朝日新聞の三者三論の「再考・イラク日本人拘束」オーストラリア国立大教授
のテッサ・モーリス・スズキさんの”「義憤」の矛先 正しいか”を読んで本当にすっ
きりした、何か胸の支えが取れた感じである。
気に入ったところを再録することにする。
米「民間人」らの殺害はファルージャ攻撃の契機となったのだが、彼らは自らの意 思により、そこを危険な国と知りながら入って行ったのではなかったか。
そうだとしたら、彼らの身に降りかかった運命はそれゆえに、彼ら自身の責任とな るのか。
またそれが「自己責任」であるなら、殺された{民間人}の家族はファルージャ攻 撃を招いた責任をとって米国市民に謝罪し、後に展開された米軍の活動費用を負担す べきなのか。
さらにファルージャの市民にも謝罪し、殺害された何百人もの市民らに補償金を支 払うべきなのか・・・。
これらは本質的であるゆえに荒っぽい質問で、ある人々には不愉快なものだろう。
しかし日本政府などが強調する「自己責任」論の偽善性を浮き彫りにするためには、 問われる必要がある。
これらの質問にどう答えるべきかを考えれば、被害者を非難するという論理がいか に転倒しているか、分かるはずだ。
以上である。
米「民間人」とは彼女がカッコ書きするように、元特殊部隊上がりの「特殊な民間
人」であり米軍以上にイラクの人々にとっては危険な存在だった。
またこの前に、米軍によってファルージォの人たちが15人も虐殺されたという伏
線もある。
彼女の論は、三者三論の1人を占める元PKO火付け人明石 康の、自分は安全圏
に身を置いて小泉の顔色伺いする、「特に小さなNGOや個人の中に、危機管理意識
の弱さが目立つ」などの駄論とは余りにも差がありすぎるのだ。
彼女は最後にこうとも書いている。
他方、どの国家にも、自国民が殺された報復として罪のない市民に制裁攻撃をする 権利はない。
その行為は、19世紀「砲艦外交時代」の帝国主義のものであり、21世紀には全 くふさわしくない。
人質になった日本人に動議的な憤慨をあらわにする人々は、罪のない人々を罰し続 ける米国政府と、そうした戦略を支援する各国政府に、憤慨の矛先を変えてしかるべ きではなかろか。
と。
ブッシュや小泉はそれこそ、彼女の爪の垢でも煎じて何杯も何杯も呑むべきだろう。
さざ波通信の編集部員の的確な判断と努力によって、辛うじて名誉を守られ、恥を
曝されずにいる「自己責任」論の皆さん!朝日新聞4月23日号をよく読んで頭を覚
まし深く反省し、戦列に戻ってきて下さい。
そして今直ちに、彼女の言うように矛先を変えて、首相官邸に自衛隊のイラクから
の撤退を執拗に思う存分に要求してください。
小泉純一郎メールマガジンでもいい、メールを殺到させることだ、頑張って下さい。