次に、天邪鬼さんは、何回かレーニンを引用されます。21世紀の今日から見て、レー
ニン(やマルクス)の思想には左翼全体主義を立ち上げる数々の問題・欠陥を内包し
ていたと考えますが、そのことは別の機会に譲るとして、公共の場所に偶然的に居合
わせた市民や非戦闘員を殺傷するテロを必要・有効だとして是認する思想とレーニン
は無縁です。
19世紀のロシア・テロリストは皇帝や貴族を殺傷することによる革命をめざしまし
たが、そのナロードニキやその流れを組む<人民の意思派>の「小ブルジョア的」テ
ロリズムを克服し労働者を主体とする変革というマルクス主義党建設をめざして思想
闘争を行ったのが、プレハーノフやレーニンです。『何からはじめるべきか』は、そ
の党建設局面1901年に書かれています。それよりずっと後ですが、日本が革命干渉侵
略戦争を行った時、ニコライフスクという都市で日本軍兵と民間人捕虜がパルチザン
に虐殺されるなどの<テロ>が行われた際、ソビエト政権はパルチザン指導者を裁判
にかけ処刑しています。
レーニンが批判したナロードニキ系でさえ、基本的に支配者階級の直接的有責任者・
特定個人へのテロを行ったのであり、<対市民の不特定・無差別テロ>とはまったく
質が異なります。天邪鬼氏の思想は、レーニンどころか、ナロードニキなどのテロリ
ストにもはるかに及ばない地点まで退行しているといわざるを得ません。その地点は
マルクスのいう近代の<文明化>を否定する地点です。
尚、天邪鬼さんが引用した部分の後、レーニンは戦闘的な攻撃を必要だと言い出し
た経済主義者に対して、「現在の情勢のもとでは・・・革命の勢力を解体させるもの」
としてテロの行使に反対する文脈で述べているわけですが、テロという言葉は多義的
です。レーニンは基本的に暴力ないし暴力の行使という意味で使っています。その言
葉に飛びついても、「組織された労働者による革命的蜂起・暴力」や「労働者国家に
よる反革命派への抑圧」等としてレーニンはテロという言葉を肯定的に使用している
のであり、ナロードニキのはるか以前に退行した<アル・カイダ礼賛>の<(粗野な)
共産主義>を肯定するものは出てきません。
それから、南ベトナム解放民族戦線が目的意識的に公共の場で一般民衆を殺傷する
作戦を行っていたと私は思いませんが、もしそのような事実をご存知の方があれば、
その作戦の日時・場所を教えて頂けると幸いです。
トルコのユダヤ教徒の人々がある日突然殺傷されるなければならない理由、同じよ
うにインドネシア、インド、イラクの民衆が殺傷されなければならない理由が、<
(イスラム?)民族解放のため>というなら、<民族解放>は全民族の日常生活世界
への<物理的暴力自体が植え付けられるという意味でのcolonialization>でしょう。
最後に、1つだけ。私が「『新日和見主義者』の側の一部にも、大学闘争では『正
当防衛権』を過剰または先制行使して敵対党派にリンチを行った人もいました、また
新日和以後も『トロや勝共に人権はない』などと嘯く人々も少なくありませんでした」
と書いたの対して、「このような時期を学生として過ごした私にとってはまったく信
じられません。N.K氏には申し訳ないのですが、私には『N.K氏のフィクション』とし
か思えません」と川上さんは言われています。川上さんの周囲にそのようなことがな
かったのなら、それは非常に良かった、幸いなことです。「新日和見以後」は私の直
接経験です。前者は多くあったとは思いませんが、その一端は宮崎学の『突破者』な
どに片鱗が出てきます。民青側の実行者の公表された手記を読んだことがありますし、
全共闘側にいた人の話は多少の脚色はあるでしょうが「ゲバ民」体験談に事欠きませ
ん。