このような経過を持つ芥川文学及び氏の生涯を宮本氏がどう評価したか。ここが本稿のテーマである。本投稿を理解していただくために芥川氏について前投稿で簡略に記した。以下、宮本氏の芥川論を解析していくこととする。主たるテキストは、75年初版の新日本文庫の「『敗北』の文学」に拠った。宮本氏は、言い足らなかったのか、続いて「過渡時代の道標-片上伸論-」で、片上氏を論じつつ、一方で芥川論を補足したので、この時点の観点も併用した。「敗北の文学を書いた頃」と同書末尾の水野明善氏の解説も参考にした。
最初に。芥川氏の文学的軌跡を「敗北」とみなす宮本氏の感性について、少々疑問を挟まざるをえない。タイトルにはネーミング者の最関心事が滲むものであることを思えば、あらゆるものの基準に「敗北」とか「勝利」をもって総括しようとしている宮本氏の感性が見えてくることになる。宮本氏にとって、「敗北」とか「勝利」とかこそが最重要な基準になっており、プロセスはその下僕でしかないということになっているのではないだろうか。
宮本氏の「『敗北』の文学」の秀逸なるところは、芥川氏の「ぼんやりとした不安」の内容実体について立ち入り、「当時インテリゲンチアの悩み。自殺に行き着いた芥川の文学的内面を批判」し、芥川氏の創作精神に脈打つプレ社会主義思想とでもいえる批評眼が介在していることを指摘し、かつこれをよくなしえたことにあった。芥川氏の辛辣な表現の中にプロレタリア文学的な階級的視点を持つ前の前駆的な汎ヒューマニズム思想が色濃くあることを踏まえたのである。この視点は、当代の文芸評論家の誰もが見抜けぬ芥川論であった。ここに宮本氏の一流な批評眼があったといえる。芥川氏の自殺直後に数多く発表された皮相な死の解釈を退けて、氏の内面心理における思想の揺らぎに着目し、「鋭い分析と明快な判断に基づく力強い説得力で『階級的思想的矛盾の洞察』を為した」(水野明善氏の解説要約)のである。
宮本氏の執筆動機は次のようなものであった。上述の観点が次のように言われている。
「当時の既成文壇にもこれらの芸術的・社会的動きに対して、頑固な反対と無関心の古い人々があったとともに、好意的理解者であろうとする一群の人々も生まれた。新しい歴史的方向への芥川の理解の程度は、その文章に現れたところではまだ漠然としていた。しかし、その関心は小市民インテリゲチアとしての自分の位置に安住できないほどに切実なものであった」。
「晩年の芥川龍之介の語りかけた社会的生活的陰影の中には、中流下層市民層に育ったインテリゲンチアに共通の敏感な苦悩が感じられた。彼は、文学的なレトリックをある抑制をもって語っている。しかし、その本質は、自分たち若者たちの当面している問題とつながっていることを感じないわけにはゆかなかった。ただ芥川は、肉体的にも精神的にも、その苦悩を生き抜くことで克服することができなかった」。
「 私は、この過渡的な苦悩に敗北しないで、理性の示す方向へ歩み抜く決意を根本的にゆるがせることはできなかった。私にとって芥川龍之介論は、その決意の文学的自己宣言でもあった。同時に、社会的鈍感さに安住して、芥川の知己をもって任じているそれまでのいろんな芥川観への批判でもあろうとした(「敗北の文学を書いた頃」)。
問題意識として以上のように捉えた宮本氏の感性に対して何も云うことはない。
いよいよ核心に入る。以上のように芥川氏を理解した宮本氏が、ではどのように氏を批評したのか。「時代的であり得た芥川」を認めつつ次のように論断した。
「芥川の場合、歴史的必然性――新しい時代への理知的理解がもつと明確であり、進歩的インテリゲンチアの存在も時代的な空気としてももっとはっきりしていたら、生きようとする方向がよりつよく支えられただろうと言いえないか」。
「氏の文学はこの自己否定の漸次的上昇を具体的に表現しているものだ。虚無的精神も階級社会の発展期においては、ある程度の進歩的意義を持つものであるが、今の我々はそうした役割を氏の文学に尋ねることは出来ない。そう云う意味で、我々は氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ」。
「ブルジョワ芸術家の多くが無為で怠惰な一切のものへの無関心主義の泥沼に沈んでいる時、とまれ芥川氏は自己の苦悶をギリギリに噛みしめた」。
「あらゆる文学的潮流の必然的転換期に、保守的な迷妄と、世紀末的な頽廃に抗して、真に新しきものを見失うことなく、文学の正統的河床を掘り続けてきた氏の姿は、日本近代文学史のユニークな存在である」。
とはいえ、「プロレタリアートの陣列に加わろうとした諸家に比べての芥川の対応」には都会的なプチブル的なひ弱さが克服し得ていない云々(ここは、私の補足)、と喝破した。ここまでは宮本氏一流の批評眼であり、異論はない。
そして、起承転結の結の部分として次のように総括した。
「だが、我々はいかなる時も、芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない。『敗北』の文学を――そしてその階級的土壌を我々は踏み越えて往かなければならない」。
「それ故にこそ一層、氏を再批判する必要があるだろう。いつの間にか、日本のパルナッスの山頂で、世紀末的な偶像に化しつつある氏の文学に向かって、ツルハシをうち下ろさねばならない」。
(話はそれるがここのところの表現は原文通りかどうか少し気になっています。最近手に入れた新日本文庫ではこう記されているが、昔学生時代に読んだ時とちょっと文章が違うような気がしています。その時の本はもうありませんので確かめようがありません。どなたかお手数ですが『改造』誌上掲載文と照らし合わせていただければ助かります。私には時間がない。もっとも気のせいかもしれない)。
この結の部分にこそ宮本氏独特の感性があると私は睨んでいる。私は異論を挟まざるを得ない。末尾の「ツルハシをうち下ろさねばならない」を修辞上の表現として見逃すこともできようが、宮本氏の場合、どうも修辞上でない傾向にあるというのが私の見方である。
以下私の感想に入る。私がほとほと感心するのは宮本氏の力強い断定調である。問答無用式に「バールを打ち下ろせ」(昔読んだ本は確かこんな表現ではなかったかと思う。ハードとソフトの違いで意味は変わらないけれど)という宮本氏を支える信念とは何なのか。述べてきたように、芥川氏の良心と誠実さは万人の胸を打つものではないか。仮に我が身に引き替えて見た場合、彼のような誠実な行程を進みうるか自信がない。芥川氏の自殺の直後、確か谷崎潤一郎だったと思うが、芥川ほどの業績があればもう何もしなくても飯が食えるのになぜ自殺なぞしたのかと哀悼したが、実際の大方の思いであろう。人は誰しも完成された艶福な者ではない。至らぬ者が至ろうとする軌跡こそ我らが人生であり、何よりも尊く美しく評価されねばならないのではないのか。芥川氏の頭上にバールがうち下ろされねばならない必然性がどこにあるのか。そういう正邪の分別なぞ無用なものではないのか。批評に温かさがなさ過ぎるではないか。芥川氏に宮本氏が指摘するような半端性があったとしてもそれがどうしたというのか。云っている本人も含めて人は皆「ボチボチでんな」ではないのか。仮に、このような論法を許してしまえば、半端ながら党運動を理解しお手伝いの一つでもしようと接近してきたシンパの頭上に半端なるがゆえにバールが打ち込まれ、無縁な者または体制側信奉者は無傷ですむことになる。そういう感性がオカシクはないか。近親憎悪的な論理であり、近しい人ほどチクチクいたぶられることになる。これが芥川龍之介論の世界でおさまっていれば敢えて私は問題にしなかった、と思う。そういう宮本氏流の感性が今日の党活動の背景論理としてこびりついているように思うし、それは良くないと思うから本投稿で闘おうとしている。過去宮本式理論に首肯しない異端者の排斥過程もまたこのセンテンスで行なわれてきたのではないのかということが言いたいわけです。
自然、宮本氏をして余人をかくも断罪せしめる根拠は何なのかについて考究していかなければならないことになろう。彼は神か、そんなことはない。宮本氏はそのような物言いするだけであり、以下浮き彫りにするが、彼からは「安心立命」的信仰を常人より強く持つ粗野な感性しか見えてこない。どうやら宮本氏の強さを支える信念は、単に当時公式的であったスターリン流のマルクス主義的理解でしかなかった、と思わざるをえない。マルクス主義の理解の仕方がスターリンのそれと非常に似通っていたそれであったと言い換えることもできる。
そこに在るものは、一つは、哲学的な意味での自己流唯物弁証法的観点の導入による、事象認識のリアルな脳髄への反映を疑わない統一真理的絶対認識観であり、一つは、史的唯物論に基づく社会の合法則的発展を盲信する社会主義-共産主義社会の必然的到来性信仰である。「新しい歴史的方向」とか「歴史的必然性」に対する絶対依拠の精神である。宮本氏は当時の時代感覚としての非常にオポチュニティーなこのようなマルクス主義の哲学と史的必然論を誰よりも生硬に主張していただけではないのか、としか思えない。この二つの観点は、当時にあってさえ七転八倒しつつ学ぼうとしているところのものであった。そういう謙虚さが平均値としてあった。それに引き替え、宮本氏はこの二つの観点を如意棒として手に持ち、自身はその高みにあるとする自惚れから、対象とするものを容赦なく演繹的に断罪して憚らない。自己流のマルクス主義的認識であれ「真理」を手にした者から観れば、過程のすべてが「いらだたしさを覚える。経過した後から過程を見れば退屈に近い」不十分なものでしかないことになる。このような如意棒を手にした者が権力とジョイントしたらどうなるか。何とかに刃物とならざるをえない。その果てにあるものが今日の日本共産党中央委員会の有り姿ではないのか。権力者は「無謬の帝王、真理の体現者」として立ち現れ、いかようにも断定し采配を振るうことができることになる。宮本氏の強靱さとは、この二つの如意棒を振り回しながら、ためらいなく党内整列を優先させることのできる癖の強さにあった。そう、こちらの方の優先こそが宮本氏の特徴であり、私が疑惑する所以となっている。彼が権力と果敢に闘ったという例を寡聞にして聞かない。この強さが余人の追随を許さない異質的な優れものであったというだけのことではないのか。私の辟易させられるところであり、同時に当時の反対派の連中にはこの点が欠けていたところのものであった。当時の反対派の面々を見れば、攻めには強いが守りにはからっきし弱いお人好しという共通項がある。
とはいえ、そういう如意棒を唯々諾々として受け入れる素地も党内に幅広くあったようにも思われる。コミンテルンに対する絶対拝跪精神がそのまま党内権力者に対するそれに横滑りしており、こうして組織的従順さが当時にあっては党及び党員共通の意識の中に埋め込まれていたように思われる。良く言えば革命の大義の為に殉じようとする精神である。肯かなかったり理解できない者は勉強不足でしかないということにされたし、なった。
とはいえ、時代の経過が宮本式論理の正否をはっきりさせてしまった。今や二つの如意棒の観点はどちらも総崩れしつつある。つまり、今日的な状況からすれば、大いに問題ありの観点と言えることが露見されつつある。これに同意できない者はオポチォニスト的な幸せ者である。そういう者も次の指摘には肯いて欲しい。宮本氏の論法を評論すれば、没弁証法的思考であり、善悪二元論的な発想であり、権力的論理に染まっているということに特徴があるということ。マルクス主義の最重要部分は弁証法的認識論であると言うのに。マルクス主義者における殉教精神は、宗教的なそれとは区別されるべき常に批判精神を自由闊達に自他内外に持ち合わせねばならないものであり、これが命綱なのではなかろうか。でないと我らの運動もまた絶対的教義に拘束される宗教的団体と何ら変わりはしないことになる。党内に社会観の自由な摺り合わせがあればこそ労働者はこの隊列に参陣して一種開放感に浸ることができたのではなかったか。あるいはそうあるべきではないのか。
最後に。宮本氏の言いまわしに耳を傾けてみよう。
「ブルジョア・リアリズムとしての自然主義文学よりプロレタリア.リアリズムの勝利へ――この道程は、近代文学の必然的方向」であり、「より重大なことは、彼らの属した非プロレタリア階級の認識そのものが、既に主観客観の同一性を持ち得なかったのである」、「主観的認識が、同時に客観的認識足り得る歴史的必然に立ち得る文学的見地」、「自己の階級的主観が、同時に世界の客観的認識としての妥当性を持つ者は、プロレタリア階級のみである」という認識に立ち、「現代文学の先端が、プロレタリア文学の旗によって守られているということを認定する」ことが肝心である。「芸術が形象的思想である以上、プロレタリア芸術家は、何よりも骨の髄まで、細胞の中まで、プロレタリア的な感情によって貫かれていなければならないのである」。芥川氏の場合、究極「労働階級を知らず、観念論の無力を自覚し得なかった」、「社会主義の武器を持ってブルジョアジーへの挑戦を試みなかった彼の限界性。根本的批判」がなさればならない、という「批評の党派性」を身につけねばならない。芥川文学に「一つの彷徨時代。社会的進歩性」を認めることができても、「ブルジョワ文学が、他の何物にも煩わされることなく、ひたすらに芸術的完成を辿った過程は、芥川竜之介の自殺を一転機とするブルジョワ文学の敗惨の頁によって、終結を告げたと見ていい」。
うーーんご立派デスとしか言いようがない。ハイ。