ここ「イラク戦争」討論欄での2003/9/26「権力・暴力を語る時に観念を肥大化さ
せる危険」ほかNKさんのテロに対する意見を支持します。イラクにおける米兵への攻
撃は戦闘行為といえますが、国連やシーア派など非戦闘員、市民をねらった爆弾はテ
ロ行為であって、アメリカが爆弾で一般市民を殺傷する行為と同じだと思います。
イスラエル、パレスチナのテロの応酬は憎悪の増幅になっても和平の糧にはならな
いでしょう。軍事制圧下にあるパレスチナ人民の不服従の闘争に連帯することと、非
戦闘員に対するテロを容認することとは別だと思います。イスラエルにも反戦の運動
があり、パレスチナにも自爆テロに反対する人々がいるのであって、圧倒的軍事力に
対してパレスチナ人民の戦いが自爆テロでしかないと思い込むのは不服従であろうと
するパレスチナ人の尊厳を貶めていることにはならないでしょうか。
ブッシュやシャロンの犯罪性を告発する行為が非人道的テロを認めることと同じで
あるはずがありません。(乱暴ないいかたをすれば、本来、民族の自決と社会正義を
求める運動は豊かな人間性を獲得するものであったはずで、それが政治性にのみ収れ
んされるとき、自らの人間性が新たな権力に容易にからめとられてしまうことを見た
のが20世紀の運動だったように思われます。)
また、アフガンやイラクで多数の市民が殺戮されるていることに豊かな想像力を働
かせて告発することのできる投稿者が、一方で北朝鮮問題になるととたんに政治性の
みを主張され、非人道的行為が行われていることには想像力を働かそうとされないこ
とに疑問を感じます(この日本で平和と民主主義を唱える立場にあるわれわれが隣国、
北朝鮮の権力が産み出す被害に無関心であっていいのでしょうか?)。アメリカ帝国
主義の侵略や犯罪を声を大にして叫んでも、金正日の圧政下に人間としての尊厳さえ
も奪われるような政治犯収容所があることに何の違和感も感じない正義にはかってソ
連の強制収容所に寛容であった政治性と似たものがあるように思え、危うさをさえ感
じます。(どういうかたちであれ北朝鮮の体制は歴史的に清算されるでしょう。その
ときに、またわれわれは「あれは社会主義でも何でもなかった」と言い訳をしなけれ
ばならないのでしょうか?)
東西の冷戦構造がソ連の崩壊によって終焉し、アメリカの一極支配の強まる中で日
本の政治が民族主義の色彩を帯びて右方向に舵をとろうとしている今、我々の運動が
国民に支持されるものであるのかを点検する必要があるのであって、(中東問題では
赤旗でキャンペーンを張り、野党外交まで行う共産党中央が北朝鮮問題ではひたすら
政府任せにして静観している姿勢がはたして国民の支持を得られるものだろうか?)
ゆでがえると非難してみたところで何の前進もはかれないと思います。