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「イラク戦争」討論欄

イラク人質事件雑感・補論(4月28日)

2004/04/28 社会主義者 40代 派遣アルバイター

 4月27日投稿の拙稿「イラク人質事件雑感・まとめ」の補足です。当該拙稿の(追記)で、私は『NGO活動の発展の為にも、またイラク反戦運動がウヨク的時代迎合の潮流に抗する力量を備えていく為にも、今回の人質当事者・家族側の「事前準備・心構え」や「事後の対応」が、「果たして求められる力量にふさわしいものであったかどうか」については、今後改めて検討される必要があると思っています。』と書きました。本来ならば『それはあくまでも、当事者・家族が落着きを取り戻し自己内省できる環境が整ってから、「人質バッシング」とは一線を画した立場で、それにふさわしい時と場所で、』明らかにするつもりでしたが、私自身今度いつ投稿できるかわかりませんし、この話題もいつまで継続するかわかりませんので、簡単にポイントだけ書いておきます。

 5人の人質の中で、高遠さんと今井君については、ある種の「アマチュア臭」は感じていました。何か、阪神大震災の時の震災ボランティアや、イラク戦争初期の「人間の盾」の若者に対して感じたのと同じ様な。少なくとも、戦場報道を志向した残りの郡山さん・渡辺さん・安田さんと比較した場合、ある種の「お気軽さ」は否めませんでした。
 イラクは「戦場」であり、そこでは「非戦場」に赴く「貧困救済ボランティア」そのままの感覚は通用しないでしょう。ある意味では、戦場で殉職した「ロバート・キャパ」と同様の覚悟も求められたのではないか、と思います。

 しかしそれは彼ら(彼女ら)の「未熟」「稚拙」な部分ではあったが、そのボランティア精神は、断じて否定されるべきものではない。日本ではボランティアそのものが目新しく、初めて本格的にその姿を現したのは1995年の阪神大震災の時です。TV報道で未曾有の震災被害の様子が全国に流れました。それを自分自身の問題として捉え、西宮北口駅から阪急神戸線の線路伝いに黙々と神戸を目指した無数の若者の映像が、今でも私の脳裏に焼きついています。その姿は、もうそのすぐ後に到来したネット時代における「若者の自覚的行動」として、やがてイラク反戦運動にも引き継がれていきました。
 たとえ「未熟」「稚拙」であっても、「自己責任」論者による「したり顔」の「為にする攻撃」によって、その動機まで否定されるべきでは、絶対にない。ボランティアの形で現れた「若者の自覚的行動」は、将来日本を変える原動力になるでしょう。ただ、いつまでも「未熟」「稚拙」なレベルに止まっていてはいけない。それでは「戦場」では通用しない。「戦場」でも通用するだけの語学力・知識・経験・心構えを充分身に付けた「ボランティア」「NGO」として、堂々とイラクに赴くべきであったのでは、と思います。NGO活動の発展の為にも、またイラク反戦運動がウヨク的時代迎合の潮流に抗する力量を備えていく為にも。