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「イラク戦争」討論欄

ほんとうは私は彼等に紙とペンをさしあげたい…その1

2003/9/18 川上慎一

1 はじめに
 昨今の政治を見つめると、ひたひたと迫り来る平和と生活の悲劇的な危機がもう私 たちの足元にまで近寄ってきていることを認識しないわけにはいきません。第二次世 界大戦で人類史上空前の犠牲を払い、かけがえのない無数の人々の犠牲のもとに勝ち 得た日本国憲法が、平和と私たちの生活を守ってくれた時代は、あるいはもう終焉を 迎えようとしてるのかもしれません。
 言いかえれば、平和と民主主義擁護の勢力の驚くべき後退であります。「日本共産 党のよりいっそうの発展強化と、日本および世界の民主主義的・社会主義的変革に、 ささやかながら寄与することを企図して」いる「さざ波通信」においてさえ、優れた 投稿や労働者的な健全な感覚を感じさせてくれる投稿とともに、イラク、パレスチナ の抵抗闘争の中でみられる「いろいろな意味での悲劇的な闘争」に対する非難、北朝 鮮による拉致問題に端を発する反北朝鮮キャンペーンに与するがごとき投稿が少なく ありません。平和と民主主義を守り、生活を守る闘いがいかに困難な地平にあるかを 感じないわけにはいきません。
 マルクス主義の権威は地に落ちたと言われ、かつて少なくない人々の心をとらえた 社会主義、共産主義の理想も、ソ連崩壊後、歳月の流れとともにいつしかフェードア ウトしつつあります。同時に、日本では、多くの場合、マルクス主義や社会主義、共 産主義のイデオロギーと結びつき、実際、総評や社会党、共産党などの影響下にある 人々──左翼──がその運動の最も重要な一翼であった「日本における平和と民主主 義を守る闘い」もまったくといってよいほど存在感がなくなってしまいました。わず かに先のイラク戦争の際に示された無党派層を中心とする自発的な市民運動が新しい 運動の萌芽を示し、かすかな希望を与えてくれましたが…。
 私たち共産党員がみずからのイデオロギーとしてきた理論はたくさんの不十分さを 内包していたし、間違ったものさえあったであろうし、現実に存在したソ連社会主義 もその実態以上に美化してきたところもありました。かつて運動に参加していた人々 の中に深い自信喪失があったとしても無理のないことかもしれません。
 しかし、私はマルクス主義を捨て去る必要もないし、社会主義の理想を断念するこ ともないと思っています。人々が、革命運動とか民族解放闘争とかの大きな闘いに立 ち上がるとき、必ず何らかのイデオロギーを掲げるし、闘いの理論が伴います。近現 代の革命の歴史をみるとき、さまざまな失敗や悲惨な経験も数多くあったけれども、 それでも社会主義、マルクス主義(ローカライズされたものも含めて)がもっとも有効 であったであろうと私は思います。20世紀の長い闘いの中で、国際連帯の思想や統 一戦線などの理論や経験も豊富につくりだされました。これらの理論は、平和、民主 主義、真の平等をめざす闘いにおいて、今日なお有効性を失っていないと私は思いま す。
 現在、共産主義者として大切なことは、「ソ連の誕生から崩壊」などあらゆる20 世紀の経験に照らしてその理論を検証し再構築することであり、そのことに取り組み ながら現実の闘いに敢然と立ち向かうことであろうと思います。私はこのような問題 意識のもとに、時間をつくって何回かに分けて投稿をさせていただきます。

 ここしばらくイラク戦争、パレスチナ、テロリズムなどについて、この欄に限らず 多くの投稿がありました。最初に私の立場を申し上げておきますが、私は、長壁さん、 さつきさん、大樹(縮めてごめんなさい)さんなどの「共感的投稿者」です。
 彼らの投稿に対して、たくさんの批判的投稿があります。この中には、お粗末な歴 史認識のもとに共産主義に対する批判だけを眼目とするような右翼的な投稿もありま す。このような投稿について討論するほどの時間的なゆとりが私にはありませんから、 この投稿ではこれらには触れません。私はこの投稿でおもにN.K氏と「長壁さ ん、さつきさんたち」の討論について私の考えを述べさせていただきます。

2 彼らは「テロ容認論」か
 長壁さんは、今回のバグダッドの国連事務所への攻撃が「戦争を遂行した米英の更 なる無法な占領政策の上に今回のテロ攻撃がおこった」ことを前提として、「何の罪 もないイラク民衆の何万の死を、手足を奪った日米英の加害をまず、認識」すべきだ としてます。また、さつきさんはイラクやパレスチナ民衆のおかれた悲劇的、絶望的 な状況から「『それ』を言う資格が(自分には)ないと思っている」として、さらに、 さつきさんは「テロを非難すべきだ、容認しない、断固として許さない」という論理 が、結果的に「テロが起こる根本原因を取り除こうとする視点が後方に追いやられる」 と主張しています。彼らは、N.K氏のようには「テロ」に対する非難をしません。
 これらの討論の結果、N.K氏は「テロ容認思想の破綻と退廃(さつきさんへ) 2003/8/31」、「テロを容認する「倫理」の悲しさ(さつきさんへ)2003/9/5」、 「無内容な「テロ否定」への批判:長壁満子さんへ(N.K)」、「「長壁満子」氏に みられるテロ容認思想の犯罪性について2003/9/11」など、およそその品位を疑いた くなるような標題のもとに投稿を続けています。
 彼らは9.11事件やイラク占領後に行われたさまざまな占領軍、国連事務所などに対 する攻撃(とりあえずはテロといってもよいが)を「非難をしていない」のではあるけ れども、だからといって、彼らがテロを「容認する、擁護」していると決めつけてよ いのでしょうか。
 さらにN.K氏は、こともあろうに、次のように長壁さんに対して失礼極まりない表 現さえ使っています。

 農民の貧困への怒りから政治家等を襲った昭和初期のファシスト、東アジア反日武 装戦線や連合赤軍のような幼稚な「革命家」きどりの犯罪者、一般市民を拉致する国 家犯罪に手を染めた集団等を私たちは、知っていますよね。こうした人々を擁護して きた心情とあなたの心情は非常にそっくりのように思えます。(2003/8/26)
 私は「連合赤軍」による浅間山荘事件も、都心におけるビル爆破事件も同時代に見 ていますが、まず、まともにこれらの「革命家きどりの犯罪者を擁護してきた心情」 なるものが存在したことを知りません。N.K氏はこの時代に日本共産党などの左翼の 中にこのような心情があったとでもおっしゃるのでしょうか。N.K氏が「非常にそっ くりのように思えます」というのは、あなたの勝手でしょうが、公平にみても、この 辺は「不当な言いがかり」というよりほかありません。もっともらしい議論のあとで、 「こっそりと異質なものを忍び込ませる」という手法はどうもN.K氏の得意技のよう です。
 バグダッド国連事務所への攻撃と連合赤軍による浅間山荘事件などに均質性を見い だすのは、N.K氏固有の「人権理論」、あるいは「問題の背景を捨象した認識」を前 提としたときに成り立つだけでしょう。もちろん、長壁さんのたくさんの投稿の中に は、「タリバン政権やアルカイダなどに関する誤解がある」としか思われないような 部分があり、彼女の投稿に私は100%賛成するわけではありませんが、これらは討論 の根幹に影響を与えるものではありません。
 今日のイラクやパレスチナにおけるテロリズムに対して、これを非難しないからと いって、「テロ擁護、テロ容認論」などと決めつけるのは、「二者択一」の問題では ないのですから、論理的にも不正確といわねばなりません。

3 真意はどこにあるか
 私はN.K氏のように長壁さんの投稿を「戯画的に見られるテロ容認の非理性的な情 念・感情論」などとは受けとめていません。たとえば、次の一文を読んでいただきた い。

 「ジハード」という、自らの命を使い、後世に希望を託す行為を、わたしは、ぎ りぎりの、それしか選択肢がない所まで追い込まれた人の表現と、理解しています。  同時に、鬼畜には、何の効果もない、どころか、殺戮戦争の口実にさせられること に、忸怩たる思いがあります。だからこそ、鬼畜でない私達が、ひとりでも、彼等の 心情を理解し、そのメッセージを引き継ぐことではないか、とおもいます。ほんと うは、私は、彼等に、紙とペンをさしあげたいとおもいます。体のかわりに・・・ さらにいうなら、ペンが生きる状況をつくってあげることが、急務です。日本ビジュ アルジャーナリスト協会、アルジャジーラは、さらに、頑張ってもらいたいとおもい ます。
 川上慎一さんが、はからずも、最後におっしゃってくださった、「願わくば、これ らの人々と連帯し、帝国主義と戦うために{芽がでて 実をつけ 大きくなって帰っ ておいで}と、私は言いたい。」は、私がこの詩に秘めた思いでした。(テロリズム 考2003/5/28)

 私自身はこの投稿に先立って、以下のように述べました。

 ベトナム民衆の戦いも初めのころは、傀儡政権の軍隊やアメリカ軍を散発的、ゲリ ラ的に攻撃するものであり、テロと大差ないものでした。しかし、民衆を標的とする ような攻撃はしませんでした。ここが、パレスチナとの最も大きな違いではないかと 思います。また、兵士が戦闘で死亡することはあっても、自爆テロのような攻撃は聞 いたことがありません。パレスチナ民衆を取り巻くあまりにも厳しい状況が具体的に はわからない私にこのようなことを言う資格があるかどうかわからないけれども、何 としてもイスラエルの民衆を標的とするようなテロはやめなければならないだろうし、 テロというべきかゲリラというべきか、その標的は可能な限り軍事目標に限定すべき であると思います。そして、「自爆」してはいけない。自爆テロの担い手はほとんど が十代の若者と聞きます。十代の若者が命を落とすことはない。「テロの種」の種を 播いたのは帝国主義であり、パレスチナやアラブの民衆にはこれと戦う権利がありま す。パレスチナの若者よ、アラブの人々よ、あたら命を落とさないで。アラブと連帯 するイスラエルの人々もいる。アメリカにも侵略戦争に反対する人もいる。願わくば、 これらの人々と連帯し、帝国主義と闘うために「芽がでて 実をつけ 大きくなって  帰っておいで」と、私は言いたい。 (ベトナム戦争とパレスチナ2003/5/24)

 私もイラクやパレスチナで絶え間なく続く自爆テロなどを非難する投稿をしていま せんが、私はこれを肯定してるわけではありませし、「これを非難せよ」と言われれ ば私は非難しても構いません。しかし、もし私がこれらを非難するならば、同時にそ の百倍も千倍もアメリカ帝国主義の野蛮な侵略と戦争政策を非難します。さらに、テ ロ実行犯の処罰を要求するならば、ブッシュ、ブレア、小泉の三首脳を同時に処罰す ることを要求します。また、「強行された米英等連合軍によるイラク侵攻・占領に反 対」(8月23日)というN.K氏の立論からすれば、N.K氏も「三首脳に対する処罰」を 要求されるべきでしょう。
 この投稿の標題「ほんとうは私は彼等に紙とペンをさしあげたい」は、長壁さんの 投稿からの引用です。この叫びこそが長壁さんの真意であることを私は信じて疑いま せん。ついでに、長壁さんにはたいへん失礼にあたるかもしれないので申しわけない のですが、その一連の投稿は、彼女が共産主義者としての観点からものを書いている というよりも、むしろ彼女の観点は「子を持つ母」といった方が妥当だと私は思いま す。だが、このことはN.K氏にはおわかりにならないようです。彼女の投稿に全体と して流れている考え方を、私なりに表現すれば「戦闘的ヒューマニズム」といったと ころでしょうか。このような考え方は「左翼全体主義」とか「ファシスト=スターリ ニスト精神」などとは次元の異なるものです。アナロジーとしていえば、「わが子を 殺された親が犯人を殺したいほど憎む」ということであり、別に右翼、左翼に関係な く、本質的には、普通の親が普通に抱く感情に過ぎません。N.K氏はなぜそんなに 「左翼全体主義」とか「ファシスト=スターリニスト精神」と結びつけたがるのでしょ うか。N.K氏の議論は、一見緻密に論理を組み立てたように見えますが、少なくとも この点に関しては何の説得力もありません。
 上に引用した長壁さんの投稿こそがその真意だろうと私は思います。私は、このよ うな考え方を「テロ擁護、テロ容認」などと決めつけることはしません。
 また、悲劇的なまでに困難な状況におかれたイラクやパレスチナの人々の闘いを、 とりあえずは議会政治のもとでさまざまな政治的自由をまがりなりにも享有すること ができる「この国における私たちのモノサシ」で考えてよいだろうか、という疑問は なお氷解しません。おそらく、さつきさんの思考にも似たようなものがあるのではな いかと思います。この思考のどこに「特権的で超越的な社会構造認識」があるのでしょ うか。ここにもN.K氏一流の決めつけがあります。
 きょうはここまでにします。また時間をつくって投稿します。