価値観・イデオロギーの違う方との議論は、どこまで行っても平行線ですね。
>これに対して、悪しき政治主義であるとか、イデオロギーを人命に優先させる発想であるとかの批判がくり返されています。しかし、例え「ヒューマニズム」と言えども、全ての主張は、(不可避的に)現実世界の情況の中で実践的に政治的意味を発揮する「イデオロギー」の要素となるのです。その中身を議論している時に、上記のような批判はレッテル貼りと同質の無意味なものでしかありません。
もちろん、ヒューマニズムはイデオロギーです。だから、「私は、現代世界の多様なイデオロギー状況の中で、ヒューマニズムが唯一のかつ最も普遍的な基礎として尊重されなければならないと考えます」とすでに書いているのです。「最も尊重されなければならない」という意味は、条件や原因いかんにかかわらず、いかなるときでもヒューマニズムを貫かなければならないということです。
これは価値的な決断ですが、ファシズムやスターリン主義などのイデオロギーゆえに莫大な人が死んだ20世紀の教訓として現代世界の共通の価値観となっています。だから、ここであなたたちのように頑迷にヒューマニズムに他のイデオロギーを優先させる方がいることに私は率直に驚いています。
問題は別に難しいものではありません。世界貿易センター内で働いていた民間人、ジャンボジェット機内の多数の乗客、乗合バス内の多数の通勤者や子供、さらには都市への無差別空爆や原爆投下・・・こうした一般市民がテロの標的となって殺されることについて、決して許されることではないと感じるかどうかです。この程度のことに無条件に同意できず、原因如何によっては正当化される(非難できない)などと考えるような価値観の持ち主とは、どんな議論をしても不毛に終わるだけです。
あなたは「原因があるから結果がある」という驚くべき粗雑な因果応報の理論で、アメリカの原爆投下や9.11のテロリストを免責していますが、少しその内実をみれば、「やつらがたくさん殺したから、こちらも殺す」というマフィアの報復の論理と何ら異ならないことに思い至るでしょう。報復の論理はヒューマニズムの対立物であることはもちろん、革命や民族解放の思想とも無縁です。
さすがにこの『さざ波』の9.11テロの論評は、「このような無差別テロは、いかなる意味でも、「反帝国主義」的意味を持ちえない徹頭徹尾反動的な蛮行である。このようなテロリズムはただ、帝国主義と反動に奉仕するだけである」(S・T編集部員)と、テロを糾弾しています。実際に、9.11テロは先制攻撃主義のブッシュドクトリンの実行を促進したし、パレスチナの自爆テロは中東和平を限りなく後退させています。テロの政治的効果は、ブッシュやシャロンを力づけただけです。
なぜか? ・・・無差別テロは現代世界の共通の価値観であるヒューマニズムを否定するものであり、したがって、そのようなテロを実行した者は世界の大多数の国と民衆を不可避的に敵に回すことになるからです。この点をあなた方はもっとよく考える必要があるでしょう。