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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

党創立記念講演会における不破発言に思う

1999/9/4 れんだいじ、40代、会社経営

 『さざ波通信』編集部より近々意見がなされるということなので、私もこの機会に、未投稿にしておいたこの文章を送り、すり合わせしてみたいと思います(少々長くなることは致し方ありません)。
 最初に触れておきたいことは、党創立記念講話であるにも関わらず、諸先輩同志の貢献に対して深甚の意が表されていないことについてです。講演の締めくくりでやっと触れられていますがいかがなものでしょうか。それでも拍手拍手があったようですから、話す方も聞く方も釣り合いがとれているのでしょう。
 例えば、一般企業の場合でもよいですが、創立記念講演ともなれば、創立者以来の苦難の歴史が振り返られ、エピソードの一つや二つ織り交ぜられて戦線に倒れた故人の労をねぎらうのが通例でしょう。「企業の歩み」が出版され、配布されるようにも思います。ありきたりであろうとも、思いを新たにする意味で必要な儀式なのではないでしょうか。なされた賛辞といえば、現路線の正しさ云々であり、まことにもって自画自賛とはこのようなことを言うのでしょう。
 そうした理由について考えてみました。恐らく1955年の「6全協」から第7回・8回党大会に至る過程に不明朗な動きがありすぎており、これが原因で振り返ることができないのではないでしょうか。特に現執行部の系譜である宮本グループの動きと戦後直後の党を指導した徳田執行部との確執には死闘的なものがあり、宮本グループは徹頭徹尾徳田執行部に反抗し抜いた過去の行状があります。史実を見れば、「統一と団結」を壊した原因には両派ともどもの責任があるといわざるをえず、宮本グループは「分派の禁止」もものかはという動きで終始しました。徳田執行部に路線の誤りがあったがゆえにそういう動きをせざるをえなかったと総括するのであれば、私も了解します。実際には、分派的な動きの痕跡を留めまいとして涙ぐましい努力をした上で、現執行部への「統一と団結」・「分派の禁止」を徳田執行部の時のそれ以上に言いだすから、詭弁が横行するようになる。史実のつじつま合わせと抹殺・歪曲・修正をせざるをえなくなるわけです。この私の見方が納得できなければどうぞ皆さんでお調べ下さい。私は、現在戦後党史をノートし始めていますが、呆然とさせられているというのが実際です。
 第2の問題は、不破委員長が第7回・8回党大会で確立された綱領路線の正しさを強弁するにも関わらず、現実の進行はますますその路線の欺瞞性を明らかにしつつあるということです。特に日本の国家主権の従属性規定は、いよいよ現状にそぐわなくなりつつあります。この「従属規定」と「二つの敵」論はメダルの裏表の関係にありますが、その実際の闘争のされ方は64年の「4.17スト」の時の対応に本質が現れたように、日本独占資本との労働戦線での戦いを放棄させることにあったことが明白です。あまり振り返られていないのですがなぜなのでしょう。
 第3の問題は、綱領路線の「従属規定」が、今日ますます闘争課題となりつつある日本帝国主義ブルジョアジー権力の動きを免罪する理論であることがますます明白になりつつあります。「二つの敵」と戦うと言いながら、その一方の敵を自民党に落とし込んだ上で、議会闘争の中に鉾を納めてしまう手法に帰結しており、そのような闘いは日本独占資本にとって痛くもかゆくもなく、フリーハンドのままにバブル経営のつけを労働者のリストラ政策に転嫁しつつあります。党の運動が、60年代から今日までほぼ40年間にわたって、大衆の欲求不満のはけ口として第2社民的な役割に終始しているのではないかという正体が露わにさせられつつあり、そうした綱領路線の誤りが明白になりつつある事態に関わらず、その正しさを強弁し抜いたのがこのたびの不破委員長講演でした。
 第4の問題は、当面社会主義に向かわない「資本主義の枠内での民主的改革」を自画自賛し抜いたことにあります。ひたすら国家権力ブルジョアジーに恭順の意を表しつつ党内的には強面というのが宮本-不破系列の本質といえます。8回党大会での満場一致を誇りましたが、どういう醜いやり方で満場一致に向かったのか皆さんご存じでしょうか。不破の知り尽くした上でのこの言い方は確信犯であり、到底許しがたいものと私は考えています。
 第5の問題は、自主独立路線を随分手前味噌に語りましたが、その元祖は徳田執行部であるというのが史実です。これは所感派と国際派に分かれた系譜を追えば自然と証明されます。ただし、徳田書記長の自主独立路線は弱く、当時のスターリン指導下の国際共産主義運動の一枚岩的恭順が支配する中では最終的に事大主義に陥ることになりました。現執行部の系譜である宮本グループは当時国際派であり、自主独立的にうごめく徳田執行部に対し、国際共産主義運動の統一性という観点からスターリン論評を受け入れるべきであると主張していました。この史実を曲げる訳にはいかない。不破が自主独立路線を自賛するのであれば、このあたりの系譜から引き継がないとおかしいのではないかと考えます。
 第6の点は、問題というより功績に近いのかもしれません。不破委員長の功績を挙げるとすれば、マルクス・レーニン主義の相対化に対する貢献であろうと思われます。それが右翼的な方向からのそれであるにせよ、金科玉条式のプロレタリア革命路線に対して市民運動的な選択枝を広げたことは、まぁ功績といえるのかもしれない。もっとも、都合の良いところを継ぎ接ぎしただけの折衷理論に毛が生えた程度のものであるかもしれない。
 第7の問題は、個人的に許せない感情を禁じえないが、またしても田中角栄氏を誹謗していることです。いつでもどこでも岸でもなく中曽根でもなく角栄なのです。「私は、いまでも思うのですが、金権政治の元祖といわれた田中角栄氏は、国内で5億円の金を調達できないで、危険だとわかっていながらロッキードの献金に手を出して領収書を書いた。それがあの大事件になったわけでしょう。今、5億円――物価が上がっているから、今なら10億円、20億円というお金になるのでしょうが、その程度の金は、自民党のどの派閥でも、どこからでも平気で生み出してきます」という当てこすり的な批判がなされています。どうぞ読み返してみて下さい。まっとうな批判というか文意にさえなっていません。何とか解釈すれば、金権政治の元祖がお金に困って、今から思えば僅かばかしのはした金を外国から調達したという論調になります。まことにもって角栄氏に対する冒涜の極みと言えますが、これが公党の長たる人の発言とは思えません。長くなりますので批判は省略しますが。このあたりに不破の政治的ポジションがあると私は睨んでいます。
 第8の問題に、選挙で負けた言い訳に、「社公合意」、「反動攻勢」、「天安門事件」を指摘しています。それは事実かもしれないが、党の運動がそれらを粉砕するような動きで進められなかった原因についての主体的な反省というものがありません。お勉強坊やが教育ママに言い訳している駄々っ子の図が脳裏に浮かぶのは、私だけでしょうか。
 いよいよ最後になりました。「民主集中制」について述べられています。「党中央が決めたことは、黙って無条件に従うというのが原則で、それとは別の意見などいえないんだ、そういう誤解をしている方がいますが、我が党の規約ぐらい、違う意見を持った人の権利を、きちんと明文で保障している党はあまりほかにないはずです」、「やっぱり、どういう問題でも、事実と道理にあったものが最後の議論には勝つわけであって、そういう道を保障しているのが民主集中制という在り方です」だと。『さざ波通信』投稿者で党の「統一と団結」を呪文の如くに唱えている方は大いに読み返して欲しいですね。こういう言葉を聞くと、しだいに私も入党したくなって参ります。私も生息できるかしら。素晴らしいというかこの二枚舌めっと思うかは、-----(私のヒミツ)。