テロは反対だ、どんなことがあっても暴力はいけない、ましてや罪のない市民を巻き込むテロは許せない。
そんな声がこのサイトにはもちろん、どこからでも聞こえる。テロ反対の大合唱がワシントンから世界に流され続けている。
本論から少し反れるがテロのすべてを否定すべきなのか.同じ疑問は戦争についても言える。。戦争に反対、すべての戦争に反対という主張は正しいのか。
1909年日韓併合(正しくは韓国併合)のため奉天駅に降り立った伊藤博文を抗日義士、安重根は厳重な警備を突破してピストルを博文の体に撃ち込んだ。博文は数日後死んだのである。安住根はその場で抑えられ処刑されたが「大韓独立」「大韓同胞に対して万歳を繰り返した手記が残っている。いま韓国の英雄として「パゴダ公園に安重根の像がたっていると聞く。安住根が伊藤博文を射殺した行為はテロである。難波大輔が昭和天皇の行幸に紛れ込んでステッキ銃を発射したが不発で失敗した。難波も処刑されたが彼は裁判の席で日本共産党万歳」と叫んだ。党としては聞きたくないだろうが、天皇制こそ日本労働者階級の敵であり、アジア人民の凶悪な敵であったのである。安重根、難波大輔はテロリストだから許されないのか。
安重根のテロから十年後1919年8月1日、朝鮮全土に開放独立を要求する大暴動が起こった。パゴダ公園には50万人の人民が集まりデモ行進をした。「独立万歳(まんせい)」とよばれるこの運動は六ヶ月に及んだ。
それに対する日本軍部と憲兵による弾圧はすさまじく朝鮮人の死者7654負傷者45552人逮捕者49611人。逮捕者はすべてごうもんされている。
抗日義勇軍が北朝鮮で日本軍と戦っている。これは反植民地戦争なのだ。中国でも抗日のための闘いが毛沢東の指導で展開されてきた。これも反植民地戦争である。
正義の戦争、正義のテロがある。
9.11同時多発テロの意味、歴史的必然性を考えずにテロ反対の大合唱に加わることが反動的な役割にならないか、しかと考えねばならない。
私はニューヨークにそびえる巨大なビルに航空機が突っ込み炎上する様子をテレビで見たとき息を呑んだ。翌日二つのビルが崩れ落ちていくのも凝視した。アメリカ帝国の世界経済支配の象徴ともいえる貿易センタービル、軍事支配の本部ペンタゴン破壊!
「やったー、」私は手を打った。アメリカに虐げられてきたイスラムの人々の怒りがアメリカ本国にたたきつけられたのである。これは歴史的な闘いである、これまで反植民地闘争は支配されてきた国土でやられ、その報復弾圧、でそれらの国々の人民が何百万人も殺戮されてきたのである。それこそあらゆる近代兵器を使って、朝鮮でもベトナムで、中東、ユーゴ、南米で人民が殺され続けてきたのである。アメリカのビルが崩壊して3000人、5000人死のうがものの比ではない。アメリカの独占資本がその元凶であってもアメリカ人であるならば抑圧民族として、非抑圧民族に対して罪を背負っているのである。それは日本人も同じである。世界の被抑圧諸国に労働力と資源の搾取、強奪によってこれらの国々の人々の10倍20倍の生活をしているのである。日本の労働者ですらアジア諸国の労働者から見ればブルジョアジーなのである。日本人は太り過ぎないように心配しアジア人は飢え死にしないように心配している。アフリカでは飢え死しかけるとコンドルが舞い降りてくる。
この底知れない大不況の長引く中で日本人も全体として次第に貧乏になってきているし底辺では行き倒れ者も年々増えつつあるが、それでもアジアの人々より豊かである。それは日本の資本家が中国や、ベトナム、インドネシア、フィリピンに資本を投じて超過利潤を得ておりその分け前を日本の労働者も与かってっているからである。だからアメリカ人も日本人も抑圧者なのである。帝国主義諸国の豊かさを支えるために被抑圧諸民族は塗炭の苦しみを百年もなめ続けてきたのである。テロの巻きぞえを食って死んだ人々は運が悪かったのである。アルカイダも貴方たちにそのビルにいてほしいとは思わなかっただろう。これは戦争なのである。モスリムのアメリカに対する全存在を賭けた戦争なのである。もしもあのビルに兄弟がいても、自分の子供がいても攻撃は敢行しなければならない。それがイスラムの誇りとアイデンティティーを回復する闘いなのだから。私たちは西側からものを考え判断する習慣がついている。しかし宗教や文化が違えば価値観も違うことが当然である。民主主義に絶対的価値があると考えるならばあまりにも浅薄なのである。我々の頭にあるのはブルジョアジー・・・(文字化け)・・・。
つまりテロの報復という絶好の口実を見つけて、しかもアフガンはタリバンとその頭目オマールの独裁支配、イラクはフセインの独裁支配から開放し民主主義を与えるのだというのがアメリカの侵略戦争だった。この民主主義とはアメリカ独占資本がアフガンの天然ガス、イラクの石油を強奪するための民主主義である。アメリカ帝国主義にとって自らが支配する国が独裁政権であろうと民主主義国家であろうとどちらでもよいことで、帝国の言うがままの国であればそれでいいのである。日本政府もそうである。かって韓国が朴チョンピル軍事独裁政権であったときもその政権を支えていたしマルコス政権も利用していたのである。
この日本もアメリカも独裁支配下にある。すなわち独占資本、ブルジョア独裁である。日本の革命運動がたいしたこともないうちは括弧つきの民主主義、を与えているに過ぎないが、日本の労働者階級が革命性を帯びてくるともっと凶暴な暴力性を帯びてくる。まだ私たちは支配階級を追い詰めていないから民主主義という欺瞞をばらまかれているのである。
一体イラクが、アフガンが、北朝鮮が独裁支配下にあるとしてもそれを支持するのも打倒するのもその国の人民の決めることである。
9.11同時多発テロのあとわが党はどの集会でもテロ反対決議を持ち込んだ。その頃、私は障害者の全国集会(全障連)があって私も障害者だから参加した。午前の分科会が終わり、午後からは全体集会になった。共産党の経済学者の講演はテロを罵倒しあざ笑いながら、上手に話をするので知的障害者、重度障害者、殆どの障害者者はうなづきながら聞いているのだった。そして締めくくりに主催者から「テロ反対」の決議案が出された時たった一人異議を唱えることもできないので私は会場を飛び出し、そのまま怒りが抑えきれずに帰ったのである。どうしてこんな西も東もわからない知的障害者にまでブッシュの指揮にあわせて「テロ反対」、「はーい」と手をあげさせるのであろうか。重度障害者は赤子のように純粋でだまされやすい、そんな人々にこんな問題で賛成させるというのは差別、言葉は悪いが馬鹿にしているのである。
共産党は国会でもテロ反対決議案に賛成しその法案は満場一致で可決した。日本全国いたるところでテロ反対を訴え、国会でも賛成投票をしたのはわが党はどんなことがあっても暴力を使わないということを支配階級に訴え、免罪符をもらうためである。またそれは同時に被抑圧諸国の民族解放闘争に敵対する排外主義になったということである。
それならばアメリカのイラク攻撃に本気で反対などはできないと赤旗を見つめてきた。案の定アメリカの攻撃を国連査察を延長し大量破壊兵器が見つかるまで引き伸ばせというものである。一体主権のあるべきイラクの国内を国連であれアメリカであれ査察する権利はどこにあるのか。それならば日本と沖縄の米軍基地に核兵器、生物化学兵器、毒ガス兵器がある可能性は高いのになぜ査察を言わないのか。阻止いぇ反戦集会を党中央としてやったことは一度もなかった。わずかに開戦マジかになって東京で戦争反対のフェスチバルがあるという報せが1面に出ていたのみである。フェスチバル、イラク戦争もお祭りか
しかし全世界で2000万人の反戦集会があった。アメリカのイラク攻撃は2千万人の反対運動の真っ只中でやられたのである。もしも2000万の反対がなければもっとおおくのイラク人が殺されたであろう。党員はいま35万人と聞く全党挙げてイラク戦争に反対する集会を持てば軽く100万の反戦集会がもてたのである。しかし院外闘争は民主主義に反するのか極力党中央は避けるのである。国会で民主的に討議し、イラクは平方案に反対しても勝てる道理はない。協賛主義者ならば院外闘争が院内闘争を支えることぐらい百も承知しながら「政治のことは議員に任せなさい。」「君たちは票を集めればいいのだ。」
いったんイラクを制圧したアメリカはイラクとアラブ人民の「テロ」攻撃で立ち往生している。米兵は砂漠の標的である。親米的なヨルダン大使館も、国連ビルも自爆テロで爆破された。当然である。アメリカを引き入れるイスラム教指導者もモスクに集まった人々とともに自爆攻撃を受けた。このようにアメリカ帝国義はイラクの砂漠にのた打ち回っているのはアラブの、イスラム世界の反帝国主義の文字どうり命をかけた自爆テロとその他の闘いのためである。どうして正義のテロに反対するのか。私はそこに崇高なアラブ人魂を見る。米兵の死体、いつかは日本兵の死体にコンドルが飛んでくる。