「何をなすべきか」(レーニン)をあなたのおかげでまた読むことになりました。前に読んだときより理解が深まる感じです。その理由は党大会を前にして綱領改定問題の結果が日本共産党を日和見主義からさらに排外主義へと転落させていく瀬戸際にあるという時に読んだからです。わたしは党員ではありませんが日本共産党が歯止めを失って転落していくことが日本労働者階級と人民にとって重大ななことだと考えるのです。
昨日大塩兵七郎さんの投稿「日本共産党の愛国主義」を呼んで党そのものが朝鮮侵略戦争をやるんだということを知り「ここまできたか」と驚くとともに、日本人が共産党にまで引きずられて戦争に駆り出されるのだと思えば、党大会があなたたちだけの問題ではない、あなたたち党員は日本人民に対して重大な責任を負わされているのだと、言いたいのです。
さて、この書は1902年に書かれています.1905年ロシアは大きな革命を迎えるのですが、日和見主義化した社会民主主義派を、戦闘的マルクス主義の党に立て直すために書かれ、1905年革命に辛うじて応じることが党としてできたのです。ここにロシアでは共産党の原型ができたとわたしは考えます。これはレーニンの厳しい党派闘争で、同時に思想闘争でした。この戦いなしには社会主義革命はなかったと思い改めてレーニンを尊敬した次第です。今、さざ波通信を読む方は「何をなすべき」かを読んでほしいと思います。学ぶのでなく実践的に。
この中にテロのことが載っています
われわれは決して原則上テロルを拒否しなかったし、又拒否することはできない。テロルは、戦闘の一定の瞬間には、軍隊の一定の状態にあっては、又一定の諸条件のもとでは、まったく有用なものとなりうるし、又必要なものとなりうる軍事行動の一つである。だがことの核心はまさに次の点にある。それは現在ではテロルは決して闘争の全体系と密接に結びつき、それに適合させられた、野戦軍の作戦の一つとして提出されているのではなく、どのような軍隊からも独立で無関係な、単独攻撃の手段として提出されているという点である。中央の革命的組織が存在せず、地方的な革命的組織が弱い場合には、テロルはこれ以外にはありえないのである。だからこそわれわれは現在の情勢の下では、このような闘争手段は、時宜に適しない、目的にかなわないものであって、最も活動的な闘士たちを、彼らの本当の、運動全体の利益にとって最も重要な任務からそらせるものであり、政府の勢力ではなく、革命勢力を解体させるものであると、きっぱり宣言するのである。
もっとつづきますが後はご自分で読んでいただきたいた思います。レーニンは人道的な立場で1902年にテロに反対したのでなく中央組織もない、そのとき(1922年)には革命の害になる、あくまで革命の観点から判断しています。レーニンは学者というよりも革命家なんですね。徹底した暴力革命論者であったとわたしは考えます。
ジハード、自爆テロが果たして民族解放戦争にとってどうなのかはわたしたちにわかるはずがありません。わたしは彼らの戦いがたとえ誤った方針のために悲惨な失敗に終わろうとも、支持する以外にないのです。それも熱い思いをこめて。
この前の返事です。