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「イラク戦争」討論欄

今、何をアピールすべきか(未来派さんへ)

2003/10/11 さつき、40代

   返事が遅くなりました。10/3ご指摘の件につきましては、多分に、私の最近のdemocratさんへ向けた投稿文(10/2、10/9)に、関連する部分が含まれていると思いますので、まずはそちらをお読みになって下さい。以下、補足させていただきます。

 「テロリストに寄せられる心情」は東映やくざ映画のヒロイズムに拍手を送る心情に似ていると批判される未来派さんは、「ほんとうは私は彼等に紙とペンをさしあげたい」と書かれる長壁さんの苦渋に満ちた想いを理解されていないようです。私も度々、同趣旨の心情を吐露してきました。しかし問題は、そこで我々は何をアピールすべきかにあるのです。この部分、私の8/25、8/29、9/3(2件)の投稿などに関係しますので、具体的にご指摘いただけましたら幸いです。(私は東映やくざ映画をただの一本も観たことがないので、よくわかりませんが)

>「わが祖国のために」と敵艦に突入した神風特別攻撃隊員の悲しみは殉教者の色彩を帯びて、爆弾を抱えてテルアビルのバスに乗り込むパレスチナの若者とだぶってきます。しかしながら、そこにあるのは政治の犠牲でもあるわけです。

 だからこそ、その犠牲の根本原因を生んだ政治の主体はどこにあるのかを見失ってはならないのだと思います。このことをさして私は、「原因と結果を同列においてはならない」と書きました(10/9)。

>一つしかない命だから、死を賭した戦いには何か神々しいものが感じられもするわけですが、だからこそ、一方で誰にも生きる権利は平等にあり、誰をも他人の権利を抹殺してもいいなどという大儀がある筈はないのだと知らしむべきなのです。

 まったくその通りで、誰にも生きる権利は平等にあるべきです。それを保証するためにも、その権利を奪った者は平等に罰せられるべきです。しかし現実は、その理想から絶望的に遠い状況にあります。侵略戦争を仕掛け、多くの一般民衆を殺戮し、生きる権利を奪ったのに全く罰せられない者と、むりやりに戦争という土俵に引きずり込まれ、分断され、右往左往し、あげく自爆テロという悲惨な結果を生んだことに対して過剰に罰せられている者がいる。このような根元的な不平等を前に、どちらも平等に悪いとけんか両成敗的なアピールをすることの政治的効果はどのように発揮されるでしょうか? それこそ両者の「罪」を相殺し、侵略者を免罪する論調を広めることになるでしょう。このような情況が続けば、ますますテロが頻発することになるのは目に見えています。問題の根本的な解決を妨げるという意味で犯罪的ですらあります。

>人権と民主主義が軽んじられる社会正義や変革の運動があるとしたら、そんなものは歴史に耐えられないのだというのが、今日、われわれの前面に拓けた地平のように思われます。

 これもまた、全くその通りです。少なくとも人として扱われている者に向かっては、人権と民主主義を軽んじてはいけないと主張すべきです。しかし私には、長い間まるで虫けらのように扱われてきた者に向かって人権を守れと説く厚かましさはありません。その前に、他を虫けらのように扱ってきた者の存在を許している、その彼らの恩恵に与ってさへいる自分自身を恥じ入ります。「社会正義」を求める運動であれば当然、その根底にヒューマニズムがなければなりません。しかし、現に人間の尊厳をとことん踏みにじられ続け、ヒューマニズムの恩恵に与ったことさへない者がいる時に、その彼らに向けてヒューマニズムを要求することなどできませんし、なにより無意味です。ヒューマニズムを、世界の隅々にまで声を大にしてアピールできる情況を切り拓くためにこそ、まずは、虫けらのように扱われている者を救い出す努力を優先し、自らが「それ」を言う資格のある「人」であることを示さなければならないと思うものです。

 人間の社会生活にかかわる「人権」や「民主主義」や「ヒューマニズム」という言葉を、情況を無視した形で乱発すれば、その内容は全く皮相なものとなり、時には犯罪的な政治的効果さへ発揮します。こうした言葉は「理念」でありながら、情況の中だけで生かされ(実体を持ち)、文脈の中でのみ、その意味が発現されるからです。最近の日本共産党は、選挙目当てで「八方美人」的にこれらの言葉を乱発し、それで終わっているように思えてなりません。けんか両成敗にしてしまえば行動目標は限られ、ダイナミックな大衆運動を組織する必要もなくなる訳です。このままでは、単なる議員政党へと堕落し、そのうち誰からも注目されなくなるでしょう。口先だけで「人権」や「民主主義」を唱える「社会正義や変革の運動」など、歴史に耐えられたとして無意味です。

>さつきさんの逡巡を延長しますと、イラク戦争でアメリカの劣化ウラン弾の使用を告発するには、まずフセインのクゥエート侵入から非難しなければならないというようなおかしなことになりませんか?

 湾岸戦争を問題にするなら、最低でも、イランに向けて代理戦争を仕掛けるために、かって米国がイラクに対して大量の武器援助を行った時点まで遡るべきでしょう。ここではイラク戦争が問題になっていますから、とりあえずは「クウェート侵攻」の問題は関係ないと思いますが? なお、劣化ウラン弾は、兵器である以前に、その材料自体がそもそも極めて危険な核廃棄物であり、戦場における使用以前のその取り扱われ方自体が国際法に違反している可能性の高いものです。IAEAは、まず米国をこそ核査察すべきです。

>もちろん、侵略の責任はあるのだし新たな戦争勢力の台頭を許してはならないのですが、核の問題は単にアジアに侵略した日本の非戦闘員が非人道的被害にあったというだけのものではなく(それでも戦争犯罪です)、核の下の平和などというものが、未来において人類の滅亡にもなりかねない危ういものだという告発を世界に発信している運動として重要だとおもいます。

 もちろん私もそう思います。広島の原爆資料館の展示も、そのことへ向けたメッセージが大半です。このことはしかし、この「イラク戦争討論欄」で議論すべきことから少しずれるので、これ以上述べません。

 私が言いたいことは、「我々は今、何をアピールすべきか」という点にあります。私は、この時点でテロ非難のアピールなどできません。9/18の川上慎一さんも書かれたように、もしテロを非難するならば、同時にその百倍も千倍もアメリカ帝国主義の野蛮な侵略と戦争政策を非難しなければならない。しかし現時点で私達はその百分の一も、千分の一もなしえていません。また、けんか両成敗の愚を犯すことで、原因と結果という物事の本質を見失わせる効果を発揮すると思うからです。何より、その結果、さらなる悲惨なテロの頻発を招くことは必至だからです。 私のアピールは:「ブッシュ、ブレアを国際刑事裁判所に訴追せよ」