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「イラク戦争」討論欄

非難しなければならない事件もある(さつきさんへ)

2004/4/4 澄空

 さつきさん、コメントありがとうございます。
 去年11月26日の私の投稿の件ですが、さつきさんがこれまでの投稿で述べられてきたその大部分において私は共感しつつも、少し“ひっかかり”を感じ、それをあのような形で触れました。私は、「ヒューマニズム」論に立って「自爆テロ」を否定する立場ではなく、「そういう者になりたくない」というさつきさんの考え方自体は共有していますが、同時に、非難しなければならない「自爆テロ」もあるのだという考えをもっています。
 「自分には自爆テロを非難する資格がないと思う」というさつきさんの判断に私がとやかく言う筋合いはありませんが、今回のコメントでもその“ひっかかり”は解消されませんでしたので、少し私の意見を述べます。

関連して澄空さんは「抵抗するなという者は共産主義者でないのはもちろん、ヒューマニストでもないことは明らかだ」と述べられています。「抵抗するなという者」とは、つまり抵抗運動に非難を浴びせる者という意味でしょうか。しかし、そうした(武力による)抵抗運動を積極的に支援すべきとも主張されてはいない。「正当な権利の行使」というだけで「積極的に支援すべき行為」とは単純にはならないからでしょう。正当な権利の行使であっても、戦略を誤っており、結果的に「われらの陣営を利するどころか妨害する」行為となる場合もあるからです。裏をかえせば、「われらの陣営を利するどころか妨害する」行為であっても、「非難できない行為」もあり得る。2つの闘いが平行して闘われており、それらの「内」と「外」が同じではないからです。「われらの陣営」とは何かを考えればわかることでしょう。澄空さんは、その事を自覚されているので、あのような、主張の輪郭に必要かつ十分さを欠く表現に留めざるを得なかったのではないですか?

 「主張の輪郭に必要かつ十分さを欠く表現に留めざるを得なかった」と指摘いただいている点については、それぞれの闘争や事件について具体的に判断する以外にありえないという意味においてそう書かざるをえなかったということです。
 いわゆる「自爆テロ」とは、武力攻撃の特殊な形態にすぎず、それが第三者や民間人を標的にしているからといって、それだけをもって十把ひとからげに評価を下すべきではないと考えています。その点、「ヒューマニズム」論からそれを一律に否定する論者とは意見を異にします。
 また、さつきさんが否定されている義勇兵の問題についても、自爆テロと同じく、私は一律には否定しません。義勇兵とは、本来、個人の資格において、闘う当事者による要請に応じて、あくまでその当事者の指揮下で戦闘に参加するものだと考えますので、その限りにおいて、何も非難されることはないと考えています。いわゆる武装テロ集団、傭兵集団は義勇兵の範疇には入らないと考えています。

 「自爆テロ」の具体例として、パレスチナでは、イスラエルの侵略下にある入植地においては、抵抗者は民間人を含む入植者を攻撃する正当な権利を有するがゆえに、それは正当な権利行使となりうるという認識を私は示しました。

 そして、ここが大事なところなのですが、「正当な権利行使」であれば私はそれを擁護しますし、「正当な権利行使」に値しなければ私はそれを非難します。その基準でもって、「イラク国連本部への自爆テロ」は、「正当な権利行使」には該当しませんから、非難すべきであると考えています。さつきさんの「自爆テロを非難する資格がない」論でいくと、私が区別する両者はいっしょくたになるのではないでしょうか。この点が、さつきさんの議論で“ひっかかり”を感じた点なのです。

 さつきさん流に言えば「外」の者が、「内」の闘争について評価する場合は、一般には「擁護」か「非難」のどちらかの立場に立つことになります。そして「擁護」する立場に立つなら、「積極的に支援すべき」だと私は考えます。ただし、その場合は、「内」の闘争を総体として擁護するのであり、個々の闘争主体や闘争行為に対してではありません。「内」には「内」でさまざまな闘争主体があり、意見の相違や対立をかかえていますから、「擁護」の立場であっても、個々の闘争主体や闘争行為について「批判」することはありえます。ここで言う、闘争を総体として「擁護」する立場からの個々の闘争についての「批判」は、「非難」とは異なります。

 もう少し具体的に言いましょう。
 戦闘地域外の武装テロ集団が、戦闘地域に入って「自爆テロ」を行なう場合、さつきさんが「自爆テロを非難する資格がない」と言うなら、それは、その外部武装集団による「闘争」を「内」の闘争とみていることになりませんか? そのように考える根拠があるならば(それが本来の意味での義勇兵であると判断できるならば)、「非難する資格はない」という言い分にも納得できるのですが、さつきさんは一方で義勇兵には一律に否定的な見方をされています。
 そうすると武装テロ集団の「自爆テロ」は、「外」から「内」への「支援」の一形態とみることになるはずです。それは、はっきり言って、日本赤軍のテルアビブ空港事件と同類の行為でしょう。私はそう考えていますし、同時に、その「支援」が客観的にどちらに利しているのかという点から、われわれの陣営には属さないものとして非難すべきだと考えるのです。
 一方、パレスチナ問題については私はうといので断言するようなことは避けたいのですが、いわゆる「自爆テロ」について、それが本当に無差別(入植地に限定されない)で行なわれているものならば非難しなければならないでしょうし、基本的に入植地に限定されているならば、非難すべきでない、あるいは非難する資格がないと考えますが、実際にパレスチナの闘争が「自爆テロ」以外の路線がある以上は、批判の対象にはなると思います。

 「補足」についても一言。
 「米英軍による侵略戦争で多数のイラク民衆が殺戮され、バグダッド陥落をもって勝手に「終戦」とされてしまった。つくられた『戦後』の勝手放題の占領政策」と書かれていますが、私の認識とは少し違うようです。
 彼らの「勝手放題」の論理は、ただ国際法無視しているのではなく、戦争を継続する根拠がないにもかかわらず、「対テロ戦争」という新たなカテゴリーに属する戦争として、戦争終結させずに戦闘を継続しているところにあるのではないでしょうか(アフガニスタンについても同じ)。米英軍は戦争の終結宣言をいつ出したのでしょうか? 戦争が終結したのであれば、米英軍と言えども、さまざまな国際法を完全に無視するわけにはいかないでしょう。
 また、もし、イラクがパレスチナ化し、イラク人民が自ら「自爆テロ」を行なうほどまでに追い詰められるならば、私も「自爆テロを非難する資格がない」ことを認めたいと思います。