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「イラク戦争」討論欄

自衛隊は軍服を着た労働者

2005/04/30 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 自衛隊第三師団からのイラク派兵が決まった、5月初めに派遣される500名の主力は、伊丹駐屯地や千僧駐屯地になるという。
 派兵決定が発表されてから私たちは今日4月30日まで、連続8日間のイラク派兵中止の申入れ行動を展開してきた、これからも実際に派兵されるまで、集会・デモ・基地前座り込みを含み、毎日申入れることにしている。
 確かに日々の参加者は少ないが「継続は力なり」を実感する毎日なのだ。
 申入れは、団体も個人も、みんな参加者の思いの丈を書き、担当官に申し入れる、さすがというか、日を追って私たちの申入れに、じっと耳を貸す隊員が増えるようになってきた。
 この前申入れを終わった後、勤務を終え帰る隊員に元自衛官のグループが作ったビラを配った。
 ところがビラへの反応がすこぶる良好なのだ、私たちの「是非呼んでください」と言って渡すビラの半分以上を、彼らは嫌がりもせず受け取ってくれる。
 中には「ご苦労さま」とニコニコしながら受け取る人、また「毎日御苦労さんですね」と声をかけて受け取る隊員もいる、そこいらの駅頭でのビラ撒きより、ずっと感度がいいのである。
 そしてこの日、更に嬉しいことを私たちは体験した、なんと制服に一杯階級賞や星をつけた幹部隊員が寄ってきて、「このビラいいですね、実に説得力がある、私もイラクなどに行きたくないし、隊内でもイラクに行きたいなどいう者はいない、私も自衛隊にいることで飯を食ってきた、また安保条約があり命令となれは従うしかないが、なぜ自衛隊だからと言ってイラクに行かなくてはならないのか、今の政治家は本当に信用出来ない、馬鹿(ママ)ばかりだ」と本音を語ってくれたのだ。
 少し前の創立記念日でも、私が会話した若い隊員は「イラクには行きたくない、派兵のアンケートなど受けていないし、熱望など言う隊員はいない、家族と相談したこともない」と語っていたが、派兵を眼前にしても、自衛隊員はイラク派兵など望んではいないのである。
 そしてビラを配りながら実感したこと、それは「自衛隊員は軍服を着た労働者」だと言うことである。
 私服に着替えて帰宅の途につく隊員は、兵舎を離れれば、本当に普通の若者であり、労働者なのだ。
 私たちの試みがどれ程、自衛隊員の心に受け取られ、心理的変化をしているかまだなんとも言えない、しかし毎日行動することによって、少なくとも自衛隊の若者や幹部クラスの人々と話し合えるようになったし、また基地の隊員の殆どに、私たちの訴えることを知らせることが出来た、出来つつあると感じている。
 今伊丹の町には、商工会議所や自衛隊協力会なとにより「イラク派遣のの自衛隊員の皆様のご無事をお祈りします」の横断幕や「黄色いハンカチ」が架けられている、この風景は戦前の、出征兵士を送り出すセピア色の写真とダブってしまう。
 自衛隊員は行きたくないと言っているのに、地元資本や企業が無理やりイラクに送り出そうとしているのだ、こんなことが許されて良い筈がない。
 しかし、この横断幕や黄色いハンカチを撤去する商店街も現われた、強引な「草の根ファッシズム」の強制に反対する人々も、まだまだ存在するのである。
 私たちの闘いはそんなに大きなものではない、しかしただ一度だけのセレモニーとしての大規模な派兵反対の集会より、より心に訴えることができると信じている。
 実際に派兵される日まで、私たちはこの申入れの行動を、何回でも何日でも続けていきたい。
 ある日、私達が申し入れを行っていると、基地内で喪服姿の女性を見た、なんとJR尼崎の大事故で、自衛隊員の一人も犠牲になったのだ。
 この国は一体どこに行くのか、私たちは改めて安全無視、金儲け優先のJR西日本へ抗議行動を決意している。