私がインターネットを使い始めたのは僅か二ヶ月前です。私の年代の多くの人間にはパソコンや携帯電話は苦手なのですが、そうも言っていられなくなって独学で始めました。ある時共産党のことが知りたくなり索引で調べているとこの「さざ波通信」を見つけました。
日本共産党に関してその批判や反批判が自由に書かれ、意見が戦わされているのを見て、ああこれがインターネットの素晴らしさなんだと思ったのです。誰に気兼ねもせず自由にものが言えてそれを読んでくれる人たちがいる。もちろんインターネット全体は井戸端会議からえげつないわいせつまで色々ですが、玉石混交だが玉を選んで石を捨てればいいことだとすぐに納得できました。
毎朝読んでいるのはニュースの国際関連と、さざ波通信、麻薬中毒みたいになってしまいました。
長壁さんという女性の投稿は内容が非常にいいのでずいぶん印刷をしてインク代の心配をさせられました。数日前の川上さんの投稿は文章に気品があり内容もよくて感動しました。長壁さんは孤軍奮闘され、時に悲壮感も漂うが、それはあなたが非常に潔癖で正義感が強く、賢い方だからと思います。投書しないまでもあなたにエールを送りたい人はいくらもいると確信します。かといって今から私が書こうとしていることはあなたと何の関係もないことで、あるいは反対されることも承知の上です。
私たちはこの国、日本帝国主義本国に住み、その中でものを考え発言しています。私たちはほとんどマスコミ、テレビや新聞によって世界のこと、政治のことを知りうるのです。そこからも多くの真実を見抜くことも可能だが、よほど注意しなければ誤ったものの考え方をしてしまいます。まったく疑いもなくマスコミに洗脳されている人がほとんどですから、為政者の思うがままに操られてしまいます。つまり日本人はブルジョワジーにほとんどマインドコントロールされているのです。なぜならよほどさめていない人たちの言うことは今朝テレビで聞いたことです。統一教会に一週間も行けばそのマインドコントロールを解くのに井年かかるというのですから、1年三百六十五日流れる報道は私たちをどれほどプチブル意識に染め抜いているか、このさざ波通信を読んでもわかります。その上に共産党員は組織のマインドコントロールにかかってどう考えてもおかしいことを信じ独善者の振る舞いを世間でしています。
私たちは帝国主義国の人間であることを常に意識下におかなければ被抑圧民族の人民に敵対するのではないのでしょうか。私たちは抑圧民族として無意識に・・・(文字化け)・・・「すべてを疑え」マルクスは資本論の序文に書いていますが至言です。
すべてを疑い本気で真実を自身のものにする気ならばいくらでもその方法はあります。
九十年イラク戦争はイラクフセインのクエート侵攻によって米軍とイラクは多国籍軍の攻撃を受けたのですが、それはアメリカ帝国主義の侵略戦争ではなかったか。その時に日本共産党はフセイン悪玉説を叫び、経済封鎖を主張し、アメリカ帝国主義の侵略戦争を左から支えたのではないか。まずそこを疑います。
今回のイラク戦争では、共産党はイラクの大量破壊兵器を取り上げるために徹底的査察を主張しイラクを丸腰にさせ、一切の攻撃目標を米軍に把握させることに協力したのではないか。アメリカの単独攻撃に反対はしたが、ドイツ、フランス、ロシアを平和陣営に見立てるごとく、その三カ国に希望を託し、幻想を抱かせたのではないか。ドイツ、フランスは帝国主義的利害から米軍の単独攻撃に反対しロシアも自国の利害から反対したのは当時から明らかだったが、今となればなおさらです。日本も帝国主義的利害に立場からアメリカに追随したのでしょう。イラク戦争についてみれば日本共産党は二度とも帝国主義の側にたったのではないか。
だから反戦運動が世界で盛り上がったとき機関紙で報道はするが自らは立ち上がらなかった。なぜならば日本共産党は客観的には、帝国主義に反対するのではなく、どちらかの帝国主義を支持し、その侵略戦争も支持するからではないか。それは同時にイスラム圏の抑圧諸国人民の戦いに敵対するものになっていたからではないか。
又それは同時にテロについての剥き出しの敵意についても言えるでしょう。 被抑圧諸民族は何十年にわたる帝国主義の収奪で、貧しく、それらの国の経済力もアメリカや日本と比べると象と蟻のような差です。それら被抑圧民族が生きるためぎりぎりの線で帝国主義と戦うのは無謀ともいえるほど困難なことです。しかし戦わねば奴隷のように生きるか民族もろとも消滅するかも知れない。テロとゲリラ戦は残された唯一のしゅだんでしょう。9.11同時自爆テロに躍り上がって喜んだのはパレスチナの人々でした。
アラブ諸民族の誇りは高く、イスラム教のサラセン帝国はヨーロッパはスペインまでインドからインドネシアまでの版図をもっていました。その文化も高く十三世紀ごろにはヨーロッパ人は野蛮人だとモスリムは考えていました。しかしアメリカ人の多くはアラブや中央アジアの人間など文化も何もない動物のように思い湾岸戦争ではいけすの魚のようにイラク軍民をヘリで撃ち殺し、砂漠の砂の中にブルドーザーで埋めたのでした。ブッシュにすれば西部劇のインディアンをやっつける騎兵隊の隊長気取りです。そんな大統領を当選させたのもアメリカ国民ですし湾岸戦争、アフガン戦争、今度のイラク戦争を圧倒的に支持したのもアメリカ国民です。罪のない人々がアメリカ国民の何パーセントいるのでしょうか。湾岸戦争は近代兵器のショーでもありました。そのもとで何百万の人民が殺されようともまったく無関心に、ウラン弾、トマホーク、ピンポイント爆弾、ナパーム弾などが大量に使われました。
民族の生存、イスラムの誇りにかけてアメリカ帝国主義と戦うには一体どのような方法があるというのだろう。パレスチナでは石を投げてイスラエル軍に抵抗し、ついには爆弾を腹に巻いて自爆テロをするしか方法がないのでした。ベトナム戦争でも仏教徒たちがゴジン ジェムの独裁とアメリカ帝国主義に反対して焼身自殺を次々とやったことを思い出します。韓国でも民主化のために焼身自殺をする青年が沢山いました。モスリムたちが命を捨ててアメリカ兵にぶつかっていく、アメリカ帝国主義の手先にぶつかっていく、そこまでしなければならないアラブやイスラムの人たちの苦しみに思いをはせずにいられないし自爆した若者に涙をときに禁じられないのです。このようなテロに共産主義者が反対するでしょうか。共産党中央委員会は共産主義者の指導部ではなかったのか。
多少とも彼らの歴史、彼らの文化、彼らの今置かれている状況を知るならばなぜ罪のない人を巻き添えにしてもテロが決行されねばならないか、理解できなければ想像力の欠如である。私が今の日本人に最も欠けているのは想像力であり、それは最も恐ろしいことと考えています。
しかし戦争や革命ではセンチメンタルなヒューマニズムは通用しないのです。それは侵略者側にもいえるし反植民地主義戦争をする側にもいえます。アメリカ帝国主義とモスリムの戦いは戦争だと考えます。一方は圧倒的な軍事力で圧倒しようとし、一方はモスリムの、団結と人民の支持を武器にし開放を勝ち取ろうとして戦っています。その対峙関係は当然非常に厳しく僅かな油断、甘い考えをもっていただけでも抹殺されてしまうでしょう。平和ボケしてやれテロがどうの、民主主義とか、ヒューマニズムなどはパレスチナやヨルダンの中ではたわごとにすぎないでしょう。
イラクではアメリカ兵の死者が交戦のときよりも多くなろうとし、また七十兆円の軍事費が債務にとなって、アメリカ帝国主義は苦境にたたされようとしています。ベトナム戦争の時に似たような泥沼になろうとしています。アメリカは攻勢から劣勢に転じとしています。すでにテロの効果が表れています。だがそうであればあるほどアメリカの支配者はあせり、凶暴になり戦争をイランにまで拡大しようとしているし朝鮮にも拡げようととしています。日本がイラクに自衛隊の派兵を決めたのも朝鮮戦争に突入するためのものであり拉致問題を利用して排外主義の嵐をに日本中に席巻させたのも近づきつつある朝鮮戦争のためでしょう。もしも戦争に反対するのであれば拉致問題で騒ぎ立て排外主義の大合唱に加わるのでなく、それに反対しなくてはなりません。朝鮮人連行問題が伏せられて拉致で騒ぐのは理に即しないでしょう。
このようにして好むと好まざるににかかわらず戦争は拡大されていきそうです。
「なにをなすべきか」レーニン
もう一度、何をなすべきか