天邪鬼様。
パレスチナ問題の参考書を「1、2冊」あげよとされたのに「12冊」あげておどろかせてしまったようで、申し訳ありませんでした。
投稿してから「12」という数字はどこから出てきたのだろう、ひょっとしたら「1、2」だったのではなかろうかと見直したら案の定でした。英文のドットだったので見にくかったこともありますが、私の老眼(?)と粗忽さ(日比谷で実証ずみ?)によることは疑問の余地のないことです。
私自身はこの手の恥をかくことになれていますが(あまり反省していない?)、天邪鬼様は驚いたと思います(日比谷のことがあるから驚かない?)。改めてお詫びもうしあげます。
*
詫び状のついでといってはなんですが、天邪鬼様が画材に聖母マリアや観音菩薩を好んで取り上げておられるのを拝見して浮かんだつまらない考えを僭越ながら述べさせていただきます。
原始キリスト教においてマリアが何ら聖なる存在でなかったことは、新約聖書を見れば疑問の余地のないことです。マリアや自分の弟がたずねてきたときイエスが「わが母、わが兄弟とは何者か」と言った話が福音書(ルカだったかな)に書かれています。
マリアが聖なる存在とされたのは、自然母神に対する基層信仰のあったヨーロッパで布教しなければならなかった、西方教会の強い要請があったからです。それを拒否する東方教会との激烈な宗教・政治闘争を経て「聖母マリア」が公認されたのは431年のエフェソス会議のことでした。
つまり聖母マリアとは元来キリスト教の神ではなく、自然母神がその原型だったと思われます。
一方、観音菩薩(アヴァローキティーシヴォラ)の方も初期仏教には影も形もなく、大乗仏教の段階で仏教に導入された存在ですが、その原型も(はっきりしないようですが)民俗信仰の自然母神ではないかと思われます。
さてキリスト教が禁圧された江戸時代において、それでも信仰を捨てなかった「隠れキリシタン」の人びとは、外見上は観音菩薩だが、秘かに十字架が記されていることにより実は聖母マリア像だという「まりあ観音」を保持し、拝み続けていたといいます。
しかしヨーロッパからの宣教者も、江戸時代の為政者も、「隠れキリシタン」も、誰もが相容れない別の神格だと思った「聖母マリア」と「観音菩薩」は、実はその原型は同じ自然母神だったと思われるのです。
だから私は「マリア観音」の写真を見るたびに(実物は見たいと思いつつもいまだ見ていません)、人類における各宗教の排他性はある意味では虚構であり、人類はその根底において同じような夢や祈りを持っているのではないかと感じるのです。
以上おそらくは天邪鬼様もご存じのことをふくめて縷々述べてきたのは、天邪鬼様が聖母マリアや観音菩薩をともに好んでとりあげられる背景には、そのような人類共通の夢や祈り、「自然母神のインターナショナリズム」とでもいうべきものを描かれたいという願望があるように思われたからです。
的はずれの妄言だったかも知れませんが、一素人の感想としてご笑覧いただければ幸いです。