見事な論文を読ませていただきました。若干の意見の違いはありますが、小異です。鋏状にに広がるものとは思えません。愚等虫様も素晴らしいインテリジェンスを感じさせてくれさざ波通信は怖いところだと思います。私の私的な文章は危険だとのご注意ありがとうございます。実は編集部からも注意されたのですがあえて投稿しました。しかし十分な警戒心を持って初めから書いていますのでご心配を感謝しますが、大丈夫です。
私は理論家ではないので抽象的論理は苦手なのです。どのジャンルとは申せませんがアーチストです。この種の人間のものの考え方は色々な事物の特性から抽象して論理を組み立て真理に近づこうとするのと、正反対のやりかたで真理を求めます。個人の世界をリアりティーに描き出すことによって、連帯を求めて行くという、「俺も一緒や」と感じてもらえる表現が習慣になっています。個別性の中に普遍性がある、そのような考えです。理論家は個別の集合から普遍を引き出し、それを個別に返し実証していきますね。
たとえばセクハラという言葉のイメージが普通ありますが漠然としています。それが労働女性に対する差別だと言ってもわかりません。事実をありのままに書く、それ以外に方法のないときもあります。私がわかってほしいのは、いかなる差別であれ差別がどれほど人間の心を傷つけるかということです。インターネットがありがたいのは、わたしを特定できないと言うことです。(もちろん警察は特定できるのでそのほうのことも注意が必要です)。だから無責任な発言をするひともあれば、逆に責任感を持って発言するあなたのような人がいます。これは剣の両刃ですね。
ところでタリバンを支持できないのはわたしもおなじです。マスードに期待をもっていましたが9.11の直前にテロで殺されていました。しかしマスードも北部同盟であったから何がなんだかわかりません。北部同盟がアメリカ帝国主義の傀儡であってみればアフガン反植民地闘争の敵です。アフガニスタンは非常に複雑で十分な資料なしに即断できないですね。
テロ一般について、それが民族解放のため、あるいは革命のため有効な手段であれば私は支持します。9.11は巨大な歴史的事件でした。世界史はこの事件で変わると思いました。つまり帝国主義の思うがままにならないと言う時代に入ったということです。わたしは手を打って喜びました。しかし自爆したアラブの人たちを悲しみました。
テロで関係のない人々が3千人以上死にました。しかし湾岸戦争では関係のないイラク人が10万人も殺されました。その後も経済封鎖と劣化ウラン弾の放射能で長期的にころされつづけてきました。この戦争を圧倒的に支持したのは「関係のない」アメリカ人です。問題は数字ではないと人が言うなら、問題は数字だとわたしは答えます。
戦争は冷酷です。反植民地戦争も革命も冷酷な側面を持ちます。その現実を認識してさえ、なお押し進めていく以外に人類の解放の道がないならそれを選ぶとわたしは考えます。