私は一人の人間
私は一人の女
私は一人の子の母
私は戦争が嫌い
私は殺戮が大嫌い
私は優しいものが好き
私は美しいものが好き
私は可憐な花が好き
私は華やかな大輪の花も好き
私は人間が好き
私は動物も好き
私は生きとし生けるものすべていとおしい
従って、戦争は大嫌い
戦争に反対する
私は血塗られた手
血塗られた目 頭 心が おぞましい
殺戮兵器である 大量破壊兵器 生物兵器 大型核 小型 核 劣化ウラン弾・・・・・
それらを開発し 操るニンゲンどもを 人間と呼ばない
生活のためとはいえ
抵抗せず 闘わず 悩みもせず
易々と 殺人ロボットになるニンゲンを 人間と呼ばない 人間の皮を被った ケダモノと呼ぶ
私はケダモノを憎む 憎悪する
人間をケダモノに変える 巨大なケダモノを 最も憎む
できることなら 大量破壊兵器とやらで
それらを 殲滅してやりたい
更なる無辜の民の 大量虐殺を防ぐために
殺人鬼の頭、心、手足を がんじがらめに縛る方法は?
逃げ場をなくし とことん追い詰め 根絶する方法は?
個人的犯罪には 「更正」という 敗者復活戦がある
だが 国家が牛耳るケダモノは 更正不能である
国家の手足となったケダモノとは 対話が成り立たない
ケダモノには ヒューマニズムが 通じない
哂ってしまうが
そうしたケダモノに限って
ヒューマニズムという言葉を もてあそぶ
かつて
アフガンに「動物見学」に行った 弁護士がいた
ある村で「人間の尊厳を取り戻したい」と言うアフガン 女性の 想定外のことばをきかされて この弁護士は 目ン玉を白黒させた
そしていう
「私は 初めて 初めて 彼女が人間であるということに 気づいた」
ケダモノには 人間が みえない
ケダモノの辞書には 「尊厳」「人権」と言う言葉がない
代わりに 差別と言う言葉が あふれている
人間の皮を被ったケダモノは 「尊厳」という言葉の皮だけを理解する
ヒューマニズムを 装飾品として奉る
そういえば ケダモノ・ブッシュは 超一流のdemocrat である
PS
川上慎一さまへ
私への論評、感動がいまだに尾を引いています。気分が萎えそうになりながら、こうして、息を吹き返す私がおります。感謝申し上げます。
今こそ、私は「テロリズムの根源」を問わねばならないとおもいます。北朝鮮問題の根幹が究明されねばならないと思います。それができなければ、この醜い戦争は永久に解決しません。
タリバン、アルカイーダの件、誤解している部分をおいおい修正していただければ・・とおもいます。
私は書籍20冊を中心に新聞、週刊誌、テレビ等メディアを検証・比較しながら、主にソフト面から、彼等の実像をくみたてています。
アフガニスタン関連は、中村哲氏の書籍と集会での発言を重視しています。
無論、アフガンの部族争いもスパッと割り切れるものではなく、ソ連側から寝返った北部同盟の活躍も、マスードに対する礼賛の声も、また途中で合流したドスタム将軍のレイプ犯罪やその残虐性も承知しています。
アルカイーダなどの組織も、複雑、多岐にわたることから検証は難しいです。ビンラーディンの信念も、時勢に応じて細部は変化していることも、承知しています。
ただ、いえることは、彼のメッセージをメディアは、そのほとんどを隠蔽したということです。おびただしいブッシュのメッセージは洪水のように垂れ流しても、ビンラーディンのそれは、文脈を無視して、残虐に受け取られる部分のみを繰り返しました。偽のビデオのあろうことか、更なる捏造までしてみせました。私は赤旗の記事のあまりのひどさに、時事通信で確かめたこともあります。
これらは、北朝鮮、テロリズムの根幹を問おうとする人々になされている、いいがかりや誹謗に類したものと共通しています。
すべては、「そうなるべくしてなったもの」の連なりではないでしょうか。イラクの現状もそうです。今目の前にあるイラクが、どのようなことから今にいたったのか、私達は、戦争構造というものを、たっぷりと、勉強いたしました。プロパガンダ戦争のからくりを、みせつけられました。
戦争がいかに、恣意的につくられ、その意図も、暴虐も、ありのままに、資料もどっさりとあります。
なのにです。この期に及んでもなお、理解できない人がおります。北朝鮮問題で、またまた、イラクの二の舞を演じようとしている人がおります。
イラク戦争でさえ、わたしたちが入手するものは、限られたものであります。伝えられない真実は、更に更に、闇深く埋もれていることでしょう。
日米安保の情報操作は、それはそれは、限りなく、大きいものであるといわねばなりません。