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「イラク戦争」討論欄

― Cease Fire !! ―

2004/08/16 愚等虫。40代

 お盆休みのこの時期に、オリンピックでの各選手たちの活躍を観戦しながら、応援 されている方々も多いことでしょう。

 私も、柔道競技における、野村選手の前人未踏の3連覇、けがを乗り越えての谷選 手の2連覇に、「お見事!」とテレビの前で、喝采を上げたものです。

 昨今、古代オリンピック当時の、「エケケイリア」という言葉を耳や目にすること が、しばしば、あります。「エケケイリア」というのは、古代ギリシア語で、「剣の 柄に伸ばした手を止める」という意味だそうです。その言葉が転じて、オリンポスの 祭典期間中、戦争をしてはいけないという決まりになったと言われています。

 1992年、バルセロナ・オリンピックを前にして、この「エケケイリア(聖なる 休戦)」という故事にならってオリンピック期間中はすべての戦争をやめようという 「オリンピック休戦」のIOCのよびかけが、国連・安全保障理事会で提案され、 翌、1993年の国連総会で正式に決議・採択されました。

 2000年、ギリシャ政府とIOCは、国際オリンピック休戦センターを設立。国 立公園に隣接するアテネの地に事務局を置き、古代オリンピックで争いをやめたこと などを描いた絵本「休戦物語」を発行し、英語、中国語など7カ国語に訳し、各国の 教育担当省へ送ったり、各国の元首など有力者らからの署名集めなどの活動を続けて きたそうです。

 2003年にも、国連でアテネ・オリンピック休戦アピールが採択され、聖火リ レーも、初めて五輪の象徴である5大陸すべてを走るという形で行われました。  これも、古代オリンピックの前後3か月間(当初は1か月)、五輪に参加する都市 国家と植民地はすべて、武器を取ることを放棄すべしという「聖なる休戦」を告げる 使者が全参加国に派遣された古代ギリシャの伝統にならって、「平和の祭典」の到来 を世界に伝える、という趣旨でした。

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 しかし、こうした平和の願いを踏み躙り、イラクにおいて、米軍は連日の攻撃に加 え、8月11日夜から12日未明にかけて、中南部のクートを空爆。イラク人75人 を殺害し、バグダッド44人、ナジャフ25人など、全土で172名以上の死者、6 00名以上の人々を負傷させました。昨日も、ヒッラ、サーマッラで40人、50人 との死者を出し、AFP通信によれば、空爆により少なくとも13人が死亡、84人 が負傷し、その大部分が女性と子どもだとも伝えています。

 米軍よ。
 いったい、何人の人々を殺害し、負傷させ、人の人生を台無しにし、家族たちを悲 しませるつもりなのだ。
 アメリカ政府よ。いったい、あなた方に、どんな“権利”があって、他国を侵略 し、好き放題の暴虐をやり続けられると言うのだ。

 あなた方は、口では、「民主主義」「人権」「幸福追求権」などと言いながら、 「米国兵士が訴追されるおそれがある」などとして、国際刑事裁判所の批准も拒否 し、日本に対しては、「憲法9条は、日米同盟の妨げ」などと、第二次世界大戦の反 省の上に立って、あなた方を中心とする「連合国(UN)」の意向を以って定めら れ、日本の国民も受け入れ、支持してきた平和主義に対し、敵意さえ示している。

 日本国憲法前文には、

 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう と決意した
 いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつ て、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を 維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である

と記されている。

 まさに、“単独行動主義”を掲げ、「自国のことのみに専念し、他国を無視」して いるのは、あなた方ではないか?!
 アブグレイブ刑務所などを始めとする、拷問・虐待・殺人という実態や「拷問マ ニュアル」の存在までもが明るみに出、“国際法”というルールを破っておきなが ら、「中東の自由と民主主義」などと、いくら口先だけで語ってみても、私達は、 「チャンチャラおかしい」と言わざるを得ないのである。

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 ピクシー(妖精)と呼ばれ、日本でプレーしていた、一人のサッカー選手がいる。
 ドラガン・ストイコビッチ、その人である。華麗なパフォーマンスで、多くのサッ カーファンを魅了した彼は、常々、「スポーツと政治とは、別物である」ということ を信条としてきた。
 そんな彼が、1999年、ヴィッセル神戸対名古屋グランパス戦で、自分のアシス トした、福田健二の決勝ゴールが決まった瞬間、ユニフォームを脱いで、猛然と走り 出したのである。

 アンダーシャツには、

「NATO STOP STRIKES!」

の文字が、踊っていた。

 テレビで観戦していた私は、まるで、昨日のことのように、その光景を覚えてい る。

 ピクシーの行為を、それこそ、「スポーツに政治を持ち込むもの」との少なくない 批判が、相次いだ。
 しかし、なぜ、「政治的な話を向けられるのを最も嫌った一人」であった彼が、こ のような行動を取ったのか。そのことに、想いを馳せる必要があるのではないか。

 ウェブサイト「スポーツナビ」に、そのいきさつが詳しく記されている。

> それは祖国・旧ユーゴの崩壊、そして92年春に始まるボスニア戦争の責任を不 条理にも取らされて、優勝候補の最右翼として出場が決まっていたユーロ(欧州選手 権)92やワールドカップをはじめ、すべての国際試合から締め出されてしまうな ど、国際政治にほんろうされてきたつらい記憶があったからにほかならない(その点 ではUEFAも「政治とサッカーを混同」した前科がある)。そして、そんな彼らが あえて政治的アピールを発しなければならなくなった点に注目せねばならない。 (ピクシーは「サッカーを冒涜した」か?・金丸知好)

と述べられている。

 旧ユーゴ代表で、セルビア人であった彼は、政治の「おかげ」で、国際試合に出ら れなくさせられた選手たちの一人であった。
 後に、「何よりも戦争は嫌いだという心からこみ上げたメッセージ」だったと、ピ クシーは語っている。

 彼は、現在、セルビア・モンテネグロ・サッカー協会会長となり、また、今年5 月、日本外務省の平和親善大使にも任命された。(ストイコビッチ平和親善大使スピーチ

 混乱の中、イラク・サッカー代表は、予選を突破し、オリンピック出場を決めた。

 最大の選手団を送っているアメリカは、「平和の祭典」と銘打ったオリンピックに 対して、その憲章にある「平和でよりよい世界の建設に寄与する」という目的を果た す責務がある筈であろう。

 米軍は、空爆を直ちに止めよ!!
 即時、停戦を!!

 “US FORCES,STOP STRIKES !!”
 “CEASE FIRE !!”

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 オリンピック開催の夏。59回目の終戦の日に…