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「イラク戦争」討論欄

ファルージャ大規模空爆に思う

2004/04/30 川上 慎一

 朝日新聞によれば、27日(現地時間)アメリカ軍は中部ファルージャの武装勢力の拠点を空爆し、戦車で砲撃を加えたとのこと。かなり大規模な空爆であったらしい。
 イラク側のレジスタンスはせいぜい軽火器、自爆攻撃の爆弾、ロケット砲程度のものであるのに対して、アメリカ軍は制空権を完全に制覇し、戦車、クラスター爆弾など、軍事的には比較しようがないほどの圧倒的な差があります。イスラエル対パレスチナの構図もまったく同じでしょう。
 戦争は、特に戦争が「占領軍対レジスタンス」戦という様相を呈してくれば、単純に軍事力の差だけで勝敗の帰趨が決まるわけではありませんが、それにしても、情報能力を含めて、圧倒的な力の差がある戦争です。
 米英等占領軍が軍事的優位を背景にした軍事行動を重ね、それでもなおイラクレジスタンスの側が戦い続けようとするならば、いわゆる「ソフトターゲット」への攻撃をすることになるでしょう。人質事件もこの延長上の出来事だったと思います。イラクにしてもパレスチナにしても、この「圧倒的な軍事力の差」が背景にあります。

■ イラク戦争をめぐる環境
 圧倒的な軍事力、経済力、総合的な国力の差を考えると、イラク民衆のレジスタンスは決して楽観できるものではなく、むしろきわめて困難な状況にあると思います。イラク民衆のレジスタンスが米英等の占領軍と互角に戦いうるのは「軽火器を使った市街戦」などの戦闘に限定されざるを得ません。一方で、アメリカにとっては、米兵の犠牲はたえ難いものがあり、極力これを避ける戦術をとります。したがって、軽火器程度の武器しか持たないレジスタンスに対して、攻撃機、爆撃機、ヘリコプター、戦車、ミサイルなどを使って、その拠点を広範囲に破壊し、無差別殺戮をもいとわない攻撃をします。今回のファルージャ大規模空爆もそのひとつです。
 米軍の人的被害は、すでにサダム・フセイン崩壊前までのそれを上回るものとなっており、アメリカはバグダッド占領以前よりもはるかに困難な局面を迎えているという一事をとってみても、アメリカの軍事支配がイラク民衆の支持を得ていないことは明らかです。
 イラク民衆の中にレジスタンスを支持する底流があるかぎり、レジスタンスはさまざまに戦術、形態を変えながら絶えることはありません。このような情勢の中で、なお「武力による支配」を貫徹しようとすれば、攻撃機、戦車まで使った大量殺戮を展開することになり、ファルージャ大規模空爆はイラク民衆を平然と殺戮するブッシュ路線の当然の帰結といわねばなりません。そして、デモ隊に対してさえ発砲し、武力弾圧を加えるアメリカ占領軍の行動は、ますますイラク民衆の中の反米感情を増幅し、ますますイラクレジスタンスの戦いを激化させる方向に作用するでしょう。
 一方で、イラクレジスタンスの側についていえば、「戦争を戦い抜いたベトナムの民衆に比べてはるかに困難な状況にある」と私は思います。
 ベトナムには南ベトナム解放民族戦線という統一戦線組織が存在したし、南ベトナムの闘いを支えたベトナム民主共和国が存在しました。また、ベトナムには豊かな熱帯雨林が存在し、イラクに比べれば地政学的にもレジスタンスやゲリラ戦にとって有利な条件がありました。さらに、「巨悪の根源」のごとくいわれる旧ソ連も曲がりなりにも公然とベトナムを支援しました。そもそも、ベトナム戦争当時のソ連のような存在があったならば、アメリカは今日のイラク戦争を始めることができたかどうかが疑問でさえあります。
 ベトナム戦争の時代にはまだ多くの資本主義国の共産党、労働者党も健在であり、これらの党派も当然のことながら、ベトナム支援に熱心に取り組みました。さらに、非マルクス主義の世界的に著名な哲学者らも大きな貢献をしました。今日のイラク戦争反対運動の広がりは、ベトナム戦争末期のそれとは比べるべくもありません。

■ レジスタンスの側
 今日のイラク戦争を取り巻く環境の中で、イラクレジスタンスの主体的な条件をみると、その脆弱さが目立ちます。そこには、まともな統一戦線も、統一的な司令部もありません。それゆえレジスタンスというものかもしれませんが、全体的には、各地に散在するさまざまな有力勢力が個別に戦っているに過ぎません。
 イラクにおける外国人人質事件ですが、これはレジスタンスの側の戦術があまりにも稚拙であったとしか思えません。アメリカ軍の傭兵のような「民間人」はイラクレジスタンスの闘いの対象となったとしても、私はこれを非難するつもりはありません。しかし、人質となった5人の日本人は少なくとも侵略者ではなく、イラク民衆の立場に立って活動をした人であったり、「管理された戦争情報」に風穴を開けるフリージャーナリストであったわけですから、これらの人を人質にするような戦術はどう考えても肯定はできません。ただし、イラクレジスタンスの側において、人質となった日本人に対する的確な認識があり得たかどうかはわかりません。
 5人が人質にされたのは「日本政府の無法な自衛隊派兵」が原因であり、これらの人質が無事に解放されたのは、「彼ら自身がこれまで行なってきた行為と立場のおかげ」であり、さらにイラク民衆の健全さが機能した結果だと私は思います。このあたりの事情については、さざ波通信トピックス欄「(04.4.18)残る2人の日本人も解放される」が適切に解説をしていると思います。
 自爆攻撃。自爆攻撃を担う多くの人は若者です。私は今でも「旧日本軍がやったような特攻攻撃」をすべきではないと思っています。現在、イラク民衆は侵略戦争の被害者であります。イラクの土地における米英等の軍隊は侵略者です。これとさまざまな方法で戦う権利があり、武器を持ってさえ戦う権利があります。レジスタンスの戦いに参加する人々はできるかぎり命を大切にして戦うべきです。

■ 自衛隊の即時撤退 占領軍の即時撤退を
 古い投稿でも同じようなことを言った記憶がありますが、イラクやパレスチナの闘いの困難さを、「本当の意味ではわからない」私にこのようなことを言う資格がないかもしれないと思いつつ書いています。
 イラク民衆の闘い(戦闘も含めて)は、今までも人質事件に象徴されるような支持しがたい戦術があったし、今後もないとはいえないでしょう。発達した資本主義国に住む私たちの「米英軍、占領軍即時撤退」の運動に衝撃を与えるような事態が起こらないとはいえません。しかし、今日のイラクにおける戦闘を含めてイラク戦争と表現しますが、イラク戦争の本質は「アメリカ帝国主義の侵略」であります。私は、イラク民衆のレジスタンスが引き起こすかもしれない否定的な事態に対して批判することはあっても、イラク民衆の抵抗権を認め、あくまでもアメリカ帝国主義のイラク侵略を糾弾し続け、あくまでも自衛隊の即時撤退、米英等占領軍の即時撤退を要求します。
 もともとイラクはサダム・フセインの時代から、石油に依存し、全体としてみれば民衆にそれなりの生活を保証してきたようですが、他の多くの産油国同様に決して資本主義がまともに発達した国とはいえず、したがって、欧米や日本のような近代国家とはほど遠い存在であり、政治的には民主主義がまことに未成熟な国であり、多くの地域ではいまだに部族長支配が存在している国です。レジスタンスを隠れ蓑に、よこしまな勢力が跋扈することもあるでしょう。したがって、今後もイラク民衆の闘いに否定的な影響を与えるような出来事が起きることは避けられないでしょう。大切なことは、それでも「イラク戦争の本質はアメリカ帝国主義の侵略であるという視点を失わないこと」だと私は思っています。そしてまた、日本に住む私たちの運動において、イラクレジスタンスの闘いや運動の中には「イラク民衆の闘いに否定的な影響を与えるような出来事」が起こりうることを承知しておく必要があります。

■ ベトナム戦争と比べて
 私がベトナム戦争を知るようになったのは高校生のころでした。サイゴン(現在のホーチミン市)が陥落したのは、私が社会に出てから何年か経ってからのことでした。
 今日では、ベトナム戦争を戦い抜いたベトナムの民衆を非難する声を聞くことはまずありません。この戦争がアメリカによる侵略であったことに異議を唱える論調もまず目にすることはありません。しかし、アメリカに批判的な論調が支配的になったのは、ベトナム戦争全期間を通じて、それほど初期の段階からではありませんでした。古い新聞記事をご覧になればわかりますが、たとえば、いま「南ベトナム解放民族戦線」と呼びますが、これをベトナム戦争の初期には「ベトコン」と呼んでいました。「ベトナムのコミュニスト」を縮めた言葉で、アメリカで使われていた蔑称をそのまま使っていました。
 アメリカのベトナム侵略を支えた理論に「ドミノ理論」というのがあり、簡単にいうと「ベトナムからアメリカが手を引けば、東南アジア全体が共産化する」というものでした。この戦争は冷戦時代の出来事です。ラオス、カンボジアなどを含めて、長い間この地域が戦場になった時代でした。
 初期はアメリカに支えられたカイライ政権対民族戦線の戦いだったのですが、しょせんはカイライ政権の悲しさ、民衆の支持を得ることもできず、腐敗のかぎりを尽くしたため、何代も政権が交代しました。覚えているだけでも、ゴ・ジン・ジェム、グエン・カーン、グエン・バン・チュー、グエン・カオ・キなどが次から次へと現れては消えていきました。
 民族戦線の闘いも、自爆攻撃は聞いたことがありませんが、時には外国公館を襲撃することもありましたし、今日的な視点からすれば、必ずしも非の打ち所がないというような戦いではなかったと私は思います。何よりも200万人といわれるベトナム側の死者数をみれば、この戦いの凄まじさがわかろうというものです。
 日本では、当時は社共という2つの主要な左翼政党があり、総評というそれなりの戦闘性をもった労働運動のナショナルセンターがあったため、ベトナム反戦運動はある程度の大衆的基盤を持っていましたが、職場、学園では「ベトナム戦争は北ベトナムが侵略している」とか、「ゲリラ戦、テロはいけない」とかという声が根強く、「ベトナム反戦運動」といえどもそれほど簡単に浸透したわけではありません。
 小田実氏らの「ベ平連」など市民運動も大きな役割を果たしたと思いますが、マスメディアの役割もすごかったと記憶しています。アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件、枯れ葉剤作戦で生まれたむごたらしい赤ちゃんの写真、アメリカによるでっち上げのトンキン湾事件などがよく報道されました。より決定的であったのは、アメリカにおける反戦運動の高揚でしょう。古い映画ですが、トム・クルーズの「7月4日に生まれて」などはその雰囲気をよく伝えていたと記憶しています。アメリカの軍需産業は肥え太ったものの、その後しばらくのアメリカの著しい国力の衰退はベトナム戦争の影響が大きかったのではないかと思います。
 いずれにしても、今日のイラク戦争をめぐる状況は、ベトナム戦争当時に比べてはるかに困難な様相を呈しています。加えてマスメディアによる報道が格段に悪いと思えてなりません。このことがイラク反戦運動にきわめて悪い影響を与えていることは明らかでしょう。アメリカでは日本よりもっとひどいようですが。
 私たちに課せられたもっとも大切な課題は、当面は最低限「自衛隊の即時撤退」だと思います。「自衛隊は人道支援」のために派遣されたとする欺瞞を徹底的に暴露し、「大量破壊兵器のウソ」、「イラクに民主主義をというウソ」を暴き、アメリカのイラク占領は侵略に他ならない、ということを徹底的に暴露しなければなりません。

 イラク戦争反対運動にはさまざなま思想的、政治的な立場の人が参加します。人によって温度差もあります。情勢の展開によっては、見解が分かれることがあり、意見が食い違うことも出てきます。たとえば、人質事件にしても基本的な観点は先にあげたさざ波通信トピックス欄「(04.4.18)残る2人の日本人も解放される」でじゅうぶんであり、「人質事件にかかわった勢力を擁護することとか、逆に非難すること」などを運動の中で肥大化させ、これに関する見解の一致を求めようとすることは、かえって不一致点を拡大することになりかねず、運動の発展に有害なことです。たがいに見解を述べあうことでじゅうぶんであり、このようなことにこだわればイラク戦争の本質を見失うことになりかねません。現在、私たちの運動に求められているのはもっともっと運動の幅を広げることです。意見、見解の相違をルーペで拡大してつつきあうようなことは意味がないと思います。大衆運動に参加する人々の中では、むしろ意見が一致しない部分の方が多いことがあります。
 また、日本の平和運動、労働運動、大衆運動などは1960年代、70年代の高揚期から衰退の一途をたどり、今日の反戦運動などはかつてのそれらとは断絶があるといってよいほどの隔たりがあります。今日、運動に参加する人々の中にも必ずしもじゅうぶんな経験の蓄積がありません。かつての大衆運動においても、宮本氏のセクト主義が有害な役割を果たしたこともありましたが、第一線で活動していた人たちの中にはたいへん柔軟で有能な人々がたくさんいました。かつての運動に学びながらいっそう運動の輪を広げていくことが求められているのではないでしょうか。