2003年12月14日、イラク北部のティクリット郊外で、アメリカ軍に捕まってしまった。この地は、彼の故郷でもあった。昨日から日本中、いや世界中でこのニュースにわいている。しかし僕はこの件に対し、どうも腑に落ちない何かもやもやしたものを心の中に抱えている。
そもそも報道では、「フセイン元大統領」と語られるが彼はいつ、「元大統領」になったのだろう? 僕の知る限り、彼が大統領の座を辞したというニュースは聞いたことがない。彼は、進駐米軍により大統領としての執務が事実上出来ない状態にあるだけである。よって彼は、たとえ多くの人が望んでいないとしても、イラクの大統領であり続けている。小泉の支持率だって、50パーセントを割っている。つまり日本人の過半数が支持していないということだ。民意の支持のない指導者なんて、めずらしくともなんともない。
さあ、アメリカが捕まえたフセインに話を戻そう。そもそもアメリカは、何の根拠に基づいて彼を拘束しているのか? 拘束するためには、逮捕令状等司法当局もしくは事件の当事者以外の第三者による犯罪の認定と拘束のための合意が必要である。この場合は、司法当局もしくは、善意の第三者にあたるのは、国連であったり国際社会であったりするのであろう。国連のどの機関が、あるいは、国際社会のどんな機関が、アメリカにフセインを捕捉することを要求したであろうか? もちろんフセインが独裁者としてイラク国民を苦しめ、モノを言わせなくし、領内のクルド人やシーア派などの反フセイン勢力を弾圧し虐殺した事実を否定するわけでも、なかったことにするつもりではない。彼はそのような出来事にかかわっているであろうし、そのときのイラクの最高責任者である事実は、否定しようもない。しかし犯罪が成立するためには、犯罪の認定が必要である。つまり司法当局なり第三者が彼の犯罪における加害行為を立証しなければならない。こんなことは民主主義国家いや、独裁国家であっても法治国家であるなら常識である。ところがアメリカの行った常識はずれの行動にたいし昨・・・(文字化け)・・・。
イラク戦争をおっ始めたブッシュが拘束されるならまだわかる。オサマ・ヴィンラディンが拘束されるのもまだわかる。捕まる前に自殺したが、1945年ソ連軍がヒトラーを捕まえよう(もしくは殺そう)としたのはわかりやすい。ヨルダン川西岸とガザのパレスチナ人居住区を、撤退するよう勧告する国連決議を無視し続け、1968年以来占領し続けており、最近では、さらなる土地の取り上げとパレスチナ住民の追い出しをねらった分離壁をこれまた国連決議を無視し続けて建設しているシャロン(イスラエル首相)が捕まるのであれば、非常にわかりやすい。しかし誰も彼を捕まえようとはしない。
今日、戦争は他国の侵略を受けたときと、国連安保理決議に基づく武力制裁以外は禁止である。ましてや他国の指導者を武力で攻撃し政権を転覆させる内政干渉も国際法違反である。百歩譲って、戦争が外交手段のひとつであるとしても、戦争当事国が、敵国の指導者を捕まえたり、殺したりというのは、戦争という神聖な外交手段の儀式においては、マナー違反とならないのであろうか?ルーズベルトは裕仁を捕捉したり暗殺したりしようとしなかったし、帝国陸海軍にも「ルーズベルト暗殺・捕捉計画」はなかったであろう。1945年以来アメリカはCIAを使ってアメリカのいうことを聞かない指導者たちを失脚させたり殺したりしてきたが、あくまでもこれは「機密外交」であり、暗殺・補足が常套手段であるアメリカですら紛争当事国の指導者を公の場で「捕まえろ」とか「殺せ」とかはなかったのではないか?アメリカがそんな姿勢をあきらかにしたのは、2001年のアフガン戦争からであろう。しかもフセインは7月にウダイとクサイの二人の息子をアメリカ軍に殺されている。他国の政治的に高い地位にある人物を殺すことを暗殺というが、暗殺はテロである。「テロと・・・(文字化け)・・・。
アメリカが勝手にフセインを拘束しマスコミや人々がこの事実に喜んでいる、この風景にはやっぱり違和感がある。これが「あり」なら、たとえば僕ら教員は、生徒がタバコを吸っているのを見つけたとき、みつけた教員個人の意思でその生徒を特別指導にすることを決めその個人の行為で特別指導を実施してよいのであろうか?ある日突然、小泉が「北朝鮮は拉致被害者の家族を帰さないからけしからん!」といって自衛隊を北朝鮮に送り込み金正日を捕捉、もしくは殺害し、マスコミや人々が喜んでいる風景が想像できるであろうか? こんなことがあっていいのだろうか?
フセインがアメリカに捕まった。これって「あり」なのか?!