「世界」3月号に掲載された、辺見庸氏の「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわな いのか」に、氏がデモに参加した時に感じた著しい違和感が、怒り、嘆き、悲しみを もって語られていた。その氏の深い思いに接し、共感するだけでなく、思いっ切り背 筋を正され、目を覚まされる思いがした。私もこれまで参加したイラク自衛隊派兵反 対デモで、その都度私なりに違和を感じてきてはいた。遅ればせながら今、改めて辺 見氏のいう「国家の途方もない非道の量と質に比べて、怒り抵抗する者たちの量と質 が問題にならない」ことに関し、私なりに考えてみたので、それを述べてみたい。
まず、私は2月5日のイラク自衛隊派兵反対デモに参加したが、そこにおけるシュプ
レーヒコールに「我々は自衛隊員を殺させないぞ」というのがあった。私にとってこ
のシュプレーヒコールは、全く納得できない。このシュプレーヒコールの度、私はこ
ぶしを突き上げることが出来なかった。
自衛隊員は、正当な理由もなくイラクを攻撃し住民を次々殺したアメリカを支援す
るために出て行った。イラクでは侵略者に対する住民らの憎しみが拡大しており、そ
れが故に混乱に紛れて、自衛隊員が殺されたり逆に自衛隊員が住民を殺す事態があり
うる。この状況において「自衛隊員を殺させない」というのは、一体どういうこと
だ。文字通りに解釈すると、殺戮されて怒った住民らや、テロリストに自衛隊員を殺
させないということになるが、そんなことを我々が要求するのか? 自衛隊員が殺さ
れたくなければ行かなければ済むだけのことだ。それをわざわざ行って、イラク住民
を殺す可能性を増大させようとしているのだ。次々と正当な理由もなく殺されている
イラク住民の身こそ考えるべきだ。我々が叫ぶべきは、「自衛隊はイラクに行くな
!」「イラク住民を殺すな」ということでしかあり得ない。
私は引き続く2月13日のイラク自衛隊派兵反対デモにも行ったが、ここでもシュプ
レーヒコールの中に違和を感じるものがあった。「小泉首相は憲法9条を守れ」であ
る。
小泉首相は憲法の前文を根拠に、自衛隊のイラク派兵を合理化し、武器を持ってイ
ラクに入らせた。それはまさにイラクに対する侵略であり、日本を太平洋戦争後、再
び侵略国にしたのである。勿論それにより、住民を殺す可能性が生じているが、小泉
にとっては殺される人の命のことなど何でもないのである。
そんな小泉を我々が告発するのに投げつける言葉が、「小泉首相は憲法9条を守
れ」だろうか?そんなことを言っても、小泉は「私は憲法に則ってやってますよ」と
ニヤニヤしながら答えるだけで、少しも痛みに思わないだろう。私には人民の命を軽
視する侵略者小泉が許し難い。従って私の叫ぶ言葉は、「侵略者小泉は、即刻辞めろ
!」でしかあり得ない。
3月20日のデモについては、2月27日赤旗掲載の、67団体代表の呼びかけに、“今イ
ラクに求められるのは、「国連中心の復興支援・主権回復」である。「国連中心の人
道支援」を呼びかけ、「国連憲章に基づく平和な世界を実現する」”とあった。さら
に当日デモのシュプレーヒコールに「国連中心の復興支援を行え」があった。イラク
問題の解決を国連中心にするこの呼びかけにも、違和を感ずる。
アメリカは、アナン国連事務総長が安全保障理事会に提出したイラク統治をめぐる
勧告を支持するなど、国連主導の復興に軸足を変えることで、派遣軍隊損失の軽減を
図り、大義を得ようとした。そして日本も、先の国会にアナン事務総長を呼び、自衛
隊派遣を含めた日本の復興支援を、「イラクに対し賞賛されるべき連帯姿勢を示し
た」と評価してもらった。既に、国連は自衛隊のイラク派兵を肯定しているのに、そ
の後に至ってもなお国連中心を呼びかけるとは何事か。それは、自衛隊のイラク派兵
の不当性を決定的に曖昧にすることでしかない。
さらに言えば、3月20日のデモのシュプレーヒコールには、「もう戦争はいやだ」
「平和な世界にしよう」もあったが、これにも私は違和を感じる。
「戦争のない平和な世界」は、誰もが願うことであり、小泉首相さえ「私もそうし
たい」と言うであろう、争点にならない内容だ。だから、そんなことを叫んでみたと
ころで、侵略者小泉を告発することにならず、事態を変えることにはならない。今な
おイラク住民らが殺され、日本がその侵略国となった深刻な事態がありながら、その
事態を変える力にならないシュプレーヒコールを叫ぶとは何ということだ。それを叫
べば叫ぶほど、今の事態が置き去りにされ、闘う側の認識を曖昧にしてしまうことに
しかならない。
本来、呼びかけは矛盾を矛盾として明確にし、その矛盾を鋭く突くものでなければ
ならない。しかし、上記の如く闘う側の呼びかけは極めて曖昧、不適切でしかない。
一体、今の深刻な事態に対する危機感、焦燥感、怒りがないのか、何とか事態を変え
たいと思わないのか、と思わざるを得ない。辺見氏が“闘う側の腹の底からの怒りが
感じられない”とするのと、全く同じ思いである。
もっともっと怒りを持たなければ、もっともっと今の事態に対する危機感を募らせ
なければいけない。でなければ、日本が侵略国の仲間入りをし、海外の人々を殺す可
能性まで切り開いたにもかかわらず、今や自衛隊のイラク派兵賛成が反対を超えるま
でになってしまった事態に、一撃を加えることが出来ない。事態が厳しいだけに、闘
う側は考え抜き、呼びかけの矛先を鋭利に研ぎ澄まし、敵の最大の弱点に突き刺さる
ものにしなければならない。それを一人一人が実施し、何を闘い取るかを明確にし抜
き、認識を研ぎ澄ますことが必要だ。そうした各人の努力を積み重ね抜きに、今の事
態を切り開くことは出来ないと、強く思うのである。