かつて「社会主義的自由」とか「プロレタリア民主主義」という言葉が使われた時代があった。旧ソ連・東欧諸国が、「社会主義」には自由と民主主義がないと批判されたことに対する反論として使った言葉である。
しかし、今では旧ソ連・東欧には自由も民主主義もなかったことを疑うものは誰もいない。
さて、「戦闘的ヒューマニズム」とは何だろうか。 「ヒューマニズム」に「戦闘的」だの、「平和的」(?)、「日和見的」(?)などといった違いがあるのか?
そもそも近代民主主義国家の基本的価値観となっている「ヒューマニズム」(人道主義、人間主義)とは、「人間の尊厳」(「個人の尊厳」)を最高の価値とする価値体系であって、人種・性別・思想・信条を問わず、「人間をただ人間であるがゆえに尊重すべし」とするものである。
自分たちと主義主張を同じくする人や共感できる人たちに対するテロには悲しみ憤るが、自分たちと主義主張が異なる人や「敵」とみなす人に対するテロには非難すらしないというのは、ヒューマニズムではない。
また、「わが子を殺された親が犯人を殺したいほど憎む」というのは人間としてごく自然な感情ではあっても、これもヒューマニズムとは言わない。犯人への報復(死刑)を求めず、人間としての真摯な反省悔悟を求めるのがヒューマニズムの立場である。