先のイラク戦争討論原稿、「インティファーダ」に関連した内容である。
10月3日の赤旗文化欄「詩壇」に掲載された近野十志夫(詩人)氏の「詩と思想」、
9月号「反戦詩特集」についての評論である。特に、ここさざ波で相も変わらず、頑
固に米国擁護やテロ非難を繰り返すことに執心している人に送りたい言及である。
--先ず、詩人経由佑介に送られたハミルの書簡中のアルベール・カミユの言葉を
紹介しておきたい。「殺人を熟慮し、選択することに賛意を得る、これがわたしの願
望である。それにより、自分が殺人者となる、あるいは共犯者となる結果を受け入れ
る人たちと、力を尽くし存在を賭けそれを拒絶する人たちの判別が可能である」
この言葉に従えば、イラク攻撃を支持した人たちは、自分が殺人者か、あるいは共
犯者になることを個人として受け入れたことになる。
これ以上、いう必要はないのですが、引用のみでは、著作権の問題もあるようで、
少々、説明をします。
今まで、私やさつきさん、大樹の陰さん、獏Bさんらの思いの根幹を見事に代弁し
てくれているとおもうのですが、この理屈を適用すると、反論者・自公民グループは、
ブッシュの共犯者であり、日本にいながらにして殺人者となることになります。
赤旗はときどき、いえ、以前と比べると、格段に内容があがりました。ぶつぶつ文
句を言う手間がはぶけて、たすかります。
一方いつかの天邪鬼さんのテロリズム論(イラク戦争討論)に、深いヒューマニズ
ムを感じ入り、思いを投稿できないままきました。改めて、言及したいと思います。
2003年、5月30日の新聞赤旗・文化欄「歌壇}に「問われる作歌する姿勢」と題し
て、奈良達雄氏の詩評があります。
--「歌壇」6月号の特集「時時詠の可能性」に、大辻隆弘(未来)の一文「失語
状態を超えて」で、テロ事件を詠んでいる。「紐育(ニューヨーク)空爆之図の壮快
よわれらかくながく長く待ちゐき」
この歌は当然当時の状況から、批判が集中し、この奈良氏も批判にたった詩評をく
りひろげています。
石井辰彦に「未来」誌上で、その非人間性を鋭く批判されたことに対して、大江は
「戦争において情報はあくまで武器であり、それらは世論形成のためのプロパガンダ
としてもちいられているに過ぎない」「人間はたとえそれが捏造されたものでろうと、
そのつどそのつど与えられた情報のなかで、一刻一刻心を震わせながら生きている。
そしてそのつど湧き起こってくる心情こそが、その瞬間の「真実」であるはずだ」と
返します。
これに対して、奈良氏は、--どんなに歪められた情報下にあっても最低限「如何
なる社会問題もテロをもって根本的解決を計ることはできない」「テロに対しては法
による厳正な処罰を求めるべきで、報復戦争はゆるされない」とする認識にたつこと
が必要であろう。9・11の惨劇を「壮快」としたことに対する石井の批判は当然で
ある。ーーとむすぶ。
いつのまにやら、自由な表現活動の歌が、言論統制下の自粛へと右へならです。
「テロに対しては法による・・」がこんな歌壇欄にも、出てくる滑稽さ、これがもし
かして民主集中制ってやつですか。さざ波のテロ批判論者は、この文章を読んで、大
きくうなづいていたことでしょうか。天邪鬼さんが言及されたテロ批判先生のように・
・・
私は、当然、この奈良氏に大きく違和を感じ、赤旗の教条主義にうんざりし、共産
系の文化人・大御所の化石老人の脳みその腐臭をぷんぷん感じ取ったものでした。
そもそも、この大辻氏の歌はそのときのアラブ側のある心情をうたったものであり、
感情移入した率直な心情を政治的・社会的な制約をいっさい抜きにしたうえで読み取っ
たものにすぎないのである。歌としては、すぐれて価値のある勇気あるすばらしいも
のである。
それを、検閲まがいの批評をとくとくとかたるその様は、実に醜悪そのものであり、
歌をこうして、思想調整に利用する姑息さは不気味としか言いようがない。石井氏、
奈良氏は、大辻氏を批判することで、米国の蛮行を擁護していることにきずかないの
だろうか。否、その米帝国の手先になって、抑圧されるアラブの血の一滴も感じられ
ないのである。
ともあれ、こうした共産系のカビの生えた化石思考に出会うたびに、党に反論して
きた私ですが、この件はなぜか、機会を失っておりました。
天邪鬼さんの原稿に出会い、また、ささざ波での同じような論調に驚き、そして、
冒頭の近野氏の「立場・中身からいったら全く同様のものを今度はアラブ側の視点か
ら」の評論の見識に、いたく感銘をうけたものである。
先に腐臭の臭いのする評論を読んでいただけに、ここにきて、私ははじめて、溜飲
がさがったといおうか。大辻氏に比べれば、優等生的な無難な評であり、さほど勇気
も要らないが、赤旗の新聞としては、合格であろう。
それにしても、大辻隆弘氏の歌、評論がよみたいものである。大辻氏の評論をとり
あげるほどの力量があれば、共産党は確実に大躍進できるのだが。