レーニン全集28巻大月書店1966年版
「アメリカ労働者への手紙」1918年8月20日L56より
「彼ら召使どもは、テロルをあげてわれわれを非難する。・・・・
イギリスのブルジョアは彼らの1649年を忘れ、フランスのブルジョアは彼らの1 793年を忘れている。ブルジョアジーが自分のために封建領主にたいしてテロルを もちいたとき、そのテロルは正しくかつ当然なことであった。労働者と貧農が大胆不 敵にもブルジョアジーにむかってテロルをもちい出したとき、テロルはけしからぬ犯 罪的なものとなったのだ!ある搾取する少数者が他の搾取する少数者にとって代わる ためにテロルをもちいたとき、そのテロルはただしくかつ当然なことであった。いっ さい(傍点)の搾取する少数者をだとうするため、ほんとうの大多数のため、プロレ タリアートと反プロレタリアート、労働者階級と貧農のために用いられ始めたとき、 テロルはけしからぬ、犯罪的なものになったのである!
国際帝国主義のブルジョアジーは、『自分らの』戦争、イギリスの略奪者が全世界 を支配するか、ドイツの略奪者が支配するかと言うことからおこった戦争で、1000万 の人を殺し、2000万の人を不具にした。
もしわれわれ(傍点)の戦争、抑圧者と搾取者に対する被抑圧者と被搾取者の戦争 がすべての国で50万あるいは100万の犠牲を必要とするなら、ブルジョアジーはい うだろう、まえの犠牲は当然であり、あとの犠牲はざいあくである、と。
プロレタリアートはまったくちがったことを言うだろう。
プロレタリアートは、いま、帝国主義の恐ろしさのただなかで、すべての革命がお しえるあの偉大な真理、労働者の教師、近代社会主義の創始者たちが彼らにのこして 言った真理を、完全に、明瞭に、会得しつつある。その真理とは,搾取者の反抗を鎮 圧することなしに革命の成功はありえない、という真理である。われわれ労働者と勤 労農民が国家権力を手に入れたとき、われわれの義務は、搾取者の反抗を鎮圧するこ とであった。われわれはそれをやったこと、そしていまもやっていることを誇りとし ている。われわれはそれを強硬にだんことしてやる点で、未だ不十分なことを残念に おもっている。
(4行略、56行から)
わが国の革命が誤りをおかすたびに、金しだいのブルジョア新聞が、そのことを世 界中で叫びたてるなら、叫びたてるがいい。われわれは自分の誤りをおそれない。革 命がはじまったからといって、人間がせいじんになったわけではない。幾世紀にわたっ て抑圧され、しいたげられ、貧困と無知と野生化の締め木にむりやりしめつけられて きた勤労所階級は、誤りを犯さないで革命をなしとげることはできない。そして、わ たしがまえに指摘したように、ブルジョア社会の死骸はかんに入れて、つちにうずめ るという具合にはいかない。倒された資本主義はわれわれのあいだで腐敗し、分解し、 空中に毒気をまきちらし、われわれの生活を毒し、古いもの、腐ったもの、死んだも のの数千の糸と結びつきによって、新しいもの、できたてのもの、若いもの、生きた ものをとらえるのである。
(10行略、51行目から)
そうした活動、幾千万の普通の労働者と農民が彼らの全生活を立て直すために行うこ の極めて良心的で誠実な活動にさいしての誤り、そうした誤りは、その一つ一つが少 数搾取者の「誤りのない」成功
勤労者をたぶらかし、ペテンにかける上での成功の千や百万にも匹敵する。・・・・
同「アメリカ労働者への手紙)(53ページ)
産業の「破壊」あるいは「テロル」ということでわれわれを非難するのは、偽善的な 言動をしている野か、出なければ、革命と呼ばれるあの凶暴な、極度に激化した階級 闘争の基本的条件を理解できないこと、愚鈍な衒学根性をさらけだすだけである。
元来この種の「非難者」は、彼らが階級闘争を「みとめている」としても、それは 口先だけの承認にとどまっているのであって、実際には、諸階級の「協定」と「協力」 という小市民的な空想に絶えず陥っているのである。なぜなら、革命の時代には、階 級闘争は常に必ずあらゆる国で内戦(傍点)の形態をとってきたのであり、内戦は、 きわめて苦痛な破壊もなく、テロルもなく、ないせんのために形式上の民主主義の制 限するということもなしに考えられないからである。・・・略・・・無感覚な『箱の中の男』 だけが、人類最大の問題を闘争と戦争によって解決することを歴史が要求するとき、 最大の情熱と決意をもって戦闘に身を投じる代わりに、上記の理由を口実にして革命 から遠ざかるというようなことができるのである。
レーニンの文にテロだけを取り上げたものはありませんが全著作の中に200 ページ以上書いています。索引はテロル(革命的)(個人的)(反革命的)と三つに 分けています。