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「イラク戦争」討論欄

もう一度考えてみました(さつきさんへ)

2003/10/19 未来派、50代

 この文書を書き始めようとしたとき、2003/10/14 さつきさんの「ちょこ&みいたさんへ」を見ました。「洗脳」についての意見は同感です。その意味で人は己を信じることでしか生きようがないのでしょう。
 さて、さつきさんは「長い間まるで虫けらのように扱われてきた者に向かって人権を守れと説く厚かましさはありません」と言われます。それでもわたしは厚かましく「命を大切にしてくれ」と言いたいのです。
「その前に、他を虫けらのように扱ってきた者の存在を許している、その彼らの恩恵に与ってさへいる自分自身を恥じ入ります」と言われるさつきさんは繊細な感覚をお持ちなのですね。
 内容は忘れましたが、1970年ごろ井上光晴という作家が『心優しき反逆者たち』という題名の小説を書きました。(40代のさつきさんからまた、「よくわかりません」と言われそうですが、東映のやくざ映画に例えたのは別に揶揄したわけではありません。70年の「安保・沖縄闘争」のころに青春時代をすごした者には大衆文化としての東映映画があったものですから勝手にわかりやすいものと思い込んでいました。ちなみに、そのころ観た映画『アルジェの戦い』は一方で衝撃的であり、涙もしました)テロリストの心情はたぶん「心優しき反逆者」なのでしょうね。
 朝日新聞10月13日に「女性弁護士なぜ自爆犯に」という見出しで(長壁さんから「自爆犯」とは何事だと朝日新聞は怒られるのでしょうが)「パレスチナの母語る」という記事が出ていました。――「娘を失ったのに、なぜ笑えるのか」と尋ねると、「『抵抗せよ』というのがイスラムの教えだ。それに、死んだら天国が待っている」――と書かれていましたが、そう言わなければ娘を失った母親としてやりきれない深い悲しみもあるように思えます。「やっとわが子も陛下の赤子として英霊になりました」と靖国に参らなければならなかった軍国の母と同じ思いでしょう。世界の正義はあまたあっても、死に行くわが子はひとりなのです。
 神風特別攻撃隊に志願させられた多くが学徒兵だったように、爆弾を抱えるテロの志願者は未来ある若者であって、その指導者ではありません。わたしなら卑怯であっても逃げろと言いたい。
 わたしが「生きる権利は平等にある」と言ったのは「ヒューマニズム」という高尚な観点から言ったわけではなく、うまく表現はできないのですが人としてあるべき根源的な生のようなものです。それは、アフリカで飢えていく少女にもあるのだし、軍事占領下にあるパレスチナの青年や、北朝鮮の強制収用所にひきたてられた人々にも厳としてあるもので他人が犯しえないものだというものです。(前回の投書では「ヒューマニズム」ととられますよね。舌足らずでした)この視点から見て、「今、何をアピールするべきか」と言われれば、ブッシュもシャロンも金正日も糞くらえです。
 また、人権と民主主義はひととして扱われていない者が権力者とか指導者に対して軽るんじるなと言いえることばだと思い、内部に向かって発しました。それを、さつきさんは「虫けらのように扱われてきた者に向かって人権を守れと説く厚かましさはありません」と逆に捉えられています。(たぶん、テロをする者とテロをされる者と捉えられたのでしょう)
 その一方で、わたしは自分をあまり理性的な人間ではないと思っていますから、仮にわたしの息子や娘がテロの犠牲になったときに、これは帝国主義に加担した当然の結果だと反省する自信はありません。(そのことからすると、9.11テロで家族を犠牲にした人の反戦活動には頭がさがります)大量消費文化を享受しているというだけで罰を受けなければならないとすると、それもまた理不尽なことではありませんか。
 恥じなければならないのは「フセインがみつからないからといってフセインはいなかったといえるのか」などと小泉という男に言わしてしまっている国のありようを我々が許しているということであって、世界革命を信じてアラブの地にあった重信房子でなければ、それ以上に優先する「虫けらのように扱われている者を救い出す努力」があるとも思えません。

 ブッシュという男が箱舟に乗ったノアの正当な子孫だと本気で思っているようだということぐらいはわたしでもわかります。
 それであるからこそ、この自由のアメリカの地で大統領になれた。知恵を働かせさえすれば誰でも金持ちになれるしロールスロイスにだって乗れるじゃないか。これこそ神が地上にもたらされた真理であって、その自由アメリカの民主主義を守り、ただ大地にひれ伏すしか能のない野蛮なおまえたちにも教えてやろうというのに、なにゆえ邪悪な心をもって抵抗しなければならないのかと思っているとすれば、そのたいした使命感をあきらめさせるのが世界の反戦運動であり(罰を与えることではない)、そんな大統領を選んでしまったアメリカの価値を恥ずかしく思って異議申し立てをしているアメリカ国民とも連帯した運動が進むことが世界の平和に道を拓くもののように思えます。
 テロを非難する者はアメリカの戦争に加担するものだと決め付けるようなプロパガンダでは自ら運動の幅を狭めて、憎悪の連鎖にはまり込むものではないでしょうか。