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「イラク戦争」討論欄

もちろん、当たり前のことです。-さつきさんへ

2003/10/1 democrat、40代、弁護士

 「一般市民を殺すべきではない」-これが当たり前のことではないというなら、そ れ以上議論しても仕方ないですね。なぜなら、これは「人間を殺してはならない」と いうのとほとんど同じ問いであって、あらゆる議論の大前提として確認すべき公理な のだから。

 そうは言ってもせっかくの機会なので、簡単にコメントします。

 まず、あなたの「主張の根幹」なるものは全く議論に値しません。

 
>犯人が特定されているのに、その犯罪者が野放しになっているどころか、なお次の 犯罪に手を染めようとさえしている。しかも、それを誰もとがめようとせず、実際に 犯人が罰せられる見込みは皆無である。そんな状況で(私的報復を実行しようとして いる)被害者をどう説得せよと言うのですか? しかも被害者から見れば、私たちは 犯罪に手をかしている一味でさへあるのです。汚れた手をして、口だけは達者に被害 者に向けて「ヒューマニズム」を説くその語り手に、真のヒューマニズムが備わって いると言えるでしょうか?

 たとえ犯罪者が野放しになっているとしても、それが犯罪者の家族を殺す理由には なりません。
 また、手を貸しているといっても、貸し方には千差万別があります。また手を貸し ていない人も多数います(ブッシュを支持しない人、有権者でない外国人旅行者、子 供etc.)。

 獏Bさんにも書きましたが、戦争中でも敵国の非戦闘員を殺害すれば非人道的行為 として戦犯となる理由を、あなたもよく考えてみればよいでしょう。
 なお、戦争政策を支持した有権者は戦争犯罪の「決定者」とは言いません。もちろ ん、道義的責任は免れないでしょうが、だからといって、無差別テロや原爆で殺され ても当然だということにはなりません。

 次に、本多勝一の大江健三郎に対する執拗な批判(「文筆生活の方法」)は全く言 いがかりとしかいえない不当なものであって、本多の偏狭さと独善性を十分に示すも のだと私は思います。

 広島・長崎の原爆投下に対する大江批判についても、ヒューマニズムの観点と運動 の観点を混同したものだといえます。
 確かに、日本国民がかつて侵略したアジアの諸国民に対して広島・長崎の被害を訴 えるためには、加害者の視点での反省を欠いては反発を招くかもしれません。しかし、 第三者(例えばフランス)が原爆を投下したアメリカを一般市民の虐殺という非人道 的行為のゆえに非難することは十分可能だし、それこそがヒューマニズムの観点での 「ヒロシマ・ナガサキ」の普遍性でしょう。
 そして、この普遍性の観点から、日本国民がアジアに対して広島・長崎の被害を訴 えることも、本来的には何ら誤ったことではありません。加害者の視点は、その主張 をどうやって多くの人に理解してもらい、運動を広げるかという、運動の観点からの ものです。

 9.11テロやハマスの自爆テロも同じことです。客観的には無差別テロはブッシュの 侵略行為同様に非人道的行為として非難されるべきものだが、ブッシュの侵略行為を 支持する人がそれを言っても被害者にはあまり説得力を持たないというにすぎません。
 ブッシュの侵略行為を非人道的行為であると非難するのであれば、無差別テロも同 じ観点から非難しなければならない。そうでないというなら、それはもはやヒューマ ニズムの観点ではなく、侵略と被侵略、帝国主義と第三世界といった別のイデオロギー を人命に優先させて、善悪を判断していることになります。

 私は、現代世界の多様なイデオロギー状況の中で、ヒューマニズムが唯一のかつ最 も普遍的な基礎として尊重されなければならないと考えます。