コメントをありがとうございます。
とりあえず、次の点を述べておきたいと思います。
1) 私はこの主題別討論欄にはじめて投稿した、8/23の「国連本部のテロ攻撃
に関して」で述べた、国連本部職員のような非戦闘員を無差別に殺傷するテロ行為は
非難すべき(許すべきでない)と、一貫して主張しています。
それに対してあなたが異論を述べて、この論争?が始まったわけで、
>なぜ、このたびの国連現地本部に対するテロだけをことさらに取り上げて問題に されるのかがちょっと理解に苦しむところではあります。N.Kさんの主張にとって は、首謀者や犠牲者がどういう人物であろうと、テロである以上は関係ないのではあ りませんか?
と言われてもこちらこそ理解に苦しみます。
何回も繰り返していますが、私が容認すべきでないと言っているは、一般市民・非
戦闘員を不特定に殺傷するテロ行為です。
もちろん、同様のテロ行為はイラクだけではなく、イスラエルでもロシアでもイン
ドネシアでもインドでもアメリカでもアフリカ諸国でも行われており、ここで問題に
しているテロ行為の普遍的な犯罪性を否定はしません。
また、その不特定の無差別の殺傷行為の対象(犠牲者)が誰か(非戦闘員・市民!)
ということを初めから問題にしています。首謀者が誰かということは、あなたが国連
本部テロを非難する私に対して
> 今回の国連の非戦闘員に対するテロについて言えば、彼らは真の敵を見誤ってい て、彼ら自身の「未来の為」にもならないことです。しかし、彼らの自爆テロが、そ もそも「戦略」など考える余地さへない、未来を失った者に唯一残された自暴自棄の 行為としてなされている時に、「その戦略は間違っている」と主張することにどんな 意味があるでしょうか?とあなたが、主張されたので、国連本部を攻撃したテロリストが、イラク民衆を代 表するような者なのか?をお尋ねしたわけです。
2)死刑とテロ
>先ず私は死刑制度を引き合いに出して、法の元の平等を前提に敵の人権を圧殺す ることが許される条件が定められ、そのことが社会に受け入れられていることを示し、 「敵を殺せ」「敵の人権を認めない」という考えが一般論として絶対悪とまでは言え ないことを示しました。この例示に論理的な欠陥や飛躍があるでしょうか?
私が前回それに触れなかったのは、議論とあまりに無関係な「欠陥や飛躍」が あると思ったからです。「一般的に絶対悪とは言えない」ということであなたは何を 導こうとしているのですか?国家が法に基づいて犯罪者を裁く死刑を引き合いに出し ても、普通の日常生活なり公務員や企業従業員としての生活をおくる者が、そこに 「いた」という理由だけで生命を奪われるテロ行為の「悪」は変わりません。
3)テロ行為の対象は「敵」?
あなたは、
>(a)圧倒的弱者が、ただ弱者というだけで法の庇護から外され、諸権利が踏みに じられた状況下において、(b)圧倒的強者の横暴によって憎悪の感情を引き出させ られたのを契機に(c)その彼らが「敵を殺せ」「敵の人権を認めない」と考えるに 至り「私的報復」を実行したことに対して、(d)強者の側に位置し、法の元、諸権 利が保護されている側の人間が、(e)その現実を改める具体的な努力に着手する前 に(f)「敵であっても人権を守れ」などとは少なくとも自分には(人の倫理として) 言えない。とまあ、このように主張した訳です。
と言います。「倫理」というからには、あなたの私的な感想ではなく普遍性をもつ
内容として論じられており、だからこそ、私が国連本部へのテロ容認を批判したこと
にコメントをされたのでしょう。最低限、指摘しておきたいのは「圧倒的弱者」「強
者」「敵」なる「無内容」な漠然とした表象が何も説明していないということです。
バグダッドの国連職員、ナジャフのシーア派市民、ボンベイのヒンズー市民、南ロシ
アの通学列車乗客、テルアビブのバス通学者、バリのクラブを楽しむ観光客、世界貿
易センターに出勤した勤労市民を、ここであなたはどのように位置づけられるのでしょ
うか。皆、「強者」あるいは「強者の仲間」であり、「法の元」諸権利が保護されて
いる(!)人間で、殺されても仕方ない、殺されても仕方ないという人がいても仕方
ない・・・というわけなのですね。
あなたの論理(倫理!)は、テロリストをかくまう国に住む住民が「誤爆」で殺さ
れても、大量破壊兵器を保持する国の市民が殺傷され生活インフラを破壊されても仕
方ないという人々、と私には同じように思えます。
3)問われたことについて
すべて答えられないかもしれませんがいくつか。
>>米英の蛮行によって無法な世界が現出せしめられ、その中で圧倒的強者による圧 倒的弱者への大量殺戮が実行されました。失われた人命を過去のものにできずにいる 者、今なお「掃討作戦」の標的にされ「戦中」にある者らにとって、「戦後復興」な どというまやかしの言葉を用いて、戦争はもう終わったものと見なし、過去を不問に しようとする一切の勢力に対して憎悪の感情が膨らむのは自然なことだと思います。 >と書きました。この部分についてどのような感想をお持ちですか? 念のため断っ ておきますが、この文章の結論は「憎悪の感情が膨らむのは自然なこと」のみで、そ れ以外は主張していません。
「憎悪の感情」をイラク多くの民衆が国連に対してもつのは自然なことではありま せん。拷問常習の旧政権治安部門やアルカイダ等のような職業テロリストが、ヨルダ ンや国連やNGOや意のままにならないシーア派やクルド人を計算して攻撃する意思 をもつことは「自然なこと」です。
> 自分自身には非難する資格がないと思う種類のテロ、非難しても意味がないと思 う種類のテロが存在するという趣旨のことは書きましたが、一度も「テロリズム(一 般)を非難すべきでない」とは主張していません。それを「合理化」「正当化」と呼 ぶのはあなたの勝手ですが、言葉の使い方が少し大雑把過ぎませんか?
説明があなたのような考えの方には大雑把かもしれませんが、テロを合理化し正当
化することになる「思想」を(ある程度おずおずとであることは認めますが)述べら
れているという点で、本質的問題だと思います。
特に、自らが<「強者」の側にいる>とか「責任の一端を負う存在であるとの自覚
の上に立つて」ということを理由に、一般市民・非戦闘員へのテロを非難できない
(非難する資格がない)などという思想こそ批判されなければならないと考えており
ます。<「日帝本国人」はそれだけで「殺傷されても仕方ない」>という幼稚な「革
命家」が日本にもいましたが、そこまでいかなくても、アメリカ国民は皆、「自分た
ちにはテロを非難する資格はない」と考えるべきとの「倫理」をあなたは推奨されま
すか?そうした思考につながる考え方について、「責任の一端を担う存在であるとの
自覚に立って」私は、言葉はきついかもしれませんが、そのような思考をテロ容認思
想と批判したいと思います。
4)「何をなすべきか」について
テロを非難・否定するからこそ、「警察力によるテロ取り締まり」活動や国際協力
活動が必要なのです。そのことと、イラクに関していえば米英軍の撤退の主張とはまっ
たく対立しません。前回危惧したように論点を移されたように思います。
また、テロリストが生まれる社会的背景の一部であり、テロリストが利用するとこ
ろの、社会的矛盾を解決していくこと--あなたがいう「根本治療」と言われている
ことに、おそらく近い経済・社会・文化的変革(不法な占領や人権侵害や少数民族圧
迫をやめさせたり、対立民族・部族・宗教集団へのテロをやめさせ、経済的・社会的
構造の変革の努力をしていくこと・・・今回の国連職員の犠牲者にはそのような努力
をしていた人が少なくなかったわですが)が必要なことはいうまでもありません。そ
のことが、テロを非難することと矛盾するかのように言ったり、テロを非難する者を
<社会矛盾を温存する>かのようなすり替えをすることは非常に危険です。それこそ
が、若者をテロリストにリクルートし洗脳する常套手段でもあります。
しつこいようですが、例をあげてみましょう。A<パレスチナに対するイスラエル
政府の不法行為、テロリストを攻撃すると称してパレスチナ民衆を殺傷し、その生存
基盤を剥奪・破壊しているシャロン政権の行為を非難し、パレスチナ国家の建設を支
持し、そのための連帯行動をすること>と、B<イスラエルの市民(パレスチナ人も
含まれるし東欧から移住したばかりで低所得者の「弱者」もいるし当たり前ですが乳
幼児から老人までいます)を無差別に殺傷することを断固として非難すること>は矛
盾しますか?(AでなければBを言う「資格がない」なんて言わないでくださいよ)。
尚、一般討論欄の私の関連投稿もご笑覧下さい。