偉そうに「自己責任」論を唱えて今回の事件の被害者を非難する人々は、この論理の矛先があの「危険地帯」にわざわざ出向いた人々にだけあてはまるもので、自分には関係ないと思っているようです。とんだ勘違い! 日本は絶対安全な国でしょうか? いやそうではないでしょう。この数年間、強盗、窃盗、暴行傷害、レイプ・わいせつ、交通事故などは軒並み増大しています。このような危険きわまりない国でのほほんと生活しているのだから、この国で犯罪被害に会う者はみな、自己責任であり、救出を求める権利などないし、もし救出された場合には救出に費用を負担するべきだ、ということになりますね。
もちろん、私はこのような「自己責任」論を拒否しますし、たとえ多少の「自己責任」があっても公的な福祉や救済を受ける権利(憲法が保障する「生存権」その他の権利規定により)は否定されないと思っていますが、今回の人質事件の被害者に対して「自己責任」論を振りかざした人たちは、当然、まず何よりも自分にそれをあてはめなければならないでしょう。
自己責任論者が道を歩いていて、交通事故にあったとしましょう。当然、彼は沿道の人に助けを求める権利はありません。なぜなら、この日本は年間100万件もの交通事故がおき、年間1万人近い死者が出ている、交通戦争国家だからです。このことは周知のことであり、小学生でも知っています。したがって、このような交通戦争国家に住みつづけながら、完全防備することなく道を平然と歩いていたのですから、当然、事故にあうのは自己責任です。もちろん、救急車を呼んでもいけないし、治療も受けるべきではありません。そのまま野垂れ死にするべきですね。もしあえて治療を受ける場合は、全額自己負担でそうするべきでしょう。
あるいは、自己責任論者が外出していて、自宅がピッキングの被害にあったとしましょう。その場合でももちろん、警察に被害届を出してはいけません。なぜなら、ピッキング犯罪が増大していることぐらいはテレビのニュースでよく知っているはずだからです。そのことを周知の上で、ちゃちな鍵しかかけず自宅を無人にして外出したのですから、ピッキング被害にあうのも自己責任でしょう。どうしても警察に捜査を求めるというのなら、それにかかる費用を自己負担するべきでしょう。おそらくその額は人件費だけで数百万から数千万円にはなるでしょうけど。
あるいは、自己責任論者が銀行員だったとして、銀行強盗の被害にあって人質になったとしても、警察に救出を求めるべきではありません。なぜなら、銀行強盗が存在することはよく知っているわけだし、銀行員になるということはそのようなリスクを犯すことだからです。したがって、そのようなリスクを承知で高給取りの銀行員になったのだから、銀行強盗被害にあっても完全に自己責任ですね。もしおせっかいにも警察が救出してくれたら、それにかかった費用をすべて自己負担するべきでしょうし、救出された後の第一声は当然、「世間の皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」でなければなりませんね。けっして「被害者づら」してはいけません。
あるいは、自己責任論者が何らかの病気になったとしても、絶対に医療保険で医者にかかってはならないし、無料の救急車を呼んでもいけません。なぜなら、病気にならないためのあらゆる対策を講じていたわけではないだろうからです。何らかの不摂生をしたり、適切な運動をしなかったり、不規則な生活をしていたり、あるいは病気に感染する可能性のあるあらゆる場所に行かないようにしたり、いかなる病気にも感染しないよう密閉された完全な防護服や防毒マスクでもつけていなかったりしたのですから、病気になったのはすべて本人の自己責任ですね。もし医者にかかる場合には、どうぞ全額自己負担でかかってください。
あるいは、自己責任論者の住む地域が大地震に襲われて、自己責任論者がくずれた壁や屋根の下敷きになり、死にそうになったとしても、けっして助けを求めてはいけません。もし不幸にも誰かに助けられた時には、それにかかったすべての費用を自己負担するべきでしょう。なぜなら、日本が地震大国であることは誰もがよく知っている事実であり、そのような国に平然と暮らしていながら、完全な耐震対策をしていなかったのはその人の自己責任だからです。
あるいは、自己責任論者が飛行機に乗っていてそれが墜落しても、文句を言う筋合いはありませんね。なぜなら、飛行機が落ちる可能性があるのは周知のことであり、それを承知であえて飛行機に乗ったわけですから、当然自己責任です。
以上、今回の人質事件に関して、「自己責任」論を唱えて被害者を非難したすべての人たちは、今後いっさい、どんな事故や災害や犯罪にあっても、けっして救出を求めてはならないし、救出された場合には、その費用を全額自己負担しなければなりません。この投書欄にも「自己責任」論を唱えている人々がわずかながらいるようですが、当然、その人々は、私が言ったような行動をこれまでもとってきたし、今後もとるんでしょうね。もし、ほんの少しでも、自己責任原理にはずれた行動をこれまでとったことがあるのなら、厳しい論理を自分にだけはあてはめず、死の危険にある他人にのみあてはまる卑劣きわまりない人間だということになりますね。そういう人こそ、とっとと死んでください。
なお、「危険の度合いが違う」と言って、おのれのダブルスタンダードを正当化してはいけませんよ。その「違い」はしょせん程度問題ですから。イラクで多数の人々がたしかに亡くなっていますが、この日本でも交通事故だけで年間1万人近く(30日以内死者)も死んでいるのですよ。この死者数は、この1年間におけるイラクでの戦闘による死者よりも多いかもしれないのです。強盗や窃盗の件数に関してはたぶん日本の方が多いでしょうね。
さらに、自己責任論を唱える人は、今後はいっさいテロリズムも北朝鮮拉致も批判することができなくなりますね。なぜなら、すでにテロリズムが存在することを誰もが知っているし、北朝鮮による拉致がありうることも知っているわけですから、テロリズムや拉致にあいそうな場所(人がたくさん出入りしている場所や、人気のない場所!)に行った人は、自己責任が生じます。もちろん、イスラエルに住んでいるすべての人は、テロにあったとしても自己責任です。なぜならイスラエルのユダヤ人がすべてテロの標的であることを知っていながら、イスラエルに住みつづけているわけですから、自業自得ですよね。ましてや、ディスコ会場など人の大勢出入りするような場所に行ったのですから、二重に自業自得です。
日本が自衛隊をイラクに派遣したことで、日本自身がテロの標的になると思いますが、実際に日本でテロが生じても、けっしてテロリストを非難したり、被害者(自己責任論者の場合)を救済してはいけません。なぜなら、アメリカに追随して自衛隊をイラクに派遣したことでテロの標的になる可能性は当然予期しえたにもかかわらず、のうのうとこの国に住みつづけて、しかもテロに会いやすい場所(人の多い場所)にあえて行ったからです。
結局、自己責任論というのは、すべての責任を被害者に押しつける論理になるわけです。犯罪者は大笑い、テロリストは拍手喝采、ですね。それでいて、自己責任論者は他方では「テロリズムに屈するな」などと騒いでいるのですから、お笑いです。