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「イラク戦争」討論欄

生きているメキシコ魂「反戦の大義」ーーしんぶん赤旗(2/16)より

2004/2/16 長壁満子、40代、金融

 90年代初めに成立した米国、カナダの北米自由貿易協定(NAFTA)。これにより導入された新自由主義の経済政策がメキシコ社会全体を変え、米国との一体化の方向に向わせているといわれています。
 --そんななかメキシコ市では、今月ハリスコ州グアダラハラで行われた米国とのサッカー試合が話題になっていました。・・・米国国家の演奏が一斉ブーイングでかき消され・・・そればかりか試合が始まると「オサマ、オサマ」の大合唱まで起きました。結果は4対1でメキシコの勝利となり、米国では、メキシコの観衆がテロリストのオサマ・ビンラディンを応援した「一大スキャンダル」だと大問題になりました。
 これにたいしてメキシコ側の反論。
 「言葉の侮辱で人は死なない。戦争こそ人を殺す」「テロの正当化はだれもしないが、観衆には表現の自由がある」。
13日付のラ・ホルナーダ紙はメキシコ・チームのブラウン選手の言葉を大見出しで掲載、反戦の大義を強調しました。
 文化誌「アーキピエラゴ」のカルロス・ベハール編集長はいいます。
 「メキシコは19世紀の米国との戦争でカリフォルニアなど領土の半分を奪われ、その後もたびたび軍事干渉をうけてきた。その歴史が培った国民感情は簡単には消えない。NAFTAによる経済の一体化によっても決してなくならない」
 イラク戦争をめぐって国連が緊迫した一年前、安保理の非常任理事国だったメキシコには米国から強い圧力がかかりまいた。フォックス大統領は心労で緊急入院するほどでした。しかし戦争はついに支持しませんでした。政権維持のために国民感情と国際世論を優先せざるをえなかったのです。  カルロス編集長は」いいます。「平和主義の日本がなぜ戦争を支持し、軍隊をイラクに「派遣するのか」
 「小さな国、経済的に弱い諸国が(派兵の要請に)渋々応じるのは分かる。だが日本は違う。メキシコだけでなく中南米全体で、ごく普通の人を含めて、日本は何てことをしでかすのかとあきれていますよ」

   寄らば大樹の陰さん、日本には日本人としての魂など、どこにもみあたりません。人間魂さえ、みかけない。そのかわりに、奴隷根性をかくす、「大和魂」とやらの「蛮魂」の復活をほしいままにさせているのです。思考停止した単純な排外右翼が、これまた、脳タリンの政治家とつるんで、金と暴力をみせつけながら、国内外で圧力外交をやりまくっています。北朝鮮の圧力外交はその最たるものです。
 イラク人殺しにいく自衛官を「日の丸と涙で」見送り、黄色い(千人針ならぬ)ハンカチ運動を右翼新聞が先導し、これまたゆで蛙どもがほいほいのせられる。赤旗記事にも、一面で子どもの涙と日の丸を同時掲載、コメントすらないのです。ジャーナリズムの視点はここにはありません。イラク派兵反対といいながら、その根源を直視しない、いえ、できないのでしょう。そもそも、日本のマスコミから共産党までもが、最初から、ブッシュの土俵で勝負しているのですから、ボタンの掛け違いは最後までつづきます。
 「大量破壊兵器のウソ」など、口実のひとつであると、私は志位さんに意見してきました。ま、「発見されなくて」それなりに、論戦材料にはなっていますが、根本はそんなことではありません。「フセインに核10基持たせたい」といった、歌が赤旗文化欄で言及されてましたが、今回の記事にしろ、こうした、まともな記事も赤旗にはみられるというところで、私は妥協しています。
 寄らば大樹の陰さん(いつか、お名前にこめられた意味をおそわりましたが、やはり、世間一般では「寄らば」は安易なイメージを想定させます。大樹の陰さんの人となりがそこなわれるようで、気になっています)、このさざ波に巣くうあきれ果てる方々のことは、もはや、無視しましょう。9・11から3年目にはいった今、そして、日本が取り返しのつかない軍事国家への道を歩み始めたという状況になっても、ゆで蛙はさいごまでゆで蛙でしょう。
 昨日も国会にちかいかたとお話しましたが、いかんせん、身の周り一メートル四方にしか関心がない方は、火の手が見えない限り、また、自分の陣地に火の粉が舞い降りない限り、目がさめません。共産党系の人、とくに、肩書きやら、学歴、社会的地位に依存している方々は、自ら思考停止しているようです。党のいうがまま、路線が曲がればまがったなりに、そこから、正規の路線を批判するのですから、対話もなりたちません。
 私も、ただただ、一般の素朴な一生活人以上でも以下でもないですから、あふれる知識や教養に依拠できず、強いて言えば、中学生の男の子をもつ母親としての視点から今の戦争をみるだけです。そして、あまたの人が、私と同じような母であり、父であり、祖父母ではないかとおもいます。科学的社会主義がどれほどすばらしくても、今の戦争を止める力になりうるのかと、思う次第です。戦争を洞察する力にさえもなっていると思われる先輩方は、ごくごく少数のかたのような気がします。
 綱領欄は愚等虫さんが奮闘されています。それに対して、あきれ果てるような応酬があり、それに対して、澄空さん、SKさん、川上慎一さんら正当な方々の反論がありました。私は愚等虫さんや川上慎一さんこそ、誠実な自立した先輩党員としてみとめるものですが(エラソウですね)、同じ科学的社会主義やマルクス、レーニンをまなんでも、ここまで多様なのかと、実は、心底驚いているのです。そんなわけで、学問もその人となりが基盤にあるようで、むしろ、最後は感性・人間性ではないかとおもったりしています。
 なにしろ、私は日本どころか世界のエライ方々、組織の愚かさを理解してしまいました。ですから、どんなにえらぶられても、私以上でも以下でもないとしか思えません。ここまで傲慢になってしまえば、ある意味、狂気の世界かも知れませんね(笑い)。