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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

「内政不干渉理論」について

1999/9/28 れんだいじ、40代、会社経営

 「東チモール問題」が論議されなくてはいけない。国連軍の評価が難しいけれど、何とか理論的切開をせねばならない。ベトナム戦争時の反戦運動の時は構図がわかりやすかったのかなぁ。あの時は、政府と右翼がアメリカ政府の政策を支持し、左翼がこれに反対した。反対の立場の各党派の論拠はさまざまであったが、今から思うのに、党は、堂々と北ベトナムの民族解放「戦争」を支持していたんですねぇ。最近の論調からは信じられない気がしています。恐らく、最近の論調は、「戦争」そのものに反対という立場のように思います。それだけ構図が難しくなってきたのであり、党執行部の怠慢ですますのは酷かも知れない。本当のところ私もよくわからない。
 はっきりしていることは、帝国主義と共産主義という対峙形の運動論が終焉したことである。以降わかりやすい国際分析ができなくなって久しい。解放後のベトナムがカンボジアの内戦に介入した現実を見て、あの頃のわれわれの反戦闘争はいったい何だったのか疑問を余儀なくされた現実が尾を引いているのかもしれない。アラブ諸国家の民族的抗争も解析できていない。私の場合、イラン-イラク戦争についてもただ目を見張るばかりだった。湾岸戦争も、たとえ罠が仕掛けられていたにせよイラクのクウェート侵攻が許されるようにも思えない。コソボ問題しかり、いよいよもって難しい。
 マルキストは戦争の一般的反対はしないことは承知している。が、現実の戦争または内紛を前にして対応の仕方がわからなくなってきている。国家間及び共産党間の「内政不干渉理論」が輪をかけて混迷を促進させているようにも思える。この地球上の同時代の出来事であるというのに、国家が違えば差し出がましいことを言ってはならぬ、その国民の内政問題であるという見地が果たして正しいのかどうか。「東チモール問題」は、このような問いかけから出発しないと解けないし、運動の起こしようがない。国連を通してなら内政介入にならないのかという問題もある。もっとも、国連軍は、民兵の東チモール独立派虐殺を抑止しようとしているんだなぁ。それは良いようにも思うけど、軍隊の派遣でなく資金の援助なら良いという理屈が今ひとつはっきりしない。五十歩百歩ではないのかなぁ。資金の援助なら内政介入にならないのかという問題もある。インドネシアから見て、日本政府と資本は最も深い政治・経済交流しており、いわばパトロン的関係だ。この濃い関係の国家に対してであれ、日本政府または人民は差し出がましいことを言ってはならぬのか。いったい誰がこんな理論を吹聴したのだろう。
 なるほど日本人民は、自らの政府に働きかけるのが仕事なのかも知れない。しかし、国民の総意は議会に付託されており、そのために議会があるのであり、議会の動きを見守るのが筋であるという理屈がある。今や、自民党から共産党まで議会が動くことで間に合わそうとする平和的議会主義的統治システムが完成しつつある。もしわれわれが議会の動きに満足できなければ、次の選挙の時に意思表示すれば良い。時すでに遅かろうともそれが法治国家の手続きというもんだ。うーーーん誰がこんな理屈を作ったんだろう。ホントこれでは金 縛りにあったようなもんだ。