さっそくの返信ありがとうございます。
私が問いたかったのは、「テロリストに同情すべきでない、いかなるテロも容認すべきでない」と主張するとして、そこから具体的にどのような行動が私達に求められるのかということです。その点で私は、「テロを容認しない思想」という表現は空虚だという気がしています。そこで自分自身については「テロは無くさなければならない存在であると考える思想」と表現することにします。長くなりそうなので、今回はとりあえず、個々のご指摘にコメントしておきたいと思います。
>国連本部へのテロ実行犯はどのような人々だと想定されて書かれているのでしょうか?
複数のグループが犯行声明を出していますが、真相が明らかになっていない時点での一般論として広い意味に定義すると「主として米国の世界戦略の中で、歴史的に虫けら同然に扱われ続けてきた一群の人々の中に生まれた、米国的なものへの憎悪を行動指針とする人々」とでも言えるでしょうか。あるいはその中で、「イラク戦争の開戦以降、今日までに犠牲者を出したグループ」と絞り込めるかもしれませんが、あくまで可能性としてだけの話しです。
>テロを(事実上)容認する思想そのものが、テロリストを支えている
この点は重要なポイントですが、私はそうは思いません。彼らを「支えている」のは「極限まで膨らんだ憎悪」であって、それは、味方が少なければ少ない程、癒すものなく増幅される性質のものです。容認しようがしまいが、彼らの行動が、そうした「世論」そのものによって左右されることはないでしょう。国際社会が容認しないとして、具体的に彼らの行動を縛るような「行為」が実行に移される場合に限り、なんらかの影響を与えるでしょうが、それも、テロを無くそうとの目標にとってプラス、マイナスのどちらに作用するかはいちがいには言えないと思います。
>テロリストを容認する思想は、「敵を殺せ」「敵の人権を認めない」という全体主義思想とつながっており
この点がN.Kさんの主張の核心であることは良く理解しているつもりです。また、そのお気持ちも良くわかります。ここで「死刑」という制度について考えると、「犯人を殺せ」「犯人の人権を認めない」との被害者や国民感情なども考慮して判決が下され、死刑(=殺人)が実行されます。それを社会が受け入れているのは、民主的手続きによって定められた法の制御の元(法の元の平等)、刑の執行が国家権力によって代行され、それによって私的な報復罰の禁止が納得されているからでしょう(私はそれでも死刑制度に反対ですが)。もし、法の元の平等が守られている社会で私的な刑罰(=テロ)が実行されたら、それは犯罪であって、もちろん容認されるべきではありません。
ところで、そもそもイラク戦争の開始とその後の戦闘行為の態様は著しく国際法に反したものでした。米英の蛮行によって無法な世界が現出せしめられ、その中で圧倒的強者による圧倒的弱者への大量殺戮が実行されました。失われた人命を過去のものにできずにいる者、今なお「掃討作戦」の標的にされ「戦中」にある者らにとって、「戦後復興」などというまやかしの言葉を用いて、戦争はもう終わったものと見なし、過去を不問にしようとする一切の勢力に対して憎悪の感情が膨らむのは自然なことだと思います。
まがりなりにも人権が平等に扱われている社会で「敵を殺せ」「敵の人権を認めない」というのは非難されるべきです。しかし、そもそも人権が徹底的に踏みにじられ、法に見捨てられ、現に殺人の標的にされている現実を生きている者に向かって、その現実を変える努力をする前に、自らは人権が守られてぬくぬくと生きながら「敵であっても人権を守れ」とは、少なくとも私には言えません。私が(一般投稿欄で)「ブッシュ、ブレアを国際刑事裁判所へ訴追せよ」と呼びかけるのは、国際法秩序を回復する努力をして、それが実らない内は、一般論的なテロ非難など(自分には)できないと考えるからです。
><テロ批判をしないほうがよい>という立場のあなたが、煽動者を「摘発、処罰されるべき」(米占領軍及び指揮下の警察力によってですよね)と言われるのは、矛盾されていませんか?
私はここで言う「煽動者」を「自らは安全な場所に居て、隠された野心のために裏で自爆「テロリスト」を組織し煽る者」と限定的に用いています。この度の国連現地本部に対するテロ事件については、N.Kさんが仰るように、その規模からして組織的な「犯行」に違いありません。仮にその組織を、私がここで限定的に用いている意味での「煽動者」が牛耳っていたとしても、少なくともその中に、自爆を決意した者がいたのは確かです。私は、両者を区別して考えるべきだと思います。また、「摘発、処罰されるべき」とは、現在のイラク国内において、現状でなすべき「作戦」とは考えていません。そもそも国際法秩序が破壊されてしまっているからです。なお、繰り返しになりますが、私は一般論として「テロ批判をしないほうがよい」と主張したつもりはありません。先に書いたような認識から、現在のイラクやパレスチナで起こっているテロに対して「それ」を言う資格が(自分には)ないと思っているだけです。
>「テロと戦争の連鎖」とは? イラク戦争は9・11への報復戦争ではありませんよ。
そもそも9.11がなぜ起こったのかを論じなければなりませんが、この問題に深入りすると長くなるので割愛させて下さい。
>米英国民の中にも日本などよりよっぽど強く、米英政府の「その戦略は間違っている」とする声がありますが、日本人の私が、<テロを批判するのはやめておこう。それより悪いアメリカ政府を何とかしないと、テロはなくならない>とアメリカ国民を説得せよというのですか? きっとアメリカ国民(だけでなく多くの人が)はそれを<テロ(米本国での可能性)による脅迫に屈しろ>ということだと受け取るのではないでしょうか?
上記に関連して、最後に私からの質問です。以下への解答を待って、私のまとめをしたいと思います。
1)「テロ(米本国での可能性)による脅迫」とは、具体的にどんな脅迫なのでしょうか?
2)その「テロ(米本国での可能性)による脅迫」に屈しないとして、では、具体的にアメリカはどうしたら良いのでしょうか?
3)イラク国内での「テロを容認しない」として、では、具体的に私達はどうしたら良いのでしょうか?
4)イラク国内での「テロを容認しない」として、では、具体的にアメリカはどうしたら良いのでしょうか?