沖縄国際大学構内への米軍CH53Dヘリの墜落・炎上事件に関する一連の「赤旗」報道で、辺野古の座り込みのことも知りました(8月22日付B版15面)。
遠いむかし、「核つき・基地つき『施政権』返還」が争点となっていたころ、高校生だった私は、U洲R子さん(名前は今でも書けますが、一応イニシャルを交えます)という同じ高校生が、米兵の暴行を受け、ナイフで腹部を切られて内臓が飛び出る程の重傷を負ったことを知り、怒りに震えたことを思い出しました。
当時は、沖縄の基地からB52爆撃機がベトナムに出撃することは分っていたので、集会などでは、「一坪たりともわたすまい」をよく歌っていました。
黒い殺人機がきょうも ベトナムの友を撃ちに行く
世界を結ぶこの空を ふたたびいくさで 汚すまい(記憶による)
そしていま、イラク出撃命令を最優先させ、墜落原因も詳しく究明しないまま、「CH53Dの重輸送能力」を重視して、事故機同型機の飛行が再開されています。おそらくアメリカは、イラクの武装抵抗勢力に対して、相当量の兵力を一気にピンポイント配置して、殲滅戦を展開する意思でしょう。
そのイラクで、ナジャフのアリ廟付近に立て籠っているシーア派マハディ軍の指導者ムクタダ・サドル師は、「30歳になるかならないかの若輩者」だといいます(酒井啓子『イラク 戦争と占領』岩波新書 2004年1月20日刊 190頁)。現在、暫定政府からの武装解除要求を拒否しながらも、マハディ軍とシーア派最高権威者シスタニ師との間でアリ廟の管理権移譲とマハディ軍の撤退が交渉されているというのも、占領米軍の包囲が目前にまで迫ってきたため、そのようにせざるをえなくなっているのだと考えられます。
地図で見る限り、チグリス・ユーフラテス両河沿いの平野部に主要都市が展開しているイラクにおいては、ベトナムのように山地が都市がある平野部に迫っていることもなく、アフガンのように国全体が山地に埋没しているわけでもないため、ゲリラ戦の展開は相当困難であり、物量に物を言わせた殲滅戦が効果を上げる可能性も、決して少なくないと思います。
先日の7・22集会で、今はアンマンに滞在している高遠さんが、次のような趣旨の発言をしていました(私がまとめたもの)。
昨年10月以来、米軍の暴虐をイラク人の友人から告げられて、「だからわれわれが武器を持って闘うことも解るだろう?」と、同意を求められたが、どうしても「そうだ、そうだ」と同調できなかった。
それは、日本人(イラク人にとっての外国人)である自分がそのように同調すれば、彼らはますます勢いづいて武力行使に踏み出すだろう、しかし、武力に対して武力で応じることでは、結局悲劇と憎しみを増やすだけで、本当の解決にはならないと思ったからだ。
今回、自分が人質になってみて、改めて「自分は、イラク人が感じている苦しみや怒りを、本当に受け止めていたのだろうか、ただ、つらい現実から目を逸らせていただけではなかったのか」と、「自分は本当にイラクにいたのか」という厳しい気持ちになったのも事実だ。
しかし、イラク人に対して理不尽な攻撃を繰り返しているアメリカ兵の姿を見ても、自分が見た限りでは、18~19歳の、本当に若い青年だ。彼らが、言葉も習慣もよく分らないイラクに来て、一種のパニックを起こし、周りが全部敵のように見えて前後の見境なく発砲したりしている状況が想像できるだけに、イラクの人々が死んでも、少年のような米兵が死んでも、居たたまれない気持ちになるのは同じだ。
だからこそ、私たちは、このような武力行使の連鎖を促すような「援助」ではなく、本当にイラクの人々が必要としている支援をすることに、心を傾けなければならないのではないか、と。
太田さんが、「イラク戦争」欄に、今回の沖縄ヘリ墜落・炎上事件に関する沖縄人の闘いの決意表明を投稿されたのも、このような繋がりを明確に意識し、同時に、占領軍である米軍に対峙しているイラク人民への共感を感じてのことと思います。
と同時に、今、沖縄の市町村議会や首長を広範に捲き込んで声が上がっているのは、そのような世界的な連関の洞察まで行かずとも、「米軍基地は、それがあるだけで有害・危険だ。市街地に存在する普天間基地は、その危険の最たるものだ」「沖縄から、さらには日本から、米軍・米軍基地は出て行ってほしい」という、切実な気持ちを背景としているものだとも思うのです。
太田さん、私は、1997年の土地強制借り上げ期限延長に関する沖縄特措法問題の際に、「米軍基地の存在は、沖縄ではまさに、『原発』の存在と、ほとんど同じではないか」という感想を懐いたことがあります。
突拍子もない妄想かも知れませんが、ただ「ある」というだけで避けられない危険や不安が生じるからです。
この沖縄特措法に関する国会論戦で、日本共産党は、憲法29条の財産権の侵害だとか、「二重構造」を「一枚岩構造」にするのは反対だとかいう、ペダンティックな議論をしていて(学問的な議論自体の必要性は否定しませんが…)、「何か違うなー」という感じでした。
財産権侵害に関する議論は、概ね的を外していましたし、「二重構造」を形作っている土地収用委員会も、委員が知事任命である以上、常に収用裁決の適正さを担保するものでなかったからです。それ以上に、こんな議論ができるのは、何か「切実感」が根本的に違っているからではないか、と漠然と疑問に思っておりました。
これがもしも、市街地のど真ん中に原発があり、そこで事故が起きたが、偶然にも死傷者は出なかった、というケースで想定すれば、本土の人間も、決してノホホンと黙っては居られなかったでしょう。全国紙の見出しが、ナベツネ氏の辞任になっていることも、ありえなかったでしょう。それは、原子力の危険性について、曲りなりにも被爆国日本国民が広く知っているからです。
太田さん、あなたがおっしゃる「温度差」は、結局このような、(米軍)基地の存在自体がもたらす危険性に対する、事実認識の厳しさの度合いに規定されているような気がします。
それをどう克服するか。
すでに本土の原発所在・立地予定地域では、昔のような「札ビラで頬を叩く」やり方は通用しなくなっています。そして、今回の普天間基地事故への沖縄県内の広範な反応でも、「基地があることによって、沖縄経済が潤っているから、あまり表立って抗議する気になれない…」という声は、あまり聞えてきません。
もちろん、この背景には、基地があろうとなかろうと沖縄県民が直面している、深刻な経済的困難があるのかも知れません。しかし、それにしても今回、県民の多数が、声を揃えて移設反対ないし基地閉鎖を訴えていることは、本当に心強く感じられます。
そして、今回あなたが示されたように、その危険性への認識が、単に自分たちにとって危険というだけでなく、多くの罪もない人々を無惨に殺すことに繋がってもいるのだ、という認識まで深く発展させるために、われわれも頑張らねば、という思いを一層強くしています。
残念ながら、27日の集会には参加できません。地元の共産党ルートではなかなか署名用紙も回ってこないので、命どぅ宝ネットのホームページにアクセスしてみましたが、署名用紙をダウンロードして印刷できるようになっていれば、より運動を拡げられるのではないかと思いました。