9.11同時多発テロ。これをテロと言う表現自体がイスラム教徒の民族解放闘争に対する侮辱的なものです。彼らは聖戦、ジハードといっています。その他イスラエルに対してあるいはイラクで自爆テロがいたるところで決行されているが私は彼らの言うようにジハードと呼びたい。読む人は勝手に頭の中で自分の用語にきりかえていいことです。
「一般市民をまきこむテロは絶対に許せない。」自称ヒューマニストはブッシュの指揮に合わせて大合唱に加わります。私が最も悲しいのは日本共産党がその合唱団の最前列に立ち、がなり声を上げていたという醜悪な情景である。このオカルト集団はいまや国民に見放されようとしています。あまりにも共産主義とかけ離れ、否、反共主義者と成り果てようとしてしまった不破体制にはまともな共産主義者はさすがにマインドコントロールに気づき、おそらく次期党大会が終われば残らなくなるかもしれません。
一体このテロ反対の主張をする人々には中東パレスティナ、アラブ、イスラム諸国人民の反植民地闘争に対する一片の関心も見当たらないのです。それに対してムスリムの戦いに、心からの連帯を寄せる人々に向かうと最大限の悪罵と憎悪を投げつけるのです。そしてまったくの嘘、ムスリムが自己解放のために命を捨てて戦っているのに対してイスラム世界の人民が支持していないと言う、帝国主義者張りの恥知らずな嘘を言うのである。私は唯物論者です。すべてのイスラム世界の人々がジハードを支持しているなどとは思わない。現実は多様です。しかしモスリムたちの堅忍不抜性、帝国主義からイスラム世界を守ろうとする高潔な精神が多くの人民の熱烈な支持を受けているのは明らかです。もしもそうでなければイスラム世界における反植民地戦争ははすでに影も形もなくなっているでしょう。圧倒的な軍事力でイラクを制圧したはずの米軍がゲリラ戦に引き込まれて悲鳴をあげています。イギリス兵は恐怖におびえているます。そのゲリラたちを支えているのは人民です。そして一般の市民も米兵の銃口の前でデモをし、制圧する米兵に石を投げ、おとついは15歳の少年が射殺・・・(文字化け)・・・。
ロンドンでは再び10万の反戦デモに包まれました。ゲリラは人民の支持がなければ敗北するしかありません。しかしここでも考えるのは必ずしもバグダッドに撃ち込まれるロケット弾が反植民地戦争のゲリラによってすべて行われたとはいえないということです。やけくそになったイラク兵かもしれないだろうし米軍の謀略かもしれない。おそらくイラク国内は無政府状態になっている中での反植民地戦争があるのだろうと思います。
9.11のゲリラ戦、ジハードが罪のない市民を3000人以上殺したということだけで物事を判断してはならないと思います。
アメリカ人がしっかりと考えねばならないことはモスリムがなぜこんなことをしなければならなかったかと言うことでしょう。同時に私たち日本人も考えねばならない事はいま北朝鮮をどれほど追い詰め苦しめているかということです。第二次大戦後アメリカ帝国主義がイスラム世界で何をやってきたか、イスラエルを使って何をしてきたか、その広大な地帯でどれほどの人民の血がアメリカによって流され、どれほどの搾取と収奪がおこなわれてきたか。その想像力が少しでもあれば彼らが欧米人をすべて敵だという気持ちがわかるでしょう。私が「批評者であってはならない」というのは空調のきいた部屋で「無差別テロを憎む」などと言う文字のキーを叩いている人に対してです。それをいうならパレスチナの人々のどまんなかでいえばいいのです。ついでに民主主義とヒューマニズムの説教をイラクの市場で賜って御覧なさい。たぶん生きて帰れないでしょう。
イスラムに関するどの本を見てもイスラム教が戦争や支配を求める宗教でないことを書いている。イスラム教はユダヤ教もキリスト教も弾圧しない。しかしイスラム教を弾圧されればどんな犠牲を払っても戦えとコーランで教えられているそうです。モスリムが爆弾を腹に巻いて敵にぶつかっていく、そこにはそうしなければならない恨みと憎しみが帝国主義に対してあるからでしょう。
日本共産党がブッシュと一緒にテロ反対の大合唱をやるならばそれがアフガンの攻撃、イラクの攻撃を主張するのと同じものでしょう。党がアメリカ帝国主義の露払いの役目を果たしているのです。それが証拠に世界中で2000万人の反戦集会があったというのに、何にもしなかったではないでしょうか。だれかこれを読む方の中に党中央委員会からイラク戦争の頃に「全力をあげて反戦集会を組織し首都へ集まれ」という指令を受け取った人はいるでしょうか。60年安保の時は連日のように中央から,県委員会、地区党、細胞へ指令があった事を思い出します。そしてあの頃の党員数は4万人でした。たった4万の党が一丸となって戦ったことがあの歴史的な60年安保反対闘争の原動力となったのです。またその戦いがあったからこそ今日まで自衛隊を戦争に使えなかったのです。しかし、院外闘争を回避することに腐心し、議会制民主主義に自らの手を縛ってしまったために、戦争法案が次々に可決し、そしてついに自衛隊のイラク派兵を許したのであります。丸山真男が日本の戦争を阻止し得なかった責任が日本共産党にもあると書いたのだが次の戦争にも当て・・・(文字化け)・・・。
今も毎日南米で、中東で、中央アジアで、アフガンで、イラクで米兵が人民を殺していることに一言も触れず、イスラム世界の民族解放戦争を支持する人を非難するものが共産党員だと思えば背筋が寒くなります。彼らこそが権力を握れば反戦主義者に襲い掛かるスターリン主義者かもしれません。
同じその人たちが拉致問題のマインドコントロールにかかり、北朝鮮排外主義を撒き散らす危険性を警告する人をののしるのです。強制連行と拉致を一緒にするなと言うもっともらしい理屈で、拉致は拉致、強制連行は強制連行で裁かねばならないという主張こそが拉致と強制連行を同じ平面に並べているのです。そんなペテンにかかるものですか。強制連行で流された血の量と拉致で流された血の量を比較せよといえばポルポト派というのでしょう。そして何と言うことを言うのでしょう。この私がマインドコントロールにかかっているとは。私は何の組織にも入っていないしただ一人でいるに過ぎないので一体共産党員のように誰がどの組織がわたしのマインドをコントロールできるというのでしょうか。すべてを疑いながら、今明快にイラク問題、聖戦、拉致、強制連行を判断できているのです。残念なことに共産主義者の党に入りたいが見つからないのです。
ポロポト派とか紅衛兵、スターリン主義者、ファシスト右翼などと勲章を授けて下さって私の胸の洋服はきらきらと輝いています。もう一つトロッキストと言う昔もらった勲章はほんとに嬉しいものでした。いろんな人にトロッキストといわれたものですが誰一人トロッキーの本を読んだ人がいなかったのを思い出すと今も頬がにんまりと緩むのです。
しかし問題はそんなことではありません。この拉致問題で日本中に反北朝鮮、排外主義の嵐を意識的に吹き込まれていることの真の意味は何でしょうか。あきらかに朝鮮戦争を日本帝国主義がやろうと決めたことがそこにあらわされています。平壌宣言で金正日に経済援助と言う餌を与え、引き換えにかっての植民地支配の賠償請求権を放棄させるや、その直後に拉致問題で日本中に北朝鮮排外主義の嵐を作り上げ、しかも経済援助どころか核問題を理由に重油など経済封鎖をアメリカとともにしたのでしょう。「窮鼠猫を噛む」というが、ねずみを追い詰めてもてあそび、飛び掛ってくるように仕向けておいて、最後に尻尾まで食いつくそうとする猫のようにざんにんな帝国主義日本です。
共産主義者ならばいち早く支配階級の意図を見抜き警鐘を人民に向かって鳴らさねばならないのです。それがやっていることはまったく戦争の危機、朝鮮人差別の危険性を訴える人々に憎悪を剥き出しにして噛み付いているのです。
「これでもわからないのか」
なんと高圧的な言葉でしょう。イラクへの自衛隊派兵は朝鮮人を平気で殺せる軍隊にするためのものでもあることが見抜けないような共産主義者などいないのです。
数日前石破防衛長官が閣議決定として鳥取県で「北朝鮮が攻撃してくる」ことを想定した県民全体の訓練を行い、その経験を元に日本全土に広げるシミュレーショとしてでやるのだと発表しました。事態はそこまできているのです。私の子供の頃の防空訓練や演習と同じです。こうして戦争反対の声も出ないようにしてしまうのです。もしも反対すれば「非国民」とよばれるのです。
拉致を許せないと北朝鮮に対する憎悪をあおっている共産党員がどんな役割を今しているかは、明らかではありませんか。この連中の今の日本共産党が迫りくる朝鮮戦争にあたってますます排外主義の党として日本人民と朝鮮人民の前に立ちはだからないと想像しないほうが難しいのです。そしてこんな連中がヒューマニストでDemocrasistと自称しているのです。カウツキー君、これでもまだいうことはありますか。
このように堕落した日本共産党にマルクス・レーニン主義の復権を私は未練たらしく希望しています。