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「イラク戦争」討論欄

そういう者に 私はなりたくない(澄空さんへ)

2004/4/2 さつき、40代

少しずつ半年分の投稿を読み進めています。古いですが澄空さんの「やつらのヒューマニズム、われらのヒューマニズム」と題する 03/11/26 の投稿で、私の主張に触れられていますので、コメントしておきます。

>ここで問題とされている「9.11テロ」やイラク国連本部へのテロ等の自爆テロが、そうした闘いにおいて、われらの陣営を利するどころか妨害していることはほとんど自明であろう。

私もこれまで上記と同じ認識のもとで書いてきたつもりです。その点、まずご理解いただきたい。

> 以前、さつきさんが、自爆テロを非難できるのは現地の人民だけだという趣旨のことを述べていたが、それは自らを闘いの外におく主張ではないだろうか。

私が「自分には自爆テロを非難する資格がないと思う」と書いたことをさしているのだと思います。私はもう一点、安易なテロ批判はテロ根絶といういう目標にとって無意味どころか逆効果であるとも書いてきた訳ですが、ここでは前者をめぐって澄空さんから新たな視点を突きつけられましたので、ついでに書いておきます。

同じ論考において澄空さんは、「イスラエルの占領下にあるパレスチナ人民は、占領地において入植者を攻撃する正当な権利を有する」(可能性がある)と述べられています。「正当な権利」であるかどうかは別として、私も、そのような動機が当事者の間に生じるのは自然なことだと思います。だとしても、パレスチナ人民でない者までもが(例えば義勇兵として)イスラエル人入植者に対して直接的に武力を行使する権利を有するとは考えません。一般論として言えば、「闘い」には常に「内(闘っている当事者の世界)」と「外(支援したり非難したりする者の世界)」があり、両者はある関係を結んでいます。

関連して澄空さんは「抵抗するなという者は共産主義者でないのはもちろん、ヒューマニストでもないことは明らかだ」と述べられています。「抵抗するなという者」とは、つまり抵抗運動に非難を浴びせる者という意味でしょうか。しかし、そうした(武力による)抵抗運動を積極的に支援すべきとも主張されてはいない。「正当な権利の行使」というだけで「積極的に支援すべき行為」とは単純にはならないからでしょう。正当な権利の行使であっても、戦略を誤っており、結果的に「われらの陣営を利するどころか妨害する」行為となる場合もあるからです。裏をかえせば、「われらの陣営を利するどころか妨害する」行為であっても、「非難できない行為」もあり得る。2つの闘いが平行して闘われており、それらの「内」と「外」が同じではないからです。「われらの陣営」とは何かを考えればわかることでしょう。澄空さんは、その事を自覚されているので、あのような、主張の輪郭に必要かつ十分さを欠く表現に留めざるを得なかったのではないですか?

以下は補足です。
私がこの問題に首をつっこむ契機となったのは、イラク国連本部への自爆テロでした。最初の投稿(03/8/25)で私は、「確かに、今回の国連の非戦闘員に対するテロについて言えば、彼らは真の敵を見誤っていて、彼ら自身の「未来の為」にもならないことです」と書いて、この行為が「われらの陣営を利するどころか妨害する」行為にあたるとの認識を示しました。にもかかわらず私は、それを非難するアピールをウェブサイト上に匿名で公開しようとは思わない。なぜか。

米英軍による侵略戦争で多数のイラク民衆が殺戮され、バグダッド陥落をもって勝手に「終戦」とされてしまった。つくられた「戦後」の勝手放題の占領政策で何が行われたか。過激派掃討作戦の名のもとに多数の民家が襲撃・破壊され、幼子を含む多数の罪なき民衆が虐殺され、「怪しい」との米兵の主観だけで具体的な容疑もはっきりせぬまま膨大な数の民間人が拘束され、家族には面会も許されず、居場所さへ伝えられず、公平な裁判を受ける権利を奪われたまま収容所にたたき込まれている。米軍発表で9500人、人権団体は1万5千人以上との推定値を公表しているが、その実数さえ定かではない。「戦後」の「復興事業」からイラクの業者は閉め出され、欧米の民間企業に山分け還流される仕組みとなっている。「西洋型教育」が強制され、イラクの文化そのものを破壊しようとさへする徹底ぶりだ。当然のようにイラク民衆の不満は高まり、デモや暴動が頻発するようになり、「復興事業」に参加する非戦闘員までもが強い憎悪の対象となっている。「テロ」の第一の標的にされる米兵などは極度に神経質になり、民衆の些細な「不信」行動に躊躇なく銃弾を浴びせるという泥沼の悪循環に陥っている。自爆テロを生む背景の一端は以上のようなものでしょう。
何の罪もない家族を殺され、家屋・家財を失った者ら、救援の手を優先して差し伸べなければならない筈のそうした者らこそが、いわば自爆テロ実行犯の予備軍なのです。彼らにとって、表向きの目的はどうあれ、米英の占領政策を黙認・追認した形でイラクに乗り込んでくる一切の外国勢力は、例え国連であっても「敵」と映り、憎悪の対象となるのは自然なことでしょう。ましてや日本は、開戦当初から米英の侵略戦争を支持し、同盟国として積極的に支援してきた訳です。虐殺を生き延びた者らは日本の市民に向けて願うでしょう。米英の蛮行をストップさせるよう日本国政府の政策を転換させてくれ。それこそが、日本の市民に課せられた責務ですと。ところが日本の市民(運動)は、その願いのほんのかけらも実現し得ていない。その日本の市民の一員として、悲惨な自爆テロが起こされたことに際してそれを非難するアピールを、公開されたウェブサイト上に匿名で公表するような、そういう者に私はなりたくない。そうした行為こそが、自爆テロ実行犯の予備軍に一線を越えさせる契機を構成するとも考えるからです。