員がイマジンの歌とともに悼まれる様子が全世界の人々に届けられるのに対して、あなたが力説する米英連合軍の攻撃によって殺された幾千倍の民衆の死を具体的に私たちは知らされません。家族を悲嘆の苦しみに突き落とす同質の死が、非対称的に扱われている現実があります。しかし、そのことが非戦闘員を攻撃対象にするテロリズムの犯罪性を合理化することにはまったくならないのです。矛盾や非対称性への怒りをテロに短絡させたり、テロを容認させたりする心情こそ、矛盾や非対称性に理性的に立ち向かう道を妨げ、結局は現実を暗転させるだけだからです。
農民の貧困への怒りから政治家等を襲った昭和初期のファシスト、東アジア反日武装戦線や連合赤軍のような幼稚な「革命家」きどりの犯罪者、一般市民を拉致する国家犯罪に手を染めた集団等を私たちは、知っていますよね。こうした人々を擁護してきた心情とあなたの心情は非常にそっくりのように思えます。
③について。私は、「イラク戦争」に反対ですが、私の前回の文章の主題は「バグダッド国連本部へのテロ攻撃」に反対、そしてそのテロ攻撃を合理化するような思想への批判ですから、「イラク戦争」への非難に焦点をあてたものでないことはおわかりですね。